作戦開始
ドーム型刹魔展開予定地の内側に全員が待機を完了した。
ドーム型刹魔は大きな楔の形をしていて突き刺すことでドームが展開する。ドームの壁一面には棘が付いており人もデーモンも通過を許さない。放逐が終わるまでは出られない檻である。
予定通りにドームを展開するには中心で楔を打つ班が必要になる。
楔を打ちドームを展開させるのは経験豊富なヰ丁班が行う。
先ずヰ丁班が作戦範囲の中心へ赴き楔を打つ。他の班はドームのすぐ内側でドームの展開を待つ。展開したドームの縮小と共に移動する。お互いが援護しあい妨げにならない距離まで来た時ドームが停止し放逐を開始する。
班長を除いたヰ丁班が赴くのを田擦は見送った。
ヰ丁班長は磊磊落班長の代わりに田擦と伊達寺を纏めてくれる。ヰ丁班長が率先して代わりを買って出てくれたのだ。
合同班の中で腫物の様に扱われている二人にヰ丁は気を配ってくれている。
「この作戦が終わったらご飯でもどうかな?こんなおじさんといくのは嫌かも知れないけれど二人とも頑張っているしよかったら奢らせてよ」
「はい。是非ご一緒させてください」
田擦は即答した。
ヰ丁の温情を無下にはできない。自分が行くことで喜んでくれるなら行くしかあるまい。それにヰ丁班長には感謝を伝えなくては。
「伊達寺くんは?」
「そうですね。行きます」
そっぽを向きながら答えた。
「そうか。良かった。ならこの作戦気張らないといけないね」
ぐっぐっとストレッチをするヰ丁。その瞳は猛者のそれだった。
薬指に嵌められた指輪に目が行く。
家庭を持つことを自分では想像できない。だがヰ丁にとっては間違いなく現実で守るべき存在だ。自分なんかより遥かに重い物を背負っているのに人にやさしくできるのは凄いと思った。頭が上がらない。
ヰ丁は田擦の視線に気付き指輪を摩った。
「いやあ。この年で女々しいと思われるかも知れないけどね。これを身に着けてると家族を身近に感じることが出来て勇気を貰えるんだよ」
ヰ丁には小さなお子様が居るらしい。結婚が比較的遅かったのか奥様の出産が比較的遅かったのかは知らないが子育てというのは相当大変な筈だ。放逐も熟し子育ても熟す彼には脱帽する。
「そろそろかな」
耳に装着した端末から音声が届く。
『ヰ丁班予定地点に到着しました。今から刹魔を打ち込みます』
緊張を孕んだ声と共に地面を割る硬い音が聞こえた。
『ドーム型刹魔起動します』
肉が裂ける様な音が聞こえた直後背後から壁が顕現した。
湧き上がる純白の壁が中空に集合しドームを模った。
壁には無数の棘が張り付き逃亡を許さない。
小さな隙間から漏れる陽光がヰ丁の指輪を照らした。
「さあ。作戦開始だ」
引き締まった表情を浮かべるヰ丁と不敵に笑う伊達寺。
「こっからが本番だな」
伝う汗を拭って田擦は刹魔を起動した。
ヰ丁も既に刹魔を起動しており扇の様な刃の付いた斧を構えている。
「伊達寺くん。刹魔」
刹魔を起動していない伊達寺に短く指示する。
「俺はこのままでいいですよ」
「しかし……」
「知ってますか?刹魔は起動直後が一番斬れ味良いんですよ生物だからですかね。リラックスするほど力は強くなる」
「そうか。でも今はデーモンが何処から来るのか分からない。兎に角構えておいたほうが——」
「反応できるので」
ぴしゃりと言い放つ。
田擦は困惑するヰ丁を見て伊達寺の首を鷲掴んだ。
「後で話がある」
「あー後で話すことが二個になっちゃいましたか」
べしと叩き田擦は構え直した。
伊達寺はまあ何とかするだろう。
今は作戦に集中だ。私はもっと貢献しなければならないのだ。
もし自分達が陀付に接敵した場合は他班が援護に来てくれる。他班が接敵すれば自分達が援護に行く。
刹魔の縮小が終わるまで持ちこたえれば良い。緊張しすぎる必要は無い。
息を吐き背中を合わせ周囲を見張る。
突如その瞬間は訪れた。
『こちら三倉班!陀付が現れた!おい何だあれ……!援護を頼む援ごぉ——』
聞き慣れない動揺した三倉の声によって一気に緊張が走る。
背筋が嫌に冷たく、鼓動が加速する。
「援護に向かう!」
ヰ丁が三倉班の居る方向に駆けだした。
田擦と伊達寺も後を追う。
「無事でいてくれよ……!」
苦しそうな顔で漏らすヰ丁の言葉に田擦も同意した。
犠牲者が出れば放逐が困難に成る。それ程までに特性を持つデーモンは危険だ。其れに人の死など到底受け入れられるものではない。
先に行こうとする身体を歯を食いしばって食い止める。
自分が先に行ってしまえば万が一ヰ丁が襲われた場合守り切れない。
伊達寺は人命より放逐を優先してしまう。
この作戦は足並みを揃えるのが最重要なのだ。
ビル群を縫って走り三倉の下へ駆け寄った。
血溜まりの中に恐怖一色で佇む三倉。
意思が抜けた様に脱力し刹魔を今にも落としそうだ。
傍らには骸と化した三倉班の面々が打ち捨てられていた。
念の為三倉班の生死を確認するが生き残ったのは班長だけだった。
「三倉班長、何があった?」
険しい表情で迫るヰ丁班長。
作戦開始数分でこれだけの犠牲が出たのだ。作戦を立てた班長は責任を感じているだろう。
実力を持つ三倉班が壊滅したのは大きな誤算だった。デーモンの脅威度を見誤っていたというのか。
「三倉班長!何があったのか教えてくれ!」
放心状態の三倉に叱る様に問い詰める。
三倉は虚ろな瞳でただ一言。
「無理だ」
其の言葉を聞いてヰ丁は激昂した。
「三倉!あなたの班員がやられたんだぞ!仲間を失うのは辛い。だからこそデーモンは放逐しないかん!」
顔を真っ赤にして肩を揺らす。
なんて哀しそうに怒るんだ。田擦はそう思った。
「三倉班長‼」
三倉は何も答えなかった。答えられなかった。
ヰ丁の思いは届かなかった。
悔しそうに手を離す。
「三倉班長は必ず守る。二人は至急他の班に援護を頼んでくれ」
素早く指示し三倉班に手を合わせる。刻まれた皺が更に深くなった。
耳の端末で応援を仰ぐと他の班は既に向かっているらしかった。
揉短班の次にヰ丁班が駆け付け、全員が三倉班の惨状に戦慄した。
三倉班長の悲痛な叫びを聞いて他の班員たちも動揺していた。そしてこの惨状だ。精神的苦痛は免れない。
「お前らあ!」
不意に揉短班長が叫ぶ。
「絶対仇取るぞ」
敵への殺意に塗れた瞳が班員を貫く。
恐怖など感じている暇は無い。今は唯デーモンを放逐する。其れだけを考えろ。そんな言葉を掛けられた気がした。
「ヰ丁班長、三倉班がやられることは誰にも予想出来なかった。一番実力があるのは三倉班ですから。陀付への警戒を強めた方がいい。テレポートの特性は想像以上に厄介みたいです」
「ああ。この中で第二種級デーモンの放逐数が最も多いのは三倉班だ。だが動揺している場合じゃない。ドームの壁際に三倉班長を運ぶ。その周りを囲う様に全員構えろ。何処から来ても対応できるよう死角を埋める」
ヰ丁班長の指示により三倉班長を壁際に運ぶ。囲う様に半円に並ぶ放逐官達。全員が緊張を浮かべながら刹魔を構えている。
この配置なら陀付が何処から来ようと不意を突かれることは無い。
最初から全員が一か所に集まっていれば良かったのかも知れない。だがそれではデーモンが襲ってくるまで待つことになる。逃亡を繰り返す陀付が襲って来る可能性は低いと考え、最短で放逐する為班ごとに分かれて待機した。結果的に其れが仇と成った。陀付の脅威は歴戦の班長達の想定を上回っていたのである。陀付の脅威と云うより特性であるテレポートの脅威か。
テレポートの情報はそこまで多くない。周囲のカメラの情報やデーモン探知機の記録、田擦が出会った子供のカメラ映像。どれもテレポートの距離や間隔などの詳細なテレポートの情報を得ることが出来なかった。
三倉班の犠牲は陀付の過小評価でも放逐官達の過信でもない。
純粋な情報不足が三倉班の犠牲を生んだのだ。
魔的対策機関が持つデータバンクは様々なデーモン、人間の情報を擁している。しかしテレポートの特性は稀有でデータバンクにもあまり情報が無かった。
作戦の準備期間を長く設けても良かったのだが陀付の被害が拡大する中、放逐を遅らせることは出来なかった。
仲間の呼吸と自身の鼓動が嫌に五月蠅い。
刹魔を握る手が汗で湿りぬるぬると滑る。
鉄の臭い、死の臭いが鼻腔を突き刺す。
死の恐怖と放逐の意志が混ざり合い膨張する。
見ると揉短の刹魔が揺れていた。鋭い両刃が震動している。
かつてない真剣な表情。どれだけ実力があっても過信は死を生む。彼が若くして出世できている理由を垣間見た気がした。
「!いました陀付です!」
ヰ丁班の一人が指で示す。
向くと折り紙のやっこさんの様な形質をした純白の化け物がビルの屋上に立っていた。
ドームの天井ギリギリで此方を窺っている。
左足に付いている目と鼻と口が一斉に凝視してきた。その口の端が吊り上がる。
嫌悪感と緊張が一気に全身を走った。
「「来るぞ!」」
ヰ丁、揉短、両班長の咆哮と同時。
どっ!
陀付の居る屋上が破裂し一気に飛び掛かって来た。
速い。まともに受ければ一網打尽にされてしまう。
「避けろオオオ!」
全員が飛び退くと同時、陀付が激突した。
ゴ!砕けた地面が飛び散り土煙が舞い上がる。
衝撃がこっちにまで伝わってくる。
近くに居た三倉が吹き飛んだ。
体勢を立て直した田擦は刹魔を構える。何の特性もない第四種級の刹魔。果たして太刀打ちできるか。
呼吸が加速し思考が減速する。
土煙のヴェールが晴れると揉短の班員が一人、ドームの棘に串刺しに成っていた。
あまりの衝撃にドームの壁がひしゃげていた。
多量の血を吐く揉短班員。それでも一矢報いようと悲痛な顔で刹魔を突き刺した。
無視して離れる陀付。
栓を失い腹から夥しい量の鮮血が溢れる。
光を失った瞳で血を噴く骸と化した。
思わず歯軋りする。
デーモンは軽々と命を奪う。
足に付いた眼球が動き田擦を捉えた。
背筋が凍る。だが放逐するという意思が、熱が全身を滾らせる。
「来い!」
弾丸の如く突進する陀付。
死の塊が一瞬で接近してくる。
直撃する寸前、揉短とヰ丁が飛び出し三人で陀付の突進を受け止める。
!衝撃が刹魔を伝い全身を貫く。
手が痺れる。少しでも力を緩めれば全身が爆発しそうだった。
後退る三名。
「いけ!」
揉短の声と同時に揉短班、ヰ丁班、伊達寺が陀付に飛び掛かる。
刃が当たる寸前に陀付は飛び退き離れた場所に着地した。
様子を窺う様に痙攣し眼球がぎょろぎょろ動く。
「あーーーー」
伊達寺が何か漏らす。
刹那陀付に向かって単身突進した。
「馬鹿野郎!」
揉短班とヰ丁班が遅れて援護に向かう。
一人で立ち向かえば確実に死ぬ。テレポートの特性なら死角を突くのは容易なのだ。……テレポート?
陀付は伊達寺に向かって真っ直ぐ突進する。
まともに受ければ必死。速すぎて完全に避けるのは困難だ。まして陀付の方へ向かっているのだ。普通なら避けられない。
普通なら。
伊達寺削鍬は普通の過去を歩んでいない。多くの人が享受する当たり前を感じずに育ってきた。感情の機微が鈍いのも其の所為だろう。なればこそ伊達寺削鍬は普通の範疇から逸脱している。
普通ならば避けられない攻撃を普通じゃない反応速度で躱した。ついでに眼球に一撃浴びせ体勢を立て直す。
予想外の出来事に放逐官達は驚きを隠せない。陀付も不意を突かれ咄嗟に距離を取った。
「あーーーーやっぱり。こいつの特性テレポートじゃないですね」
伊達寺の言葉に全員が驚愕する。
「どういうことだ。調べて確認したテレポート以外ありえない」
ヰ丁の言葉に田擦は反対した。
「陀付はテレポートを未だ使っていない。二度も足を使って避けました。テレポートを使えばカウンターだって浴びせられた筈です」
「何か使えない理由があるんじゃ——」
「使えないならそもそも襲ってこないと思います。デーモンも生物です。死にに来る様なことはしないかと」
「じゃあ陀付の特性は——」
不意にヰ丁がそっぽを向いた。
何かに気を取られている。呆気に取られている。
「ヰ丁班長。何が」
同じ方向を向く揉短。放心したように固まった。
陀付に注意しつつ田擦も同じ方向を向いた。
総勢九名の放逐官が同じ方向を向いた。
思考が。停止した。
折り紙のやっこさんのような形質をした第二種級デーモン陀付。
それらが建物の屋上から此方を凝視していた。
その数十五。