第33話 炎上する街、灯火の砦
「……やはり、そう来ましたか」
絶体絶命の状況にもかかわらず、ミレーユの口元から零れたのは、諦観ではなく、むしろ闘志に満ちた不敵な笑みだった。彼女の頭脳は、包囲されたその瞬間から、既にフル回転を始めている。
「皆様お揃いで。ですが、今宵の舞踏会にお招きいただいた覚えは、ございませんことよ?」
彼女の挑発的な言葉に、暗殺者たちのリーダー格の男が顔を歪めた。
「小賢しい女め!生け捕りにしろとのご命令だが、多少手荒になっても構うまい!」
男の号令と共に、暗殺者たちが一斉に襲いかかってきた!
ミレーユは、懐から小さな煙玉を複数取り出し、床に叩きつけた。瞬間、倉庫内は濃い煙に包まれる。
「怯むな、囲んで仕留めろ!」
リーダーの怒声が響くが、ミレーユはその混乱に乗じて、既に動いていた。彼女が狙うのは、出口ではない。天井近くに積まれた、小麦粉の入った巨大な麻袋だ。元王宮侍女の知識は、狭い空間での粉塵爆発の危険性を熟知していた。
彼女は、壁を蹴って梁へと駆け上がると、短剣で麻袋を次々と切り裂いていく!白い粉が、煙と混じり合って倉庫内に満ちていく。
「な、何を……!?」
暗殺者たちがその意図に気づき、狼狽した瞬間、ミレーユは近くにあった油のランプを、火がついたまま粉塵の中へと投げ込んだ。
「ごきげんよう!」
彼女はそう言い残すと、倉庫の反対側の、予め目星をつけておいた脆い壁へと向かって、全力で身を投じた!
直後、凄まじい轟音と共に、倉庫が内部から爆ぜた!爆風と炎が、暗殺者たちを容赦なく飲み込んでいく。ミレーユもまた、爆風と共に壁を突き破り、外の冷たい夜の空気へと投げ出された。全身を打撲し、腕からは深い切り傷の血が流れている。だが、その手には、密約書の断片と、証拠を収めた魔導記録機が、固く握りしめられていた。
(……ヘンドリック卿、お約束は、果たしましたわ)
遠くで街の衛兵の笛の音が聞こえ始める中、ミレーユはふらつく足で、闇の中へと姿を消した。
その数日後、グリュム・シティは、不穏な空気に包まれていた。
市街地のあちこちで、原因不明の小規模な爆発が起き、龍族と人間の対立を煽るような落書きが至る所で見つかった。さらには、ならず者たちが徒党を組んで商店を襲い、市民の間に恐怖と不信感を植え付けていく。宰相バルバロッサとヴォルダン公爵が仕掛けた、評議会の権威を失墜させるための卑劣な工作活動だった。
「やはり龍族は危険だ!」「評議会は何をやっているんだ!」
街には、狙い通り、不安と非難の声が渦巻き始めていた。
だが、そんな混乱の中にあって、一つの場所だけが、確かな希望の灯火をともし続けていた。
「炎の一献」――その店は、暴動から逃れてきた人間や龍族、種族を問わない市民たちの、臨時の避難所となっていたのだ。
「さあ、皆さん、温かいスープですよ!これを飲んで、少し落ち着いてくださいね!」
厨房では、キルヴァンが巨大な寸胴鍋で、野菜と骨付き肉を煮込んだスープを懸命に作り続けていた。その顔は煤と汗で汚れているが、その瞳は真剣そのものだ。レガルドから教わった「温かい料理は、人の心を落ち着かせる一番の魔法だ」という言葉を、彼は今、必死に実践していた。彼の作る素朴なスープが、恐怖に震える人々の心を、少しずつ解きほぐしていく。
「店の前でうろちょろしてるゴロツキども!レガルドの旦那の店を荒らそうなんざ、百万年早えんだよ!」
店の入り口では、シリウスが戦斧を構え、仁王立ちでならず者たちを威嚇している。その隣には、意外な人物が立っていた。若き龍、グレンだ。
「……シリウス殿。右翼から三名、回り込もうとしている」
「おうよ!任せとけ!」
グレンは、ヴォルダン公爵の卑劣なやり方に、龍族としての誇りを深く傷つけられていた。「罪なき市民を巻き込むなど、断じて我ら龍族の戦い方ではない!」と憤り、自ら「炎の一献」の警備に協力していたのだ。その姿は、かつての彼からは想像もつかないほど、頼もしかった。
店の奥では、ゼノヴィオスが、混乱した情報を整理し、評議会や市の警備隊と連絡を取り合いながら、的確な助言を与え続けていた。
王都ルミナスの一角、協力者ヘンドリック卿が用意した隠れ家。ミレーユは、ベッドの上で荒い息をついていた。脱出の際に負った傷は、思ったよりも深い。
その時、隠れ家の扉が静かに、しかし力強く開かれた。そこに立っていたのは、旅装束に身を包んだ、レガルドだった。
「……ミレーユ殿。無事か」
その声には、深い安堵と、そして仲間を危険に晒したことへの悔恨が滲んでいた。
「レガルド……様……。申し訳、ありません……。密約書の半分は、燃えて……」
「馬鹿を言え。お前が無事だっただけで、十分だ」
レガルドは、ミレーユのベッドの傍らに座ると、その手から、血に汚れた魔導記録機と密約書の断片を、優しく受け取った。
「よく、やってくれた。本当に、よく頑張ったな」
その温かい言葉に、ずっと張り詰めていたミレーユの心の糸が、ぷつりと切れた。彼女の瞳から、大粒の涙がとめどなく溢れ出す。
レガルドは、ミレーユが眠りにつくのを待って、彼女が命がけで持ち帰った情報を確認した。そして、静かな怒りの炎をその金色の瞳に宿らせた。
数日後には、王と龍王も臨席する「頂上会談」が開かれる。そこが、最後の決戦の場となるだろう。
「ヴォルダン公爵、宰相バルバロッサ……。お前たちの茶番は、この俺が終わらせてやる」
レガルドは、隠れ家の窓から見える、欺瞞に満ちた光の都を、静かに、そして鋭く見据えていた。




