01
焦げ茶の髪を持っているアンドロイド──イヴは一人冷たい廊下を歩いていた。
誰一人すれ違うことは無く、誰一人会話を交わすことは無い。
しかし、それはかえってイヴに取っては、これ以上といって無いほどの好都合だった。
未だにイヴは感情が無い。──いや、感情がどういう物だか分かっていない。
何故人間は泣くのか、何故人間は死を嘆くのか。生まれて何年経っても分からない。
何故人間は自分を作ったのか、何故人間は──笑うのか。
イヴにはそれが理解できなかった。それ以前に、理解できる範囲の物だとは思わなかった。
だから、誰にも聴こうとはしなかった。聞きたくもなかった。
ロマーンに作られたイヴは、高性能の『戦闘用アンドロイド』として、様々な人間から注目を浴びていた。
何でも人間の言う話によれば、一つの街──国ぐらい、一夜にして炎の海に出来るほどだと言う。
だが、未だにイヴは戦闘訓練だけで、実戦には一度も立っていなかった。
──人間がイヴのあまりに大きい力を怖れているのか。
それは、今のイヴに取っては、分かりようの無いことであったし、分からなくても特に支障はなかった。
「……別に、どうでも、いい」
知らず知らずの内に口にしていた言葉。
これがイヴの──いつもは言えないでいるが──心からの本心だった。
何か、この思いを言葉にしなければどこかへ消えていってしまう気がしたのだ。
それは、もう自分じゃない。自分を失うことが、イヴにはただ一つの恐怖だった。
*
この世界──スラヴに今、とてつもなく大きな戦争が巻き起こっていた。
スラヴに存在している二つの大国、スヴァローグとストリボーグの戦争だった。
東に大きな領土を広げているのが『スヴァローグ』という国。
火に愛されている国、と世界中に名を轟かせている大国だった。
そうスヴァローグは呼ばれているのには、もちろん理由がある。
それは太古に今のような戦争が起こった時、火が壁になり、この国を守ったと伝えられているのだ。
どんな激しい水でも消えることは無く、その街の住人が触っても火傷をしなかったと言う。
そして今でもなお、スヴァローグに災害が起こった時、不思議な炎が現れると言うのだ。
逆に、西に大きな領土を広げているのが『ストリポーグ』という国。
水に愛されている国、とスヴァローグと同じく世界に名を轟かせていた。
そうストリボーグが呼ばれるのは、スヴァローグとは少し違った理由がある。
それは三方角を海に囲まれているのにも関わらず、水害の報告が一切無いからだ。
それどころか、火事が起きても少しの水だけで収まってしまうという前例もある。
しかし、この二つの大国──いや、それ以外の小さな街も、本当の青空の下には無い。
そう、全て地上ではなく、地下に出来ている世界なのだ。
見渡す限り広がる、偽りとは思えない空も、蒼く光輝く海も、全て人間が作った偽物なのだ。
この世界を作るのに人間はどれほど時間をかけたのか。──それは誰もしらない。
偽物の青空の下、今でも『スヴァローグ』と『ストリポーグ』の戦争は続いている。
罪の無い血によって、ひからびた大地が潤されているのだ。
その戦争の始まりは、昔に少し遡る。最近始ったばかりの戦争なのだ。
──ある『ストリポーク』のアンドロイドが、『スヴァローグ』の街を火の海にした──……
そんな情報がどこからか漏れ、初めに『スヴァローグ』の国民が講義した。
しかし、簡単に戦争を起こせる訳も無く、二つの大きな国同士なら、なおさらだ。
だが、戦争は始まってしまった。終わることの無い戦いが、ついに始まってしまったのだ。
最初に攻撃を仕掛けたのは『スヴァローグ』だった。
しかし、その攻撃にのってきたのか、『ストリポーク』が大勢の軍隊、アンドロイドを率いて街をつぶした。
そのせいで、お互いに無益な戦いをはじめ、ただ毎日罪のない血が流れている。
──この情報は、流石に生まれたばかりのイヴの耳にも届いていた。
全く顔を合わせていないとはいえ、『仲間』が戦前に立たされているのだ。
自分もいつか声をかけられるかもしれない、そう覚悟はしていた。
しかし、イヴには感情が無いとはいえ、流石にこの戦いはひけるところがあった。
まず一つはその戦いから、何も生まれることは無いということ。
どちらが勝ってもその被害は膨大だ。立て直すのに、何年かかるか、全く見当がつかない。
イヴはただ自分がそんな無益な戦いに出されるのがいやなのだ。
それに、後あと一つだけ。
それはこの──『火に愛された国』と『水に愛された国』の戦争の名前だ。
この世界の戦争は、どれも小さな戦争ばかりで2年もかからないうちに終わってしまう。
それに、小さな街同士の戦闘にわざわざ名前を付けることは無い。
だが、この戦争を面白がっている『学者』たちが、この戦争にある名前を付けたのだ。
その名前は──あまりも残酷で、あまりにも酷い物だった。
「……──っ!」
思わず『その名』を思い出してしまい、イヴは軽く身震いをする。
その体はアンドロイドとは思えないほど震えており、端から見ても分かるほど。
──イヴに感情が無いなんて、少し考えられないことだった。
「……別に、私には──!」
関係ない。そうイヴは言い捨てると、速やかに冷たい廊下の角を曲がった。
──見間違えなのか、ただ偶然水がそこについていただけなのか。
イヴの目元がほんの微かに、寂しい光を放った。
*
『学者』達が名付けた名。恐ろしい戦争に、おもしろがって名付けた名。
その名前はあまりにも残酷で、あまりにも恐ろしいものだった。
蒼い戦争。その意味は、蒼い血が流れる戦争。
また、その『蒼い戦争』の別の名を──……
死ぬための戦い