第27話 絶望を照らす灯火、四つの魂
マルバスが作り出した「絶望の鏡」に映し出されたのは、あまりにも残酷な真実だった。制御を失った炎、燃え盛る村、そして、自らが引き起こした悲劇の中心で絶叫する、若き日のレガルドの姿。それは、彼が三百年の長きにわたり、その魂の最も深い場所に封じ込めてきた、決して癒えることのない傷痕だった。
「おじさん……」
キルヴァンの小さな体は、鏡から流れ込んでくるレガルドの絶望に共鳴し、わなわなと震えた。その場に膝をつき、呼吸さえままならない。敬愛する店主が、これほどまでの苦しみを一人で抱え続けていたという事実が、彼の心を容赦なく打ちのめす。
ミレーユもまた、血の気が引くのを感じていた。レガルドが時折見せた、遠くを見るような寂しげな眼差し。その理由が、今、痛いほどに分かってしまった。胸が張り裂けそうだ。
「レガルドの旦那……てめえ、そんな顔してやがったのかよ……」
シリウスは唇を噛み締め、やり場のない怒りに戦斧の柄を強く握りしめる。ゼノヴィオスもまた、友の知られざる苦悩に、ただ静かに目を伏せるしかなかった。
「素晴らしい!素晴らしいでしょう!これぞ英雄の魂の裏側!この純粋で濃密な絶望こそが、龍脈を汚染し、『終焉の黒龍』様を完全に目覚めさせるための、最後の鍵なのです!」
マルバスは、恍惚とした表情で両手を広げ、仲間たちの絶望を愉しんでいた。
だが、キルヴァンは、膝をついたまま、ゆっくりと顔を上げた。その瞳からは大粒の涙が流れ落ちていたが、もう絶望の色はなかった。夢の中でレガルドから託された言葉が、魂の奥底で力強く響いていた。
『俺の絶望の隣には、常にお前たちという希望があった』
「……違うよ、マルバス」
キルヴァンの震える声が、龍脈の心臓部に響き渡った。
「おじさんの絶望は、これで終わりじゃない。この悲しみがあったから……この苦しみがあったから、おじさんは誰よりも優しくなろうとしたんだ!二度と誰も傷つけないように、みんなを笑顔にするために、温かい料理を作ろうって決めたんだ!」
キルヴァンの言葉に、ミレーユ、シリウス、ゼノヴィオスもハッとして顔を上げる。そうだ、自分たちが知っているレガルドは、この絶望に打ちひしがれた竜ではない。この絶望を乗り越えようと、不器用に、しかし懸命に戦い続けてきた、温かくて優しい、世界一の料理人なのだ。
「おじさんの絶望も、悲しみも、後悔も……僕たちが、全部受け止める!」
キルヴァンは、力強く立ち上がった。そして、「絶望の鏡」に向かって、これまでで最も純粋で、最も温かい、白金の炎を放った。
それは、攻撃の炎ではなかった。鏡に映る悲劇の光景を消し去るのではなく、その燃え盛る村に、まるで慈愛に満ちた雪が降るかのように優しく降り注ぎ、炎に焼かれた魂を鎮め、絶叫する若きレガルドの心を、そっと包み込むかのような、あまりにも優しい光だった。
「なっ……馬鹿な!絶望を希望で上書きするなど……ありえない!私の芸術が!私の美学がァァァ!」
マルバスが、初めて狼狽の声を上げた。「絶望の鏡」は、キルヴァンの純粋すぎる「希望の光」を受け止めきれず、その黒い鏡面に大きな亀裂が走り始めた!
精神攻撃を打ち破られたマルバスは、ついにその怜悧な仮面をかなぐり捨て、剥き出しの怒りを爆発させた。
「許さん……許さんぞ、虫けらどもッ!私の完璧な計画を、私の芸術を汚した罪、その命をもって償わせてくれる!」
彼は指揮台から飛び降り、その衝撃で銀色の仮面が砕け散る。露わになったその素顔には、龍脈の瘴気に蝕まれた禍々しい紋様が刻まれ、その瞳は狂信的な光で爛々と輝いていた。マルバスの全身から紫黒色の瘴気が噴き出し、龍脈の負のエネルギーを直接その身に取り込み始めた!
「皆さん、最後の戦いです!レガルド様を、そしてこの街を救うために!」
ミレーユの号令が飛ぶ。
「おうよ!」「覚悟はできておる!」「うん!」
四人の魂は、レガルドという中心を欠いたまま、しかし、これまでで最も強く、固く、一つになっていた。
シリウスが大地を蹴り、ゼノヴィオスが風の呪文を詠唱し、ミレーユが短剣を構えて死角を狙う。そしてキルヴァンは、仲間たちを、そしてレガルドを信じる全ての想いを込めて、白金の炎を燃え上がらせた。
「無駄だ!この龍脈の心臓部で、負のエネルギーそのものである私に勝てるものか!」
瘴気を纏い、人ならざる力で襲いかかってくるマルバスに、四人の連携攻撃が叩き込まれる。光と闇が激しく交錯し、龍脈の心臓部全体が終末のように揺れ動いた。
その時、キルヴァンの白金の炎が、仲間たちのレガルドを想う心に、そして脈動する龍脈の清浄なエネルギーそのものに共鳴し、奇跡を起こした。
白金の炎は、徐々に、しかし確実に、その色を変え始めたのだ。
それは、かつてレガルドがその身に纏っていた、あの温かくも力強い――黄金色の輝きだった。
遠く霧隠れ山脈で、終焉の龍を抑え込み続ける黄金の光の柱が、まるでこの地下の戦いに応えるかのように、ひときわ強く、天へと向かって輝きを放った。




