泡沫のホシ
「海に来たみたいだぜ。テンション上がるなぁ〜。」
「そりゃそうでしょ。水族館来てるんだから。それより恭介叔父さんは探偵仕事大丈夫なの?」
「えぇ、まぁ、うん。直近のがすぐ済んだからね。」
「直近って一週間前でしょ。大丈夫なの?」
「良いか美由?一度しか言わないから、良く聞くんだ。仕事が入ってこないんだ。仕方ない。」
美由は呆れた顔をしていた。
今日は水族館でイベントもあり、人はかなりいた。恭介と美由はイベントの詳細を見るため掲示板を見に行った。
「宇宙と海のコラボレーション?何この安っちいイベント名。これが見たいのか?秋ってのはなんでもかんでも魅力的に見える季節だねぇ。」
「そう!なんか、こう不思議な魅力?があるの。毎年この時期にやってて、昨年のは特に好評だったんだって!ダイバーも宇宙服みたいなスーツでやるんだ!」
「へぇ〜そうなんだな〜。14:30開始と…」
時計を見る。14:20。
「おい!ヤベェぞ!イベント始まる!」
イベントは中央に位置する大きい水槽だった。
ピンポンパンポーン……
館内のアナウンスだ。
「これより宇宙と海のコラボレーションのショーを開始します!」
「何とか間に合ったみたいだな。」
「危なかった〜。だからもうちょっと早くに来ようって言ったの!」
「すまんて…… あ!ほら、始まるぞ。」
しだいに館内全体が暗くなる……
「暗いな……俺のお先みたい……」
美由が少しクスッと笑った声が微かに聞こえた。
眼前の水槽に一つまた一つと白く小さな光が出てくる。恭介が思っていたより美しいものだった。
「うわ…素敵……」
「でしょ。私の目に狂いはなかったね!」
真ん中あたりからところどころに赤い光が見える。
「ねぇ!あれ、赤色巨星ってやつかな?」
もはや美由よりこのショーを楽しんでいた。
「ん?なんか赤い光、ちょっと暗くない?」
「そう?まぁ星の最後だし温度が下がってる演出じゃない?」
「流石にそこまで再現しないと思うけど……」
「なぁ、なんか赤い光広がりすぎじゃない?宇宙に星なくなるよ?俺のお先が……」
恭介は少し俯く。
「もうそろそろかな?予定ではダイバーさんが出てくるはず。」
館内の明かりがつき始める。
黒板を引っ掻いたような叫びが聞こえた。それもあちこちから……
「ね、ねぇ……叔父…さん……あれ……」
「え?何?」
顔を上げ、その光景に恭介は目を見開いた。
「死体だ。」
ふわふわと宇宙服に身を包んだダイバーが漂うように死んでいた。腹部から血が煙のように出ているのが見える。先程の赤い光は血がライトに当てられた光だった。
館内アナウンスが流れる。
「緊急事態につき現在行われているショーを中止します。速やかに避難してください。」
声こそ冷静だが、そのようなもので収まる場ではなかった。
アナウンスの直後、館内中の空調設備から煙が出る。
「まずいな。これじゃ犯人が逃げられる……
皆さん落ち着いて……」
館内は阿鼻叫喚と煙による咳嗽。恭介の声は周りの叫びや人波にかき消される。
「……叔父さん…」
微かに美由の声がした。声の方に近づく。
「美由!無事か!」
「うん……何とか…誰かに足を踏まれたみたい…」
美由は小さく蹲っていた。
「美由、お前は避難するんだ。俺はちょっと行ってくる。」
恭介はバックヤードに向かって走っていった。
美由はそれを遠くで目にした。
「あ…叔父さん、行っちゃった。」
―バックヤード―
「ここもか……」
バックヤードにも煙が広がっていた。手探りで手すりを探し、進んで行く。
「誰かいるか!ダイバー引き上げるぞ!」
声に応えて若い男性の声がした。
「ゴホッ……分かりました。私も手伝います!」
そのほかに2人年老いた男性と若い女性の咳や叫びが聞こえた。しかし、引き上げられる様子にないため、若い男性と2人で引き上げた。
――――――
数分後、館内の煙は収まり死体も引き上げられた。
誰かがバックヤードに入る音が聞こえた。
「ん?なんだ?柴谷じゃねえか。」
声の主に聞き覚えがあり、恭介は振り返る。そこにはいかにもな警部がいた。しかし、相反するかの如く顔は若い。
「あぁ…佐々木さんでしたか…ご無沙汰です。」
「これまた妙なのに巻き込まれたな。まあ今はそれどこじゃない。お前ら!すぐ取り掛かってくれ!」
後ろから数人の鑑識来て、作業を始めた。無論恭介たちはその場を移動させられ、取り調べが始まった。
まずは恭介だった。
「柴谷。お前のことだから犯人じゃないとは思うが、一応だ。分かってくれるな?」
「えぇ。もちろん。あなたのそういうところを警察学校で良く知ってますから。」
「事件が起こった時刻どこにいた?」
「姪とここでショーを見に来てました。」
「お前、良いのかよ?仕事……」
佐々木警部は旧友が少し心配した。
「入らないんですよ!そっちと違って!」
恭介は歯を噛み締めながら悔しそうに言う。
「すまんて…」
その後も事情聴取が進んだ。
「じゃ、これでお前の事情聴取終わりね。一応件が済むまでこの場に残って……」
恭介が言葉を遮る。
「なぁ?ここは一つ手伝わせてくれないか?」
「は?」
「ごほん……力添えさせてくれ。」
「いや、言葉の意味は伝わってんだよ!お前はいつもそうやって無茶してきただろ…」
「でも、こういう事件の解決は佐々木さんは苦手じゃなかったかな?」
恭介は佐々木を少し煽る。
「へぇ…言ってくれるじゃないか。元バディ…
いや、元“巡査”…」
負けじと煽り返す。
ピリついた空気が漂う。
「ふぅ…変わってないな。お前。」
「そっちこそ。」
「良いだろう。事件究明は時間が命だ。協力感謝する……が、くれぐれも勝手なマネはしないように!」
「了解!」
聴取も終わり、中央水槽に向かう。ショーの時とは全く変わって静かで広い空間が広がっていた。水槽はまだ赤い濁りは取れていない。
水槽近くのベンチに少女がいた。
「美由!足はまだ痛むか?」
「うん…まだちょっとね…でもさっきよりは大丈夫かな。」
「えっとですね…」
「もしかして事件究明の協力でもできた?」
「あぁ、よくご存知で…」
「なんか…顔がそう言ってる気がしてね。」
「そこで助手さんは来てくれるのかなぁ……なんて…」
「給料は…」
「……ダシマス…」
それから数時間後――
「柴谷。あの場にいた3人の事情聴取と鑑識終わったぞ。こっち来い。で、そっちのお嬢ちゃんが言ってた姪っ子さん?」
「そうだよ。うちでバイトもしてる。」
美由は小さく会釈する。
「助手って訳か。まあ、ついでか…」
水族館内にある小さな会議室を借りて捜査状況を2人に開示した。
「まずは、遺体の方から。
名前は村井翔太。年齢28。身長178cm。ここではダイバーの仕事をしている。子供達の人気はもちろん、職員からの信頼も厚い。いわゆる頼れるイケメンってやつだな。このイベントでもダイバーとしての役割だ。
次に、柴谷と遺体の引き上げをした若い男。
名前は田中練太郎。年齢24。身長175cm。2年前からここで働いている。主な業務は調餌場…餌加工するとこで働いている。人間関係に特には問題もない。このイベントでは餌を撒いたりダイバーに渡す仕事だった。
3人目、ご年配の男。
名前は木宮清次郎。年齢64。身長165cm。12年前からここの館長に就任。職員には優しく接しており、虫も殺さぬような方らしい。このイベントでは現場監督をしてたそうだ。こいつも特に人間関係に問題なし。
最後に、若い女性の方。
名前は江森彩。年齢21。身長166。先月からアルバイトで働いているらしい。仕事は覚えたてで今回のが初めてのイベント業務。このイベントでは照明関係の仕事だったと。人間関係は問題なし。
いずれの人間関係に関しては現場にいなかった職員からの聴取だ。なんか質問あるか?」
「凶器を知りたい。」
「凶器は……まだ見つかっていない。しかし、鑑識からの情報では刃物のようなもので腹部を刺されたらしい。」
「何回?」
「2回らしいがそのうち1つの傷口がボロボロな刃で刺されたような切り口で刃物と思しき凶器は2つあるらしい。一つは深く、もう一つは浅い刺し傷、こっちが粗い刃だ。水槽に捨てた可能性からダイバーを頼んだが、何も出てこなかった。」
(凶器が2つか…そんでいずれも出てこない…)
「血痕はどうだったの?」
美由が口を開いた。
「刺した凶器が出てこないなら、持ち帰ったんじゃない?そうだとすれば現場の血痕を辿れば少なくとも凶器の所在は分かるんじゃないの?」
さすが我が助手。良いとこつく。
「それなんだ…現場に血痕自体はあったんだ。しかし、被害者の刺されたであろう場所にだけ発見されていてその周囲には全くなかったんだ。そう……だから、あの3人しか凶器は隠し持てない。という理由で絞った。今は部下が交代でまた3人を事情聴取しているところだ。」
(3人と合わせる気がないってこったな。)
「でも凶器が刃物ならさっき言ってた調餌場の人、田中さんが1番怪しくない?」
「美由。たしかに刃物の持ち出しは田中さんにとっては容易だが、隠すのは難しいだろう。それも2つも。持ち出した時点でも怪しいよ。」
鋭い指摘だった。
「そっか…」
「まぁ、まだ我々にも分からんし、急がなくても大丈夫さ。」
佐々木がフォローする。
「あのぉ、監視カメラとかなかったの?犯行前でも良いから見たいんだけど。」
「あぁ、分かった。」
―放送室―
「監視カメラの開示をお願いしまーす。」
「はい、令状こちらになります。」
美由はこの2人の警察学校の時もこんな感じだったのだろうなと感じていた。
「あっ…はい!承りました。」
女性は令状を恐る恐る受け取り、作業を急いで始めた。
「おい!お前その口調やめろ。ふざけてると思われるだろ。」
「じゃあお前こそその鬼みたいな顔やめろ。怖いんだよ。俺以外のやつは特に。」
言いあいがまた始まった。
(なんか始まった…)
ひっそりと美由は先程より強く2人の昔を想像できた。
「あの……準備できました…」
「はい、ありがとうございまーす。」
「おい!話は終わってねえぞ!」
「まあまあ、これで見れるんだし。」
「じゃあ…流しますよ…」
犯行前の時刻だ。宇宙服のダイバーの後ろに例の3人が写っている。バインダーを持ち、立っている木宮。照明装置を前に椅子に座る江森。バケツを持って立つ田中。それ以外は何も持っていないように見える。すると画面が暗くなった。少しして明るくなると今度は煙で画面が埋まっていた。
「これじゃあ、何にも分からないな。ほかの場所も見せてください。」
職員室や会議室に至るまで館内全ての場所を見て一つ分かったことがあった。
「これバックヤードから調餌場のルートにかけて煙出て来るの早くねえか?やっぱこの道が怪しいな。」
恭介が呟く。
バックヤードを抜けるとT字路になっており、右に曲がると、トイレ、職員室、放送室、調餌場と部屋が並んでいる。このルートが怪しいと恭介は感じた。
「じゃあ犯人はこの放送室の前も通ったってことですか⁉︎」
恭介は地図と照らし合わせながら画面を見る。
「監視カメラで見た感じだと…そうかも…」
(まぁ、でもこの部屋はバックヤードから調餌場までの道だし、仕方なくね?)
「いやっっっ‼︎さっきも煙で怖い思いをしたのに、この近くに殺人犯が歩いていたなんて耐えられない‼︎」
女性は蹲り震えていた。
「おい…お前が怖がらせてどうする…」
佐々木の言葉が鋭く胸に刺さる。
「すみません。少し気分が……トイレまで連れて行ってもらえると助かります。」
「私が介抱するから叔父さんたちほかのとこ先に周って来て」
美由が女性の背中を摩りながら言う。
「あぁ……悪りぃ…」
恭介と佐々木はその場を後にした。
―調餌場―
「魚臭いな…」
「そりゃそうだろ…」
調餌場の中に中年ぐらいの男性が見えた。腰を摩りながらも作業を続けている。
「アノ、スミマセン。ソウサシニキマシタ。」
「うわっ、びっくりしたー。お前そういうことできんだな。」
佐々木は臭いのせいで鼻を抑えながらしゃべっていた。
男性がふっと笑う。
「あっ…これは…失敬…」
不本意だったらしい。
「そういうことなんで、お願いします。」
「えぇ、良いですよ。」
気前にいい方だった。
「包丁は…やっぱり2つないな…」
佐々木は確認する。
「あぁ、それね今俺が1つ使ってるから無くなってんの1つだね……もう一つは田中のだ。」
「無くなってる包丁は1つ?おかしいな…」
(やはり、犯人は田中なのか?しかし、引っかかる。どうしてだ?だったらもう1つの凶器はどこから持ち出した?)
中年の男性は2人に問いかける。
「あぁ…あと…田中だよね?多分疑われてるの。」
「えぇ、そうですが?」
「あの子…そんなことしないと思うんだよ。先月昇給したし、そこまで不満もなさそうだし。この前、職員で飲みに行った時なんか仕事が楽しい〜って言ってたんだよ。そんなことするとは思えないんだよなぁ…」
佐々木の顔が暗くなる。
「それは……」
恭介が割って入った。
「いやぁ、まだ田中さんと決まった訳じゃないですから。大丈夫ですよ。まぁ、多分彼はやってないと思いますよ。では私達はこれで…」
調餌場を退室し、職員室に向かう。
「その…なんだ…助かったよ…」
「え?何が?」
「俺たちは職務上テキトーなことは言えない。だから、安心させること言えねえからさ…」
「なんか昔に戻ったみてえだな…バディ組んでた時が懐かしいわ。…とはいえお前さっきの変な声には成長感じたわw」
「あれは…聞かなかったことにしてくれ」
笑いながら廊下を歩く。
―廊下―
「あーあと江森って人の情報ってなんか出てないの?」
「部下からの情報だが、事情聴取ではおびえきって何も話してくれないと…」
「あの人たち詰め方エグいからな…」
その時佐々木の携帯に通知が来た。
「なんか分かったの〜?」
「ああ。ちょうど江森さんの。どうやら村井さんと恋人の関係だったらしい。他の職員の方からの証言だ。」
「恋人ね…」
「江森さんが犯人だとしたら何かトラブルがあったのか?」
「そんな度胸ある奴があの事情聴取でおびえるとは思えんのだけど…演技の可能性もあるな…」
「どうしてだ?」
「いや、もしかしたらって話だけど初イベントで照明とか任せられるってことは、何かしらの…例えば演劇関連のキャリアがあるのかもな〜って。だとすれば、相手にどう見えるかって分かるから演技できるんじゃね?」
「なるほど…調べてみるか。部下に伝えておく。」
―職員室―
「とりあえず、全員のデスク周りは調べておいて問題ないだろう。犯行に使ったルート付近の部屋ってこともあるし。」
「そうだな。凶器は見つかるか分からんが、そろそろ手がかりは欲しいな。」
年老いた男性の姿が見える。木宮だ。
「あの…すみません…オフィス内を調べてもよろしいでしょうか?」
木宮は少し動揺したように見えた。
「えっと……良いですよ。どうぞご自由にお使いください…」
そう言って木宮がファイルを持ち、足早に立ち去ろうとする。しかし、恭介が止める。
「おや?木宮さん?何か他に用事が?」
「あぁ…少し書類の整理を…」
「へえ……じゃあ隠そうとしてた書類も見せてくださいね。」
木宮が後退り、驚く。
「悪い冗談はやめてください!」
2人はその異様な態度に一つの不信感を抱いた。
佐々木は目を細め、恭介はニヤリと笑う。
「「お前、何か隠してるな?」」
「そんなことはないですよ⁉︎」
木宮のファイルを持つ手に力が入る。
恭介はそれを見逃さなかった。
「そうだね…例えばそのファイル…とか?」
木宮の顔が青くなる。そして、ファイルを渡した。
「…………
はい……どうぞ…」
「操作にご協力頂きありがとうございます。」
佐々木は丁寧に受け取る。
「なあ、ここ部下に任せて、これ見ねえか?」
「確かにそうだな。」
佐々木は携帯を取り出して連絡し、その場を後にした。
―会議室―
「で、これ何の資料なんだ?」
「この水族館の沿革と…後ろの方は職員の詳細情報っぽいな。かなりこと細かく書かれてる。」
「……ん?おい、ここ見ろ。黒塗りになってるぞ。」
そこには黒いボールペンで力強く黒塗りにされていた。
「……怪しいな。あいつに吐かせるか。」
「絶対時間かかるよ。あと、前任者がやったってなったら詰みだし。」
「前任者か……なあ、ここの黒塗りのインク他の文字と少し色違くないか?」
「ああホントだ。よく分かったな。」
「このインクの色、少し見覚えがある。」
「うわぁ…きめえ…
お前、昔から書類作業すげえからな。」
恭介は佐々木のデスクワークが忙しいことを知っていた。
「あ!思い出した!お前何かあったかいもん持ってねえか?」
恭介は何かないかとコートのポケットに手を入れた。
「あったかいもの?美由用に持ってきたけど……はい、ホッカイロ。」
「サンキュー。」
「で、これを何に使うんだ?」
「まあ見てろ。」
佐々木はホッカイロの封を開け振り、黒塗りされた箇所に置いた。
「なんか黒塗りが薄く…」
「そろそろだな。」
「うわ!黒塗りが消えて文字が浮かんできた!」
「この手のインクは熱で消える特徴を持っている。ホッカイロとかで押さえればこの通りだ。」
「えーと…2013年9月13日新井尚人、水槽へ滑落ののちに溺死⁉︎…」
「うわぁ…結構すごいの出てきたな…」
「どうするよ?」
「一か八か聞くか?無理に近いぜ?」
その時佐々木の携帯に一本の電話がかかった。
「ちょっと悪い。電話出てくるわ。」
「OK」
(この新井ってやつ…今回の件の動機になるのか?誰かが復讐を企てたとか…)
ふと横を見る。電話をしている佐々木の顔が険しくなるのが分かった。
「何⁉︎凶器が見つかった⁉︎」
「凶器が見つかった⁉︎」
―職員室―
2人が走ってきた。
「で、その凶器ってどこにあんだよ?」
部屋の奥を見ると先ほどよりも青ざめた木宮がいた。佐々木の部下に縋り付くように訴えかけている。
「俺じゃ…俺じゃないんだ…」
「どういうことなんだ?」
「行けば分かる。」
2人は木宮のデスクのところまで来た。
「佐々木警部。デスクの下にこちらが…」
佐々木の部下はそう言って、チャック付きのビニール袋を出した。そこには血のついた包丁が入っていた。それも柄の部分に「田中」と彫られている。
「ご苦労…で木宮さん…わけを話してください。」
「俺じゃないんだ!本当なんだ!誰かに濡れ衣を着せられたんだ!」
「なぁ…佐々木?なんか引っかからないか?」
「こんな時にどうしたんだ?」
「いやあ、木宮さんはさっきファイルを隠そうとしてただろ?凶器をそのままにしてファイルだけを隠すのはなんか変じゃないか?そして木宮さんの靴見ろ。」
「ん?靴?」
「革靴だ。これじゃ、あの距離を走るのは難しいだろ。もっと言うと…あんまり大きい声じゃ言えないけど…
…年が…さ…」
「まぁ…たしかに…」
「じゃあやっぱり誰かが濡れ衣を着せようとしていたってことですか⁉︎」
「おそらく…
それと、先ほどは無礼を働きました。面目ない。」
「……いえ…警察は疑う仕事でしょう。仕方ありません。」
恭介はその様子に感銘を覚えた。
「お〜、聡明な方ですね。」
しかし、木宮の顔色は戻らない。
「木宮さん。誰かに恨まれていた覚えがあったり…
…なさそうなんだよな……」
「はい…少なくとも社員にそのような方はいらっしゃらないとは思います。」
「では、新井さんって方の件についてお聞きしても?」
「新井さんですか…あれはひどい事故だったそうです。」
「真相をお知りで?」
「実は、その方は当時の私と同じ次期館長候補だったんですよ…水槽周りの清掃をしていた時に水槽に落ち、そのまま帰らぬ人になってしまったんです。」
「では、なぜその内容を黒塗りに?」
「この内容を知られたら、後継者になるために殺してしまったように見えると思ったので……」
「あのねえ……黒塗りにする方がよっぽど怪しく見えるんだわ。」
「はい……すみません……」
(空振りだったか…さてと、どうすっかな?)
―放送室前―
恭介は廊下で悩んでいた。
(事件を根本的に見直した方が良いな…)
「おい、どうしたんだ?」
後ろから佐々木の声がした。
「ああ…少しね…さっきのことがあったから…さ…」
「あー、おまえ変わったな。今はそんなことはケロッと忘れろ。お前は正しいことをしてるんだ。躊躇する必要はないだろ。」
恭介は目を丸くした。
「そうだな。忘れるか。」
恭介はドアノブを強く握った。
「すみませーん。カメラをもうちょい見せてもらいたく参りましたー。」
そこには誰もいなかった。
「あれ?美由もいない。どうしたんだろ?」
そのときスマホに通知が入ったのが分かった。
[休憩室にいる。]
スマホを佐々木に見せながら恭介は座る。
「休憩室行ったっぽいな。許可はさっき木宮さんにもらったからやっちゃうか。」
バックヤードの映像を確認する。さっきと変わらない映像だった。ダイバーの後ろに3人いる。
(この距離だったら2人ともできそうだな……
待てよ?この狭めな道、もしあの煙の中走ったら壁に当たったりするだろ。打撲があればそいつが犯人か?)
「佐々木!部下使って江森さんと田中さんの体に打撲とかの怪我ないか見てきてくれるか?」
佐々木は頷き、電話をかける。
(あとは…そうだな…凶器か。)
―中央水槽前―
恭介は疲れていた。缶コーヒーを片手にベンチに座る。
「はぁ……あとは凶器だけか……」
「叔父さん? 大丈夫?」
美由だ。
「めっさ難航中。」
美由が水槽の前に立ち、魚を眺める。
「そんな時は気晴らしも大事だよ。」
恭介も水槽の前に立った。
「たしかに、そのために来たみたいなもんだしな。
ほら、あの魚はユカタハタって言って沖縄ではアカミーバイって言われてるんだ。」
恭介は何気なくガラスにそっと触れる。その時、ある疑いが浮かんだ。
(ガラス……凶器ってホントに包丁だけか?もしもガラスで作った凶器なら水槽に捨てても見つからないんじゃないか?)
「ねえねえ、叔父さん。ユカタハタって肉食の魚らしいよ。こんなに大きい水槽に別の魚と入れて大丈夫なのかな?」
「肉食⁉︎」
恭介はくらい着くようにユカタハタを目で追う。そのうちの数匹は一箇所の地面を口で突いていた。
そして、星のようにチラッと光ったのが見えた。
「ねえ?叔父さんどうしたの?」
「フフフ……ハハハ‼︎」
高らかに笑ったのはもちろん恭介だった。
「叔父さん……頭おかしなった……」
「凶器が分かったぞ!」
「え?」
―バックヤードから放送室にかけての廊下―
「凶器は1つ!ガラスでできた包丁だったんだよ!あの分厚い宇宙服せいで刃が欠けて凶器が2本あるように見えたんだ!」
「ねえ?でも凶器が分かっても犯人はまだ分からないんじゃないの?」
「あ…」
恭介は気づき、美由は呆れていた。
恭介は軽く咳払いをし、スマホを見た。
(さてどうしたものかな?佐々木からの連絡を待つしかないか……)
足に何か引っかかり転びそうになった。
「おっとっと」
「叔父さん大丈夫?考えごとしながらは危ないって。」
足に引っかかったのは照明装置の配線だった。廊下をずっと進んでT字路の突き当たりを右に進んでいる。調餌場や職員室の通りに伸びていた。
「そうか!これを辿れば壁にぶつからずに移動できる!」
「いいや。違うな。」
後ろから声が聞こえた。佐々木だった。
「ん?なんでだ?」
「そもそも走らないとあの距離は絶対に間に合わない。そんなの辿ってちんたら歩いたらタイムアウトだ。」
「ああ…そっかあ…」
「そう。あと部下からの情報。2人とも怪我はしていないってよ。それに包丁。照合の結果、村井さんの血とは違う血だった。というか傷口まで違うらしい。おそらく事前に用意した偽物だったんだろう。あとそれから江森さんの件だけど全然演劇とかの経験ないっぽいぞ。
どうだ?万事休すか?」
「……」
「本当に万事休すなのか。」
(どうする?距離は難しい。ブラフの包丁は事前に用意。となれば最初からガラスの包丁を隠し持っていたってことか?それなら全員に犯人の可能性がある…いや違うな…凶器が欠けた時に出た小さなガラスの破片が犯人の手や服に付着しているはずだ。鑑識がそれを見落とすのはまずない…何か他に証拠はないか?…いや……それ以外もだ…アリバイを作ることができる奴は誰だ?…思い出せ……あのときここで何があった?……)
「まもなく閉館のお時間になります。本日はご来館まことにありがとうございました。お気をつけてお帰りください。」
放送がかかる。それは捜査の終了も示していた。
「あ…」
「タイムリミットだな。仕方ない。情報を整理して後日…」
恭介は佐々木の言葉を遮った。
「なあ、佐々木。みなさんをここに集めてくれるか?
犯人が分かった。ここでけりをつける。」
1時間後―
バックヤードには犯人候補の3人、佐々木、美由そして恭介が揃った。皆重々しい顔をしている。田中は少しイラついているようにも見えるし、江森はひどくおびえている。
不安そうな木宮が恭介に聞く。
「あの…私はどうすれば……」
「まあ…犯人分かってラッキーぐらいに思っていただければOKですかね。」
「ええ……」
そんな木宮を横目に恭介は一歩前に出て、説明し始めた。
「えーではみなさん。お集まりということで、
まずは、凶器の説明から。凶器は1つでガラスでできた包丁でした。刃が欠けたことで、あたかも2つの凶器があるように見えたんです。」
その時水槽からダイバーが出てきた。そして、手にはガラスの包丁を持っていた。犯人候補3人は驚いていた。
「佐々木警部。例の凶器こちらにありました。」
佐々木はそれを受け取り、チャック付きのビニール袋に入れた。
「ご苦労だった。これで物的証拠が出たな。」
「ではお次に犯人発表並びに犯行の紹介なんですけど…
犯人はこの中にはいません。」
一同がポカンとしている。
「あ?」
佐々木は恭介の胸ぐらを掴む。
「く、苦ぴい…」
「話が違うぞ!お前が犯人分かったって言ったからみなさん集めたんだぞ!お前ふざけてんのか!」
「まあまあ。この中にいないだけで、犯人は分かってよ。」
「え?あ、そうなの?」
「そうなの。」
佐々木は手を離し、恭介の話を聞く。
「じゃあ犯人を呼びますので、少々お時間を頂戴しますね。」
恭介はそう言ってスマホを取り出した。そして、何やら操作をしている。
すると突然放送がかかった。しかし、それは恭介の声だった。
「松本さーん松本さーん。至急バックヤードにお越しくーださーい。」
「ん?何これ?なんで放送からおじさんの声出てんの?」
美由が不思議がる。
「まあ、これが犯人の使ったトリックだ。後で説明すっから安心せい。」
バックヤードに誰かが近づく。
「はい…なんのご用ですか……」
佐々木はその人物に驚く。
「おい…この方って……」
「そう……放送室でアナウンスのお仕事をされている松本さんで間違いありませんね?」
「は、はい……」
「はいじゃあ順番に説明します。まず、あなたは事件の時にどこにいましたか?」
「…放送室で本日のイベントのアナウンスを……」
「本当ですか?確かにあの時、緊急事態のアナウンスをされていましたね。
素晴らしい対応でした……本当に……
……よくもまああんな煙が立ちこめた中で平然と咳一つせずアナウンスなんか出来ましたねえ…」
その場にいた全員が目を見開き息を飲む。
「……」
「続けまして、犯行についてです。いくら監視カメラを潰そうと事件直前の位置を知られては怪しまれる。しかし、監視カメラの視界を潰さなくても映らない場所がこの水族館に2箇所ありますね。1つはトイレ。もう1つは放送室です。おそらくあなたは最初トイレに身を潜めていたのでしょう。煙を撒き、コードを伝い村井さんのとこへ行きブスブスッと2発。同じ要領で戻り、お客の悲鳴を聞いたあとレコーダーを再生。するとどうでしょう?ナイスタイミングにアナウンスが流れますね。といったとこかなと踏んでおります。」
「……でも証拠がないですよね。それは可能性の話です。」
「ええ。そうですよ。可能性の話です。でも残念なことにこれで逮捕になっちゃうんですよ〜。これを報告すれば警察は意地でもあなたを捕まえるでしょうね〜。とくにこの警部とか。」
佐々木は睨んだ。松本にではなく恭介に。
「ふざけないでください!」
松本は叫び、恭介に殴り掛かろうとした。その手を恭介は掴んだ。そして、松本の袖をめくった。
「証拠がない…でしたっけ?じゃああなたの腕についている痕は誰のなんでしょうか〜?」
松本の右腕には力強く掴まれた際にできただであろう痕があった。それは松本の手にしては大きすぎるものだった。そしてその痕は右手だった。
「こ…これは関係ありません!」
「じゃあ何に関係あるんですかねえ?」
恭介はおもむろに手を離した。
「言いたくありません…」
松本は静かになった。
恭介も落ち着きを取り戻した顔になる。
(…ッスーーー…あぶねー!当て推量でもやってみるもんだな。よさげな証拠も掴めたし危ない橋渡った甲斐あったわ。)
――落ち着いていなかったようだ。
「…そっか。そんじゃもう一つ。さっきゴミ箱から面白いものを拾ったんですよ〜。」
恭介はそう言ってボイスレコーダーを出した。
松本はハッとして、着ていたワークジャケットのポケットに手を入れた。明らかに動揺した様子だ。恭介はそれを見て問いかける。
「どうされましたか?何か落とし物でもしましたか?」
「いえ……何も……」
「そうですか…では、警察に回収される前に今からこのボイスレコーダーを再生するのでよくお聞きください。」
「ちょっと……待って……」
「おやあ?どうしたんですか?
あ!これもしかして松本さんのものでしたか?」
「それは……その…」
松本は焦りか苛立ちか顔が赤くなる。
(そうだよね。これが自分のものでないと主張すれば警察に渡り、調査され犯人だとバレる。かと言って自分のだったと言えばアリバイ工作がおじゃん。これは2択の貧乏くじなんだよ。)
「さて…どっちなんですか?」
恭介がつめる。
「……私がやりました。」
松本は緊張が解けたのか、その場に崩れ落ちた。
「よくできました俺。」
小さく拍手しながら言う恭介の足を美由蹴った。
佐々木が松本の前に立つ。
「では署でお話を……」
「……はい。分かりました。」
―帰り道―
美由は気になって聞いた。
「でも今回の件、動機が分かんないよね?」
「まあ、あのダイバーさんがなんかしたんだろ?今回のは状況から犯人を当てただけだから、知るわけないじゃん。今度、佐々木に聞いてみるわ。
話してくれればね……」
「あの人が事件のこととか話すのだいぶハードル高そうだね…」
美由は突然、不思議に思った。
「あのさ、犯人分かったって言った時から恭介おじさんと準備してたけど、ゴミ箱なんて漁ってた?」
その声はなにか怪しんでいる様子だった。
恭介から冷や汗が出てきた。
「んー?あー、あれね。あれはー、佐々木の部下から渡されたものでしてー…」
「ふーん……本当は?…」
怒っている声だった。
「はい……殴られそうになった時に……」
「時に?……」
恭介は顔を背ける。
「……パクった。」
美由は開いた口が塞がらなかった。美由は足早に帰る。
「まあ、でも一件は落着したんだしここは大目に見て……あ!ちょ、ちょっと美由⁉︎美由さん⁉︎置いてかないで〜…」