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第3話 秘伝の味と迫る魔手

「龍族の魂を揺さぶる、だが人間もいつか理解できる味、か……」

 グレンに叩きつけた挑戦状。それはレガルド自身にとっても、途方もない難題だった。古代竜としての長い生涯で培った知識と経験、そして何より料理への尽きせぬ情熱を総動員し、レガルドは厨房に籠もる日々が続いた。太古の火山灰で燻した岩塩、夜明けの霧を吸って育った地衣類、地底湖に棲む幻の魚――彼の厨房は、さながら秘境の食材見本市のようだ。


「レガルド様、王宮の古文書に、このような記述がございました」

 ミレーユが差し出したのは、羊皮紙の写しだった。そこには、かすれた文字で「月雫草げってきそう」という薬草について記されていた。月の光を浴びて育ち、龍の涙に似た成分を含むとされ、食した者の魂を浄化し、力を呼び覚ますという。

「ほう、月雫草か……。確かに、これならば龍族の本能に訴えかけられるかもしれん」

 だが、その生育場所は「古代遺跡の森、月の満ち欠けと共に現れる泉のほとり」とある。現代では幻ともいえる薬草だ。


 一方、キルヴァンはレガルドに命じられ、来る日も来る日も炎のコントロールの練習に励んでいた。焦がしたり、火力が足りなかったり、時には小さな爆発を起こしてレガルドにカミナリを落とされたり。

「うう、また失敗だ……僕、本当に強くなれるのかな」

「弱音を吐くな、キルヴァン!炎は生き物だ。力でねじ伏せるな、心で対話しろ!」

 レガルドの叱咤は厳しいが、その奥には期待が込められている。ミレーユも、休憩時間にはキルヴァンに優しくアドバイスを送った。「炎の大きさより、まずその温かさを感じてごらんなさい」と。


 そんな店の厨房では、シリウスもまた新たな挑戦に燃えていた。

「レガルドの料理に負けねえ、最高のドラゴンビールを造ってやるぜ!今度の新作は、地底の溶岩溜まりで熟成させた『ボルカニック・スタウト』だ!」

 ドワーフの醸造家魂が、レガルドの料理人魂と共鳴し、店全体が不思議な熱気に包まれていた。


 数日後、ミレーユとキルヴァンは「月雫草」を探すため、グリュム・シティ郊外の古代遺跡近くの森へと足を踏み入れた。鬱蒼と茂る木々、苔むした石畳、時折響く未知の獣の声。そこは、都市の喧騒とは別世界の、神秘と危険が同居する場所だった。


「キルヴァン君、この辺りに月光が溜まりやすい場所があるはずですわ。あなたの龍の嗅覚で、何か特別な匂いを感じませんか?」

 ミレーユの言葉に、キルヴァンはくんくんと鼻を鳴らす。

「うーん……なんだか、甘くて、ちょっとヒンヤリする匂いがする!あっちだ!」

 キルヴァンの小さな体が、草木をかき分けて進んでいく。途中、倒木が行く手を阻んだが、キルヴァンは練習の成果を見せようと、集中して小さな火球を放った。それは正確に倒木の芯を焼き、道を切り開いた。

「やった!できたよ、ミレーユお姉ちゃん!」

「ええ、素晴らしいわ、キルヴァン君!」

 ミレーユの賞賛に、キルヴァンは胸を張る。ささやかな成功体験が、彼に確かな自信を与えていた。


 そして、ついに二人は、月の光が優しく降り注ぐ小さな泉のほとりで、青白く輝く「月雫草」を発見した。まるで夜空の星々を映したかのような、神秘的な美しさだった。

「これが、月雫草……!」

 ミレーユは慎重にそれを摘み取り、大切に薬草袋にしまう。目的を果たした二人の顔には、達成感が浮かんでいた。


 だが、その帰り道、グリュム・シティの旧市街の薄暗い裏通りに差し掛かった時だった。

「見つけたぜ、龍のガキとその手先だ!」

 物陰から、柄の悪い人間の男たちが三人、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべて現れた。その目つきは、以前市場でミレーユたちを襲ったチンピラたちと同じ種類の、澱んだ光を宿していた。

「大人しくしろ!お前らみたいなのがいるから、この街は汚れるんだ!」

 リーダー格の男が、錆びた鉄パイプを振りかざす。


「キルヴァン君、私の後ろへ!」

 ミレーユは瞬時にキルヴァンを庇い、構える。その動きは、ただの侍女とは思えぬほど洗練されていた。かつて王宮で叩き込まれた護身術が、今、その真価を発揮する。

 男の一人が殴りかかってくるが、ミレーユはそれをしなやかに避け、逆に相手の体勢を崩す。しかし、多勢に無勢。じりじりと追い詰められていく。


「ミレーユお姉ちゃん!」

 恐怖で足がすくんでいたキルヴァンだったが、ミレーユの危機を目の当たりにし、全身の血が沸騰するような感覚に襲われた。

「僕が、僕が守るんだ!」

 小さな口から、これまでで一番大きな炎が轟音と共に放たれた!それはチンピラたちの足元を焼き、彼らを怯ませるには十分だった。

「な、なんだこのガキ!」


 しかし、キルヴァンの炎はまだ制御が甘い。勢い余った炎の一部が、近くの市場の露店に積んであった果物に燃え移ってしまったのだ!

「うわぁぁ!火事だ!」

「龍族が暴れてるぞ!」

 市場は一瞬にしてパニックに陥った。焦げた果物の匂いと、人々の悲鳴。チンピラたちはその混乱に乗じて逃げ去った。

「ち、違うんだ!僕は……!」

 キルヴァンは自分のしでかしたことに愕然とし、顔面蒼白になる。

 ミレーユは燃え移った火を素早く消し止めると、集まってきた市場の商人たちに必死に頭を下げた。

「申し訳ありません!この子が先に襲われたのです!弁償は必ずいたします!」

 彼女の必死の訴えと、明らかに怯えているキルヴァンの姿に、商人たちも次第に冷静さを取り戻したが、龍族への不信感を滲ませた視線は痛いほどだった。


 傷つき、そして何より市場の人々の冷たい視線に心を痛めたミレーユとキルヴァンは、トボトボと「炎の一献」へと帰還した。

「……というわけです、店主」

 ミレーユの報告を聞いたレガルドの顔は、怒りで赤黒く変色していた。だが、それ以上に、二人を危険な目に遭わせたことへの自責の念が彼を苦しめていた。

「僕のせいだ……僕がちゃんと炎をコントロールできなかったから……」

 キルヴァンは、ぽろぽろと大粒の涙をこぼし、レガルドの足元に泣き崩れた。


「ふむ……アストリッド、という名か。どうやら、その人間保守団体のリーダーは、ちと厄介な過去を背負っておるようじゃな」

 話を聞いていたゼノヴィオスが、静かに顎鬚を撫でながら呟いた。その名に、何か心当たりがあるらしい。

「わしの方で、そのアストリッドなる人物と団体のことを詳しく調べてみよう」


 レガルドは、ミレーユが差し出した「月雫草」を、震える手で受け取った。その青白い輝きが、今のレガルドにはやけに眩しく感じられた。

 彼はゆっくりとキルヴァンの前に屈み、その小さな肩を抱いた。

「キルヴァン。お前は、ミレーユを守ろうとした。その勇気は本物だ。失敗は誰にでもある。だが、そこから何を学ぶかが肝心なんだ」

 そして、ミレーユに向き直る。

「ミレーユ殿。今回も、あんたの機転と勇気に助けられた。感謝する。……そして、すまなかった」

 レガルドが深々と頭を下げると、ミレーユは慌ててそれを制した。

「滅相もございません。これも、副店長としての務めですわ」


 レガルドは「月雫草」を高く掲げ、決意を込めて言った。

「この薬草は無駄にはしない。必ず、最高の料理を完成させてみせる。それが、お前たちの勇気への俺なりの応えだ」

 その言葉に、キルヴァンは顔を上げた。涙でぐしゃぐしゃの顔だったが、その瞳には新たな決意の光が宿っていた。

「おじさん……僕、もっと強くなる!もっともっと練習して、今度こそ、おじさんとミレーユお姉ちゃんを守れるようになるんだ!」

 それは、幼き龍の魂の叫びだった。

「炎の一献」の暖炉の炎が、まるでその誓いに応えるかのように、ひときわ力強く燃え上がった。

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