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第17話 蠢く地下迷宮、黒曜の罠

「この瘴気は……間違いない、奴らのものだ!」

 ミレーユは、地下貯蔵庫の壁の亀裂から漏れ出す紫黒色の瘴気を睨みつけ、戦慄を隠せない。それは、霧隠れ山脈の聖域で感じた、「黒曜の爪」の邪悪な気配そのものだった。壁の奥からは、地響きと共に、何かが巨大な体を引きずるような音、そして鎖が擦れるような金属音が、不気味に響いてくる。時折混じる、獣の苦悶とも人間の呻きともつかぬ声が、一同の恐怖をさらに煽った。


「ひぃぃ……な、なんだか、すごく嫌な感じがするよぅ……」

 キルヴァンは、本能的な恐怖に小さな体を震わせ、ミレーユのローブの裾をギュッと握りしめた。その顔は青ざめ、額には脂汗が滲んでいる。

「落ち着け、キルヴァン君。大丈夫、私たちがついているわ」

 ミレーユは気丈に声をかけるが、彼女自身もまた、得体の知れない脅威を前に、背筋が凍るような感覚を覚えていた。


「炎の一献」のテーブルを囲み、四人は緊急の作戦会議を開いた。ランプの灯りが、それぞれの緊張した顔をぼんやりと照らし出す。

「このままじゃ、瘴気が店に充満するのも時間の問題だ。最悪、地上にまで漏れ出しちまうかもしれねえ」

 シリウスが、苦々しげに吐き捨てる。

「うむ。そして、壁の向こうの『何か』が地上に出てこないとも限らん」

 ゼノヴィオスもまた、深刻な表情で頷いた。

「よし、決めた!ドワーフの血が騒ぐぜ!こんな気味の悪いもんが店の地下に居座ってるなんて、我慢ならねえ!俺様がこの壁をぶち破って、正体を確かめてきてやる!」

 シリウスが愛用の戦斧を担ぎ上げ、息巻いた。

「待ちなさい、シリウスさん!」ミレーユが慌てて制する。「相手はあの『黒曜の爪』です。無策に突っ込めば、それこそ彼らの思う壺やもしれません」

「ふん、臆病風に吹かれたか、人間の娘っ子」

「臆病なのではありません、慎重なのです。レガルド様がいらっしゃれば、あるいは力でねじ伏せることもできたでしょう。ですが、今の私たちにそれは望めません」

 その言葉に、シリウスもぐっと言葉を詰まらせる。レガルドの不在は、今もなお重く彼らにのしかかっていた。


 ミレーユは、気を取り直して元王宮の書庫から持ち出していたグリュム・シティの古地図と、政府から入手した最新の地質調査データをテーブルに広げた。

「この店の地下は、かつて忘れ去られた古代の地下水路の一部と繋がっている可能性があります。そして、その水路は、グリュム・シティの龍脈の近くを走っている……。『黒曜の爪』の狙いは、あるいはその龍脈なのかもしれません」

「龍脈を……じゃと?」ゼノヴィオスが目を見開く。「もし龍脈を汚染されたり、悪用されたりすれば、この都市そのものが……!」


「とにかく、まずは壁の向こうの状況を確かめる必要があるな」

 シリウスが、今度は少し冷静さを取り戻して言った。

「よろしい。私がドワーフの技で、慎重に壁に小さな穴を開けよう。そこから中の様子をうかがうのだ」

 ゼノヴィオスも頷き、キルヴァンに声をかける。

「キルヴァンよ、お主の炎には、聖域での戦いで浄化の力が宿ったようじゃったな。もし瘴気が噴き出してきても、お主の炎で勢いを弱められるか?」

「う、うん!やってみる!」

 キルヴァンは恐怖を押し殺し、小さな胸を張った。


 シリウスが特殊な工具を使い、慎重に、音を立てないように壁の一部を削り始めた。やがて、指先ほどの小さな穴が開いた瞬間、プシューッ!という音と共に、予想以上の勢いで紫黒色の瘴気が噴き出してきた!

「うわっ!」

「キルヴァン君!」

 ミレーユの叫びに応え、キルヴァンが即座に穴へ向けて白金の炎を放つ。不思議なことに、彼の炎が瘴気に触れると、瘴気はまるで霧が晴れるかのように中和され、その勢いが弱まった。

「やった……!僕の炎が……!」

 キルヴァンの顔に、驚きと喜びの色が浮かぶ。

「見事じゃ、キルヴァン!お主の炎は、確かにレガルド殿の力を受け継いでおる!」

 ゼノヴィオスが称賛の声を上げた。


 穴から内部を覗き込んだシリウスが、息をのむ。

「……こいつは、ひでえ。水路なんてもんじゃねえ。奴ら、ここを秘密の工房にしやがってやがる」

 穴を広げ、松明とシリウスが持つ発光性の鉱石を頼りに、四人は覚悟を決めて壁の向こう側――薄暗く、カビと瘴気の匂いが充満する地下空間へと足を踏み入れた。

 そこは、古代の地下水路を拡張し、無数の奇妙な機械や器具が並べられた、まさしく「黒曜の爪」の秘密工房だった。壁には禍々しい紋様が描かれ、床には用途不明の魔法陣のようなものがいくつも刻まれている。そして、その奥には、複数の鉄格子のはまった檻が並んでいた。


 檻の中には、瘴気によって全身が黒ずみ、ぐったりと弱りきった様々な魔獣たちが捕らえられていた。グリフォン、コカトリス、中には小型のワイバーンまでいる。彼らは「黒曜の爪」によって、何かの実験体にされているのだろうか。その苦悶に満ちた瞳が、ミレーユたちの胸を締め付けた。

「なんということだ……生き物を弄ぶとは、許せん!」

 レガルドがいれば、間違いなくそう言って怒りを爆発させたであろう光景だった。


 一行は、さらに警戒しながら工房の奥へと進む。すると、ひときわ頑丈そうな鉄格子で囲われた、特別な檻が一つあった。その中には、ぼろぼろの衣服を纏い、長い髪を振り乱してうずくまる人影が……。

「……まさか」

 ミレーユが息をのむ。その姿は、行方不明となっていた人間保守団体の元リーダー、アストリッドに酷似していたのだ。しかし、その顔は瘴気によって酷くやつれ、虚ろな瞳には生気が感じられない。


「アストリッドさん……!?」

 ミレーユが思わず声をかけ、檻に近づこうとした、その瞬間だった。

 ジリリリリリリッ!

 工房全体に、耳をつんざくような甲高い警報音が鳴り響いた!床に刻まれた魔法陣が赤い光を放ち、入り口は分厚い鉄の扉で塞がれてしまう。

「しまった、罠か!」シリウスが叫ぶ。

 同時に、工房の四方八方から、黒装束に身を包んだ「黒曜の爪」の戦闘員たちが、奇妙な武器を手に次々と姿を現した!その数は、聖域でミレーユを襲った者たちよりも遥かに多い。


 そして、工房の奥、一段高い場所に設けられた指揮台のような場所から、ゆっくりと一人の男が姿を現した。黒いローブに身を包み、顔半分を銀色の仮面で覆っているが、その鋭い眼光と、口元に浮かべた冷酷な笑みは隠しようもない。それは、ドゥルザグを操っていた女の声の主とは明らかに別人だった。より怜悧で、計算高い、知将といった雰囲気を漂わせている。

「ようこそ、招かれざる客人の皆さん。我が名はマルバス。『黒曜の爪』グリュム・シティ支部長にして、この『魂の鋳造所』の管理責任者だ」

 マルバスと名乗る男は、芝居がかった仕草で一礼すると、嘲るような視線を四人に向けた。

「レガルドとかいう古代竜がいないと聞いていたが……まさか、こんな子供と女、老いぼれドワーフに年寄りのトカゲだけで乗り込んでくるとは。勇敢なのか、それともただの愚か者なのか」

 マルバスの言葉に、シリウスが激昂する。

「誰が老いぼれドワーフだ、このタコ仮面野郎!」

「おっと、お行儀が悪いですね。ですが、ご安心を。あなた方には、これから我が最新作の素晴らしい『作品』たちの、最初の観客となっていただきますから」

 マルバスが指を鳴らすと、捕らえられていた魔獣たちの檻が、不気味な音を立てて開き始めた!魔獣たちの目は虚ろだが、その体からは先ほどまでとは比較にならないほど強大な瘴気が立ち上り、明らかに何らかの強化改造を施されているのが分かった。

 絶体絶命。レガルド不在の「炎の一献」の仲間たちは、地下の迷宮で、狡猾な敵の罠に完全に囚われてしまったのだ。

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