第11話 霧中の死闘、聖域の秘密
「来るぞ!総員、戦闘準備!」
レガルドの号令が、霧深き聖域の谷間に響き渡った。その言葉が終わるか終わらないかのうちに、霧の奥から飛び出してきた異形の影たちが、甲高い咆哮と共に一行に襲いかかった!
それは、まるで悪夢から抜け出してきたかのようなおぞましい姿だった。狼のような体に蝙蝠の翼が生え、蛇の尾を持つもの。全身がぬらりとした黒い粘液に覆われ、無数の赤い眼を不気味に光らせる不定形の塊。あるいは、古木の幹に獣の頭蓋骨が融合したかのような、奇怪な怪物。共通しているのは、全身から立ち上る邪悪な瘴気と、獲物に対する剥き出しの敵意だけだった。
「うわっ!なんだこいつら!?」
シリウスが戦斧を構え、驚愕の声を上げる。
「瘴気に当てられるな!心をしっかり持て!」
レガルドが叫びながら先陣を切り、人型のままとは思えぬ俊敏さで異形の一体に飛びかかった。古代竜の膂力を込めた拳が怪物の脇腹を捉え、鈍い音と共に吹き飛ばす!
霧で視界が悪い中、乱戦が始まった。
ミレーユは短剣を抜き放ち、冷静に敵の動きを観察する。「キルヴァン君、右後方から二体接近!ゼノヴィオス様、あの翼を持つタイプは飛行能力があります、ご注意を!」彼女の的確な指示が、混乱しがちな戦場に一筋の秩序をもたらす。
「わ、わかったよ、ミレーユお姉ちゃん!」
キルヴァンは恐怖で震える足を叱咤し、練習の成果を見せようと炎を放つ。それはまだ小さな火球だったが、狙いは正確で、一体の怪物の顔面を焼き、怯ませた。
「小僧っ子、いいぞ!だが調子に乗るな!」
シリウスが、キルヴァンの背後から迫っていた別の怪物を戦斧で豪快に叩き伏せる。ドワーフの戦士は、その小柄な体に似合わぬ怪力で、次々と敵を薙ぎ倒していく。
「風よ、彼の者らの目をくらませ!レガルド殿、シリウス殿、好機じゃ!」
ゼノヴィオスが呪文を唱えると、突風が巻き起こり、異形たちの視界を奪う。その隙にレガルドとシリウスが連携し、数体の敵をまとめて戦闘不能に追い込んだ。
しかし、敵の数は減らない。倒しても倒しても、霧の奥から次々と新たな異形が現れるのだ。
「ちくしょう、キリがねえぞ!」シリウスが悪態をつく。
戦闘の最中、キルヴァンの放った炎の一つが、偶然、近くの岩肌に刻まれた紫色の妖しい光を放つ爪痕に触れた。その瞬間、爪痕がひときわ強く明滅し、周囲にいた数体の異形が、まるで苦悶するかのように甲高い悲鳴を上げて動きを止めたのだ!
「……今のは?」
ミレーユがその現象に気づき、鋭く声を上げた。「レガルド様!あの紫の光る爪痕、何か関係があるのかもしれません!」
「紫の爪痕だと?」
レガルドが敵を蹴散らしながら視線を送ると、確かに戦闘エリアのあちこちに、同様の爪痕が点在し、不気味な光を放っているのが見えた。
「あれは……龍の魂を汚染する呪詛の印の一種じゃ!」ゼノヴィオスが叫んだ。「聖域の清浄な気を逆用し、邪悪な力を増幅させて、これらの怪物を操っておるか、あるいは生み出しておるのやもしれん!」
「つまり、あの爪痕をどうにかすれば……!」
レガルドの言葉に、一同の目に希望の光が宿る。
「キルヴァン!」レガルドが叫んだ。「お前の炎だ!お前の清浄な炎で、あの呪われた印を焼き払えるか!?」
「僕の……炎で?」キルヴァンは一瞬戸惑ったが、レガルドの真剣な眼差しに頷いた。「うん、やってみる!」
「よし!我々がお前を守る!ミレーユ殿、シリウス、ゼノヴィオス殿、キルヴァンがあの印を浄化するための時間を稼ぐぞ!」
新たな作戦が始まった。レガルド、シリウス、ゼノヴィオスが鉄壁の守りを固め、次々と襲い来る異形を食い止める。ミレーユはその間隙を縫って、キルヴァンに最も近い爪痕の位置を指示し、敵の攻撃から彼を庇う。
「キルヴァン君、集中して!あなたならできるわ!」
キルヴァンの小さな体から、先ほどとは比べ物にならないほど強く、そして純粋な輝きを放つ炎が立ち昇った。それは、レガルドの古代竜の血筋と、ミレーユから教わった「心を込める」という教えが融合したかのような、温かくも力強い炎だった。
「いっけえええええっ!」
炎の奔流が、紫色の爪痕に叩きつけられる!ジュウウウッという音と共に、爪痕は黒い煙を上げて浄化され、その妖しい光を失っていく。
すると、その爪痕から力を得ていたかのように、周囲の異形の動きが目に見えて鈍り、中にはそのまま崩れ落ちて塵となるものも現れた!
「効いているぞ!」「続けろ、小僧っ子!」
仲間たちの激励を受け、キルヴァンは次々と爪痕を浄化していく。その度に、異形の群れは勢いを失い、濃く立ち込めていた霧も、少しずつ晴れ間を見せ始めた。
そして、最後の爪痕がキルヴァンの炎によって浄化された瞬間――谷間に満ちていた邪悪な瘴気が嘘のように消え去り、異形の怪物たちは全て塵となって霧散した。
「……やった……のか?」
シリウスが、ぜえぜえと肩で息をしながら呟く。
霧が晴れ、聖域の本来の姿が露わになる。そこは、苔むした古代の石柱に囲まれた静謐な空間で、中央には巨大な龍の頭蓋骨を模したかのような祭壇が鎮座していた。祭壇の周囲には、今はもう判読困難な古代の龍の文字がびっしりと刻まれた石碑がいくつも並んでいる。
「なんということじゃ……ここは、まさしく太古の龍の魂が眠る場所。そして、何か強大な力を封じ込めている、聖なる結界そのものじゃったか」
ゼノヴィオスが、石碑の一つに刻まれた文字を解読しながら、畏敬の念を込めて呟いた。
一行は疲弊しきっていたが、安堵のため息をつく間もなく、祭壇の中央に異様なものを発見した。そこには、明らかに「黒曜の爪」が何か邪悪な儀式を行おうとしていた痕跡――禍々しい紋章が描かれた黒い布、用途不明の奇妙な金属製の道具、そして、まだ新しい血痕のようなものが残されていたのだ。
「奴らは……この聖域の力を解放し、悪用するつもりだったのか……?」
レガルドが、苦々しげに呟いた。その時だった。
祭壇の奥、霧が完全に晴れきっていない影の中から、ズシリ、と地響きのような重い足音と共に、さらに濃密で、これまでとは比較にならないほど強大な邪気が漂ってきたのを、レガルドとゼノヴィオスは敏感に感じ取った。
キルヴァンが、小さな悲鳴を上げる。
「お、おじさん……あそこ……何か、いる……!」
一同が息をのんで影の奥を見つめる。そこには、二つの巨大な、燃えるような赤い光点が、ゆっくりと彼らに向かって動き出そうとしていた。