第25話 希望のオーバーロード、砕け散る芸術
「おじさん……見てて……!これが僕の…僕たちの炎だ!」
キルヴァンが放ったのは、もはや敵を焼き尽くすための憎悪の炎ではなかった。それは、仲間を守りたい、この美しい龍脈を元の姿に戻したい、そして何より、遠くにいる敬愛する店主の心を温めたいという、純粋な願いそのものが形となった、白金の光の奔流だった。
その温かく、しかし強大な生命エネルギーが、黒曜石のゴーレムの足元にある水晶盤へと絶え間なく注ぎ込まれていく。
「な……なんだ、これは……!?攻撃ではない……?純粋な生命エネルギーだと……!?馬鹿な、私の計算では、浄化の炎は瘴気と対消滅するか、あるいは負のエネルギーに変換されるはず……!」
水晶球を通してその様子を見ていたマルバスの顔から、ついに余裕という名の仮面が剥がれ落ちた。彼の完璧なはずだったエネルギー循環式が、想定外の「燃料」によって、暴走を始めたのだ。
ギシギシ、ギギギ……!
黒曜石のゴーレムが、内部から軋むような悲鳴を上げ始める。過剰な生命エネルギーを供給され続けた全身の紫色の紋様は、危険な赤色へと変色し、激しく明滅を繰り返していた。中央に浮かぶ鏡面の呪具もまた、増幅しすぎたエネルギーに耐えきれず、その美しい鏡面に無数のひびが走り始めた。
「グオオオオオッ!」
制御を失ったゴーレムは、苦しげに暴れ回り、周囲の巨大な水晶をなぎ倒し、砕いていく。洞窟全体が激しく揺れ、天井から水晶の破片が雨のように降り注ぎ始めた。
「今だ!最後の仕上げはドワーフの仕事だぜ!」
ミレーユの指示を待つまでもなく、シリウスが叫んだ!
「ゼノヴィオス殿、ひとっ飛び頼む!」
「任されよ!」
ゼノヴィオスが最後の魔力を振り絞り、風の渦を巻き起こす。シリウスはその突風に乗り、まるで砲弾のように、ひび割れた鏡面の呪具の台座へと跳躍した!
「くらえやぁぁぁッ!これがお前の墓石だ!」
シリウスの渾身の一撃が、呪具の台座を直撃!ゴウッという凄まじい破壊音と共に、呪具は物理的に粉砕された。
エネルギーの供給源と増幅装置を同時に失い、暴走したエネルギーの行き場がなくなった黒曜石のゴーレムは、その巨体を大きくのけぞらせた。
そして――
それは、爆発ではなかった。
ゴーレムは、紫黒色の瘴気を撒き散らす代わりに、キルヴァンの白金の炎に呼応するかのように、その黒曜石の体そのものが内側から眩い光となって砕け散ったのだ。
無数の光の粒子が、水晶洞に舞い踊る。その光が、洞窟中の水晶に幾重にも乱反射し、まるで銀河が生まれる瞬間に立ち会っているかのような、美しくも荘厳な光景が広がった。
瘴気は完全に浄化され、第二の龍穴は、本来の、静かで清らかな輝きを取り戻した。
「……なんと……美しい……」
水晶球の向こうで、マルバスは自身の最高傑作が芸術的な光となって消滅する様を、呆然と、しかしどこか恍惚とした表情で見つめていた。
「絶望から生まれた私の作品が、希望の光となって散るとは……。これもまた、一つの芸術の形か……。フフフ……ハハハハ!」
彼はやがて我に返ると、狂気と、そして新たな愉悦に満ちた目で、疲弊しきったミレーユたちを睨みつけた。
「見事です、炎の一献の皆さん。私の計算を超えた、『心』などという不確定要素が、この結果を招いた。実にあっぱれだ。……だが、これで終わりではありません」
マルバスの口元が、三日月のように歪む。
「最後の龍穴は、この都市の龍脈のまさに『ヘソ』。そして、そこには私の集大成にして、あなた方の最も愛する『あの男』の魂の絶望を映し出す、特別な『鏡』を用意しておきました。せいぜい、希望の先にある真の絶望を、心ゆくまで味わうがいい!」
その言葉を最後に、水晶球の映像はプツリと途切れ、マルバスとの通信は完全に断たれた。
「レガルド様の……絶望……?」
ミレーユは、マルバスが残した不吉な言葉に、戦慄を覚えた。
その時、キルヴァンが、天を仰ぐように「あっ!」と声を上げた。
「おじさんの光が……!すごく、すごく力強く輝いてる!僕たちのこと、見ててくれてるんだ!喜んでるんだ!」
第二の龍穴が完全に浄化された瞬間、キルヴァンは再び、そして今度はより強く、遠く霧隠れ山脈の黄金の光の柱が力強く輝くのを、魂で感じ取っていたのだ。
仲間たちは、その言葉に安堵し、つかの間の勝利を静かに分かち合った。
だが、キルヴァンは喜びの声を上げた直後、ふらりと体勢を崩し、その場に倒れ込んでしまった。
「キルヴァン君!」
「小僧っ子!」
ミレーユとシリウスが慌てて彼を支える。彼の体は火のように熱く、明らかに限界以上の力を使い果たしていた。彼の浄化の炎は、その優しさと引き換えに、術者の魂に大きな負担を強いるのかもしれない。
ミレーユは、眠るキルヴァンの額の汗を拭いながら、決意を新たにした。最後の龍穴――そこには、マルバスの言う通り、これまでで最も過酷な試練が待っているだろう。レガルド自身の絶望と向き合うことになるのかもしれない。
それでも、行かねばならない。仲間たちの、そして何よりも、遠い空の下で戦い続けている愛すべき店主の魂を救うために。
一行は、傷ついた体を休ませながら、最後の決戦の地、龍脈の心臓部へと向かう覚悟を静かに固めるのだった。




