第21話 贖罪の光、夜明けへの帰還
「もう、終わらせる……私が、始めたことだから……!」
アストリッドの悲痛な、しかしどこまでも澄み切った声が、轟音の中で響き渡った。彼女は、暴走するドゥルザグ・リボーンの核――胸で禍々しく輝く紫黒色のクリスタルへと、ためらいなくその両手を伸ばした。
「やめて、アストリッドさん!」
ミレーユの絶叫も、もう彼女には届かない。
アストリッドの指先がクリスタルに触れた瞬間、彼女の体はまるでロウソクの最後の輝きのように、眩い光に包まれた!それは、キルヴァンの白金の炎とはまた違う、彼女自身の魂を燃焼させる、あまりにも儚く、そして美しい贖罪の光だった。
(父様、母様……私は、間違っていた……。憎しみに囚われ、多くの人を傷つけた……。せめて、せめて最後くらいは……この過ちを、私の魂で……償わせて……)
彼女の心からの願いが、光の奔流となってクリスタルへと流れ込む。マルバスに植え付けられた憎悪の瘴気と、彼女自身の魂の光が、核の内部で激しく衝突し、その存在を内側から破壊し始めた!
「グ……オオオオオオオッ!?」
ドゥルザグ・リボーンが、初めて明確な苦悶の咆哮を上げた。その巨体は激しく痙攣し、全身の継ぎ目から紫黒色の瘴気が噴き出す。
「チッ…!あの女、自らの魂を起爆剤にしおったか!私の最高傑作が……!」
指揮台から吹き飛ばされたマルバスが、忌々しげに吐き捨て、体勢を立て直す。だが、もはや彼にもこの崩壊は止められない。
「ですが、これで終わりではありませんよ!覚えておくといい!『黒曜の爪』の計画は、まだ始まったばかり……そして、あなた方の希望の古代竜も、いずれは我らがその魂を頂戴するこt――」
マルバスの捨て台詞は、ドゥルザグ・リボーンが引き起こした大爆発の轟音によって、最後までかき消された。彼は、崩れ落ちる瓦礫の中、隠し通路から素早くその姿を消していた。
ズゥゥゥゥゥンッ!という地響きと共に、ドゥルザグ・リボーンの巨体は完全に崩壊し、その瘴気はアストリッドの最後の光と共に中和され、消滅していった。
後に残されたのは、半壊した地下工房と、深い静寂だけだった。
アストリッドの姿もまた、光と共に消え去っていた。ただ、彼女がいた場所には、浄化された小さな光の粒子が、雪のように静かに舞い落ちているだけだった。
「……終わった……のか?」
シリウスが、戦斧を杖代わりにその場に座り込む。彼の全身は傷だらけだったが、その顔には安堵の色が浮かんでいた。
「アストリッド……殿……」
ゼノヴィオスが、光の粒子が舞う空間に向かって、静かに頭を垂れた。
勝利の歓声は、どこからも上がらなかった。ただ、敵であった一人の女性の、あまりにも悲しい最期に対する、深い哀悼の念が、仲間たちの心を支配していた。
「僕の……せいだ……」
キルヴァンが、ぽろぽろと涙をこぼし始めた。「僕の炎が……アストリッドさんを……死なせちゃったんだ……」
その小さな背中を、ミレーユが優しく抱きしめた。
「ううん、違うわ、キルヴァン君。あなたの炎は、彼女を殺したんじゃない。マルバスの憎悪の呪縛から、彼女の心を救ったのよ。だから彼女は、最後に自分の意志で、自分の道を選ぶことができたの。……あなたは、彼女の魂を救ったのよ」
ミレーユ自身の声も震えていたが、その言葉はキルヴァンの心を温かく包み込んだ。
しばらくして、一行はマルバスが逃走した後の指揮台や工房の調査を始めた。そこには、彼の計画の断片を示す焼け焦げた書類や、グリュム・シティの地下構造を示す奇妙な地図、そして「黒曜の爪」の上層部との通信記録が収められた魔晶石の破片などが残されていた。
「これは……」
ゼノヴィオスが魔晶石の破片に僅かな魔力を注ぐと、マルバスと、さらに高位の幹部らしき人物との会話の断片が、かろうじて再生された。
『……龍脈の汚染は順調ですかな、マルバス』
『はっ。このグリュム・シティの地下を走る龍脈を完全に制御下に置けば、聖域で失ったエネルギーを補って余りあります。いずれは、この龍脈の力で、新たな『器』を……』
「奴らの次の狙いは、やはり龍脈そのものか!」ゼノヴィオスが険しい表情で呟く。「この都市の生命線を汚染し、第二、第三のドゥルザグを生み出すつもりやもしれんぞ!」
仲間たちは、アストリッドの魂が舞う光の粒子に静かな祈りを捧げると、重い足取りで地下工房を後にした。
崩壊した壁を抜け、「炎の一献」の地下貯蔵庫へと戻った瞬間、そこにはいつもの店の、ひんやりとしながらもどこか温かい空気が流れていた。まるで、長い悪夢から覚めたかのようだった。
地上へと続く階段を上り、久しぶりに見る夜明け前の空は、深い藍色に染まっていた。
ミレーユは、持ち帰った通信記録の魔晶石の破片を、ランプの光にかざしていた。その時、彼女は記録の末尾に、ほとんど消えかかっていた別のファイルが残っていることに気づいた。それは、マルバスのものではなく、聖域を監視していた別の部隊からの報告書のようだった。
『――対象Gの魂エネルギーは安定。ただし、聖域の結界と融合し、物理的干渉は不可能。周囲に純粋な浄化の波動を継続的に観測。我々の計画への障害となりうるため、接触は時期尚早と判断――』
「……対象G……ゴールド……黄金の光の柱……」
ミレーユの心臓が、大きく高鳴った。
「レガルド様は……!」
彼女は、仲間たちの方を振り返った。その瞳には、もう悲しみの色はない。そこには、夜明けの空を貫くかのような、新たな、そしてより強い希望の光が宿っていた。
「レガルド様は、生きている……!そして、霧隠れ山脈で、たった一人で戦い続けているんだわ!」
レガルドは生きている。しかし、「黒曜の爪」の脅威は去ってはいない。
ミレーユ、キルヴァン、シリウス、そしてゼノヴィオス。残された仲間たちは、顔を見合わせた。言葉はなくとも、その心は一つだった。
「炎の一献」の灯りを守り、レガルドの帰りを信じ、そして、この愛すべき街を、邪悪な陰謀から守り抜く。
彼らの新たな戦いの誓いが、夜明け前の静かな店に、力強く灯った。




