第36話 居酒屋探偵団と三つの手がかり
その夜、「炎の一献」の営業を終えた店内には、いつもの片付けの音ではなく、ペンが羊皮紙を走る音と、深い思索の沈黙が満ちていた。店の大きなテーブルを囲み、第一回「炎の一献探偵団」の捜査会議が、厳粛に(そしてどこか手探りで)始まっていたのだ。
「まず、状況を整理しましょう」
ミレーユが、きりりとした表情でペンを置いた。彼女が広げた大きな羊皮紙には、見事な筆跡で事件の概要と相関図が描かれ始めている。その姿は、もはや店の女将というより、敏腕の捜査指揮官のようだ。
「犯人は、傷一つなく宝物庫に侵入し、『龍の涙』のみを盗み出した。目的は不明。そして、現場にはこの小さな種が残されていました」
彼女がピンセットで示した種を、キルヴァンが真剣な顔つきで覗き込む。
「僕、絶対この匂い、どこかで……うーん、思い出せないや」
「へっ、ごちゃごちゃ考えるのは性に合わねえ」シリウスが、腕を組んで鼻を鳴らした。「こういう時は、まず足で稼ぐのが一番だ。グリュム・シティの裏の連中に聞けば、盗品の流れなんざ一発で分かる。俺に任せとけ」
「うむ。わしは、その『龍の涙』という宝珠そのものについて、調べてみるかのぅ」ゼノヴィオスも、書庫の方に目をやりながら言った。「コーネリアス殿は代々の秘宝としか言っておらんかったが、あれほど厳重に保管されるからには、何か特別な謂われがあるはずじゃ」
「僕も!僕も手伝う!」
キルヴァンが勢いよく手を上げる。レガルドは、その小さな頭を優しく撫でた。
「ああ、頼んだぞ。お前はミレーユ殿の助手だ。何か気づいたことがあったら、すぐに報告するんだ」
「うん!」
こうして、居酒屋探偵団は、それぞれの持ち場へと散っていった。
数日後、グリュム・シティの裏市場、通称「奈落横丁」。日の光さえ届かぬその場所は、瘴気と怪しい取引の匂いが渦巻いていた。シリウスは、そんな場所でも我が物顔で突き進み、一軒の薄暗い酒場のカウンターを叩いた。
「よう、ブラッディ・ビアード。ちいと調べてもらいてえもんがある」
店の奥から現れた、顔中が傷だらけのドワーフ――裏社会の情報屋――は、シリウスの顔を見て面倒くさそうに眉をひそめた。
「なんだい、シリウス。また面倒ごとかい?あんたが絡むと、ロクなことにならん」
「いいから聞け。『龍の涙』って宝石が、数日前に消えた。市場に流れてねえか?」
その名を聞いた瞬間、情報屋の顔色が変わった。
「……『龍の涙』だと?本気で言ってんのか。馬鹿言え、そんな代物がもし動いてりゃ、この横丁ごとひっくり返るわ。噂のうの字も聞きゃしねえ。間違いなく、金目当てのシロウトの仕事じゃねえぜ。関わらん方が身のためだ」
情報屋の言葉に、シリウスは「そうかい」とだけ応えると、エール代の銀貨を置いて店を出た。(金目当てじゃない、か。なら、一体何のために……)謎は、さらに深まっていた。
一方、その頃「炎の一献」の書庫では、ゼノヴィオスが埃っぽい古文書の山と格闘していた。彼は、龍族の古い伝承が記された巻物の中から、ついに『龍の涙』に関する記述を発見し、その目を鋭く光らせた。
「……これか」
そこには、こう記されていた。
『――悲恋の末に流された龍の涙は、宝石となりて持ち主の心を映す鏡となる。強い愛情は万病を癒す奇跡を呼ぶが、しかし、強い憎悪や悲しみは、その力を負の方向へと増幅させ、持ち主の魂を蝕み、周囲に災厄を呼ぶであろう――』
「なんということじゃ……」
ゼノヴィオスは、その宝珠がただの秘宝ではなく、使い方を誤れば極めて危険な呪物にもなりうることを悟り、表情を曇らせた。
レガルドは、店の厨房で、失意の底にいるコーネリアスのために、特別な薬膳スープを作っていた。心を落ち着かせ、魂を温める効果のある、数十種類のハーブを煮込んだスープだ。
「無理にとは言わん。だが、少しでも話せば、気が楽になるかもしれん」
レガルドが差し出したスープの、優しい香りと深い味わいに、コーネリアスは少しずつ心を許し、ぽつり、ぽつりと、これまで誰にも語らなかった胸の内を明かし始めた。
「わしの妻は……人間じゃった。じゃから、彼女の一族からは、結婚を最後まで猛反対されてのぅ……」
特に、妻の兄は、妹を龍族に奪われたと、レガルドたちが結ばれることを激しく憎んでいたという。
「義兄は、妹が亡くなった後、失意のうちに病でこの世を去った。彼には……確か、薬草の知識を熱心に学んでおった、一人、弟子がいたはずじゃ……」
レガルドは、ただ黙って相槌を打ちながら、その言葉の裏にある、長い年月の悲しみに、静かに耳を傾けていた。
その夜、再び「炎の一献」に集まった仲間たち。
シリウスが持ち帰った「金目当てではない」という情報。
ゼノヴィオスが発見した「感情に共鳴する危険な宝石」という事実。
そしてレガルドが聞き出した「過去の異種族間の確執」という背景。
三つのバラバラだった点が、ミレーユの広げた羊皮紙の上で、一つの不吉な線として結びつき始めていた。
犯人の目的は、金ではない。そして、あの危険な宝石を、強い憎しみや悲しみを持った者が手にしたとしたら……。
「……まさか」
ミレーユは、レガルドの報告に出てきた「薬草師の弟子」という言葉に、ペンを走らせる。そして、キルヴァンが見つけた、あの甘い香りのする植物の種。
全てのピースが、一つの悲しい肖像を形作ろうとしていた。




