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第19話 憎悪の檻、浄化の呼び声

 工房の奥の巨大な鉄扉が軋みながら完全に開け放たれると、そこに立っていたのは、まさしく悪夢そのものだった。

「さあ、ショータイムの始まりです。私の最高傑作、『ドゥルザグ・リボーン』が、あなた方の魂を美味しく頂戴いたしますよ!」

 マルバスの甲高い声が、まるで不吉なオペラの開演を告げるかのように響き渡る。


 ドゥルザグ・リボーン――その姿は、聖域でレガルドが辛うじて活動を停止させた「魂喰らいのドゥルザグ」の禍々しさを色濃く残しつつも、さらに歪で冒涜的なものへと変貌を遂げていた。折れた角の代わりに埋め込まれた紫黒色のクリスタルが不気味な光を明滅させ、全身の鱗は黒曜石のような鈍い輝きと、ぬらりとした粘液のような瘴気を纏っている。背中には、様々な魔獣から移植されたと思しき歪な翼や触手が蠢き、そのアンバランスな巨体からは、以前にも増して濃密な、魂を凍てつかせるようなプレッシャーが放たれていた。

「グゥオオオォォォ……!」

 地獄の底から響くような低い唸り声と共に、ドゥルザグ・リボーンがその巨体を揺らし、ミレーユたちへとその腐ったような赤い双眸を向けた。


「くそっ……あの化け物が……さらにタチが悪くなってやがる……!」

 シリウスが戦斧を握りしめ、忌々しげに吐き捨てる。聖域での死闘の記憶が蘇り、彼の額には再び脂汗が滲んだ。あの時はレガルドがいた。だが、今は――。

「これほどの邪気……聖域の封印が弱まった影響で、より純粋な負のエネルギーを取り込んでおるのか……!」

 ゼノヴィオスもまた、老練な顔に深い絶望の色を浮かべていた。彼の風魔法も、これほど濃密な瘴気の前では、その多くが無力化されてしまうだろう。


 ドゥルザグ・リボーンは、その歪な翼を一度はためかせると、突風と共に瘴気のブレスを吐き出してきた!

「キルヴァン君、危ない!」

 ミレーユが叫ぶのと同時に、シリウスがキルヴァンの前に飛び出し、戦斧を盾のように構えてブレスを受け止める。

「ぐおおおっ!このドワーフのシリウス様がいる限り、てめえらみてえな出来損ないに、指一本触れさせねえぜ!」

 シリウスは吠えるが、瘴気のブレスは彼の戦斧をじりじりと腐食させ、その衝撃で彼の体は大きく後退した。その口の端からは、赤い血が滲んでいる。


「シリウスのおじちゃん!」

 キルヴァンは恐怖で体が竦みそうになるのを必死に堪えた。レガルドの「炎は心で対話するんだ」という言葉、ミレーユの「あなたならできるわ」という励まし、そしてシリウスの身を挺した守り。それらが、彼の小さな胸の中で熱い勇気へと変わっていく。

「僕だって……僕だって、みんなを守りたいんだ!」

 キルヴァンは両手を前に突き出し、ありったけの精神を集中させる。その小さな体から放たれたのは、もはやただの火ではない。それは、仲間を想う純粋な心が結晶化したかのような、白金の輝きを帯びた浄化の炎だった。

 炎は瘴気のブレスと激突し、バチバチと激しい音を立てて互いを打ち消し合った!ドゥルザグ・リボーンの瘴気が、ほんのわずかだが、その勢いを弱めたように見えた。


「ほう……あの小さな龍の子の炎、興味深いですねぇ」

 マルバスは指揮台の上で、まるで珍しい昆虫でも観察するかのように目を細めている。「ですが、それだけでこの『ドゥルザグ・リボーン』を止められるとでも?」

 彼は嘲るように鼻を鳴らし、ドゥルザグ・リボーンに更なる攻撃を指示する。


 ミレーユは、絶望的な戦況の中でも冷静さを失っていなかった。彼女の鋭い観察眼は、キルヴァンの浄化の炎が、檻の中のアストリッドらしき人物に微かな反応を与えたことを見逃してはいなかった。

(あの時……確かに彼女の指が動いた。そして、マルバスの言葉……アストリッドさんは『特別な素材』で『調整中』……。もしかしたら、彼女の意識は完全に奪われているわけではないのかもしれない!)

「キルヴァン君!」ミレーユは叫んだ。「もう一度、あなたの炎を、あちらの檻の中にいる方に……!お願い、彼女の心を呼び覚まして!」

「え……?アストリッドに……?」

 キルヴァンは一瞬戸惑った。アストリッドは、デモを扇動し、自分たちを苦しめた敵のはずだ。だが、ミレーユの真剣な眼差しと、檻の中で虚ろな表情を浮かべるアストリッドの痛々しい姿を見て、彼は頷いた。

「わ、わかったよ、ミレーユお姉ちゃん!」


 キルヴァンは、ドゥルザグ・リボーンの隙を窺い、再び浄化の炎を集中させる。その白金の炎は、一直線にアストリッドが囚われている檻へと向かい、彼女の全身を優しく包み込んだ。

「う……うう……ああ……っ!」

 アストリッドの体が、まるで感電したかのように激しく痙攣し始めた。彼女は苦悶の表情を浮かべ、頭をかきむしる。その虚ろだった瞳の奥で、様々な感情が激しく交錯し、強い光と深い闇がせめぎ合っているのが見て取れた。

「龍……龍族は……皆殺しに……!父様……母様……!いや……違う……これは……私の記憶……?私は……私は一体……何を……!?」

 アストリッドが、混乱したように叫び声を上げる。


「おやおや、これはこれは。少し刺激が強すぎましたかね?」マルバスは、その様子を見てクツクツと喉を鳴らして笑っている。「ですが、その魂の揺らぎ、その葛藤こそ、最高のスパイス!さあ、目覚めなさい、新たなる悲劇の歌姫よ!その憎悪で、世界を赤く染め上げるのです!」

 マルバスの声が、まるで呪詛のようにアストリッドの意識に働きかけようとする。


「アストリッドさん!しっかりしてください!」ミレーユが必死に呼びかける。「あなたは『黒曜の爪』に利用されているだけです!彼らはあなたの悲しみを、憎しみを、ただの道具として使っているのです!本当の敵は誰なのか、思い出してください!あなたの家族を本当に奪ったのは……!」


 ミレーユの言葉と、キルヴァンの浄化の炎。その二つが、アストリッドの閉ざされた心の扉をこじ開けようとしていた。彼女の瞳の奥で、狂気と憎悪に塗り込められていた本来の強い意志の光が、まるで嵐の中の灯台のように、明滅を繰り返す。

 そして――

「マルバス……貴様だけは……!」

 アストリッドが、獣のような低い唸り声を上げた。その瞳は、もはや虚ろではない。そこには、マルバスに対する、燃えるような、純粋な憎悪の色が浮かんでいた。

「貴様だけは……私がこの手で……必ず……ッ!」

 彼女が絶叫と共に檻の鉄格子を掴んだ瞬間、その華奢な体から、禍々しい紫黒色の瘴気と共に、しかしどこか清冽な、強い意志の光が迸った!


 ドゥルザグ・リボーンの動きが、ピタリと止まった。まるで主人の異変に気づいたかのように。

 マルバスの表情から、初めて余裕の色が消えた。

「まさか……あの女、私の精神支配を……自力で振りほどいたというのか……!?ありえん……私の完璧な『調整』が……!」

 アストリッドの覚醒は、マルバスの計画に大きな、そして致命的な誤算を生じさせたのかもしれない。

 だが、それは同時に、新たな、そして予測不能な脅威の始まりでもあった。アストリッドの瞳はマルバスへの憎悪に燃えているが、その全身から放たれる気配は、依然として危険なほどに不安定だった。

 そして、その異変に呼応するかのように、ドゥルザグ・リボーンが、制御を失ったかのように、さらに凶暴な、甲高い咆哮を上げた!その赤い双眸が、アストリッドと、そしてミレーユたちを等しく敵と見なしたかのように、無差別の破壊を始めようとしていた。

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