貴女が母上だったら良かったのに
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大変助かります(*^^*)
「貴方はもう、好きに生きると良いわ。鞄に入っているのは、これまでの慰謝料みたいなものよ。………遠慮せずに受け取って」
長年暮らした場所を僕、シューベルトは出ていく。
住みやすかったとは言えない、小さな別邸が僕の全てだった。
◇◇◇
僕の母親は、僕を産んで死んだ。
産まれたばかりの僕を残して。
僕の出産は、この家の奥様と同じ日だったらしい。
奥様は女の子を。
僕の母親は僕を産んだ。
僕の母親は愛人だったらしい。
このことは奥様と、一部の使用人以外には秘密にされていたそうだ。
◇◇◇
「お前は私の跡取りだ。たった一人の男の子よ」
この家の伯爵様が幼い僕に言う。
それを見て、奥様の目が無意識につり上がる。
伯爵様はそれに気づき、ほくそ笑むのだ。
僕は愛人の子だけど、伯爵様と奥様の子として届け出が出されている。
奥様の子マルガリーテ様は、愛人の子として届けが出された。
奥様の子は、僕の上に既に3人の女の子がいた。
アッシュリィ・ブレンダ・カーリアンは、美しく聡明で、でも僕を見る彼女らは、寂しさを内包した瞳をしていた。
伯爵様は不在が多く、伯爵様が選んだ厳しい家庭教師が僕を教える。
出来るまで休憩はなく、間違った時はふくらはぎを鞭打たれるのだ。
「っく……」
でも僕には、言い返すこと等出来ない。
愛人の子の僕が、高等教育を受けられるのは異例のことだから。
黙ってありがたく享受するべきなのだ。
この痛みさえ、その学びを受ける対価として受けとるべきなのだ。
僕は怠らず、常に戒めて成長していく。
品行方正、才色兼備で、武にも優れたと周囲は言う。
そんな男が、離れの小さな別邸で暮らしているとは思わないだろう。
教育は本邸で受け、普段は全ての物が詰め込まれた場所で生活していた。
使用人が近づくことを禁じられた、僕だけの大切な場所。
以前は本邸で暮らしていた僕。
でも幼き時に、奥様の侍女が僕の食事に毒を盛った。
犯行に及んだ侍女が言う。
「お前など、母親と共に死ねば良かったのに!」
彼女は騎士に引きずられ、何処かに行った。
その後は知らない。
彼女は奥様が嫁ぐ前の、公爵家にいた時からずっと側づきだったらしい。
奥様の姉のような存在だったそう。
日頃から、伯爵様の僕への態度に憤っていた。
『たかが男児』と言うだけで、男児を産めない奥様を蔑ろにし、愛人の子を奥様の子として育てることに。
本来伯爵夫人である、奥様の子が受ける筈の最高の教育を、愛人の子が受けている。
教育自体は厳しいが、最高峰の教師からの学びは将来の糧になることだろう。
「俺は最高の息子を得た。こんなに上手くいくとは思わなかった。わははっ」
ある時そんな言葉を聞いて、奥様の侍女は限界だった。
「奥様、公爵家へ戻りませんか? これ以上貴女が辛い目にあわなくても良いでしょう。
公爵家の借金は、伯爵家から受けた援助でなくなりました。
事業も軌道に乗り富も増えました。
……全ては貴女の功績です。
戻っても不満等言われない筈です!」
奥様に進言するも彼女は首を横に振り、寂しく笑うだけだ。
「嫁いだ娘が戻っても邪魔なだけ。それにここには私の娘も、大切に守ってきた領民もいます。離れられないのです」
苦しそうに顔を歪ませた侍女が毒を盛ったのは、僕が7歳の時。
血を吐いて倒れた僕は、生死を3日さ迷った。
その僕を看病してくれたのが、何故か奥様だった。
側づき侍女の犯したことへの罪滅ぼしなのだろうか?
「この子に不満を持つ者が、この機会にこの子を殺そうとするかもしれません。
侍女のことは不徳の致すところですが、私には娘達もおりますから、馬鹿な真似はしません。
騎士を側に置いて、監視させても構いませんから!」
そう言って、奥様が償いのように寝ずの看病をしてくれた中で、僕は目覚めた。
その時から、奥様の態度の何かが変わった気がした。
何故か眼差しに、優しげな気配を感じたのだ。
僕は日中を本邸で過ごす。
そして夕食を食べて、入り口を護衛騎士が守護する別邸へ移動する。
別邸には側面に窓がなく、大きな天窓から夜空が見える。
一人で寝転ぶ孤独な自分に、たくさんの星が話しかけてくれるように感じた。
寂しい心に、それが何よりの慰めだった。
◇◇◇
同じ日に生まれた奥様の本当の娘マルガリーテ様は、時々癇癪を起こしていた。
厳しく躾ようとする家庭教師に、激しく抵抗するのだ。
「勉強なんて嫌よ。ドレスを買いに行きましょう。パーティーに行きましょう」
「どうして、シューベルトと比べるの? あの子は次期当主でしょ? 学ぶのは当たり前じゃない!」
淑女教育は進まず、彼女が本当は奥様の子だと、生い立ちを知る侍女達が彼女を甘やかす。
その証拠なのか、伯爵様は彼女の我が儘に全て応じていた。
表向きは愛人の娘と言っても、伯爵様に愛される娘は甘やかされた。
愛人は伯爵様の真実の愛だと、大衆小説のモデルになるくらいだったから、感化されたされた者も多かったのだ。
しかし奥様こと、義母だけは娘に厳しく接した。
「自分を磨くためにも学ぶのです。未来は自分で切り開く力がいるのですよ」
だがその言葉は届かない。
「私は義理とは言え、伯爵家の娘です。この美貌で嫁に行けば、誰もが幸せになれますわ。心配なさらないで。ふふふっ」
義母の言葉など聞き流し、楽しいことだけに身を委ねるマルガリーテ。
義母のことなど馬鹿にしている言動が目立っていく。
彼女には知らされていないが、彼女は奥様の本当の娘の筈なのにと、僕は心底彼女が羨ましかった。
この頃、「奥様は愛人の娘に辛く当たっているらしい。
真実の愛の結晶に、意地悪をしているらしい」と一部の使用人から市井に噂が立ち始めた。
ゴシップ好きな者の話の種にされて、醜聞は広がっていく。
屋敷の使用人達は混乱していた。
奥様は厳しい方だが、意地悪などしないお方なのに。
だがその噂を伯爵様が払拭させることはなく、奥様は悪女と見られていた。
◇◇◇
そんなある日、第二王子サーブルが伯爵邸を訪ねて来た。
「マルガリーテと婚約したいと思う。
聞けば伯爵よ、お前は愛人の子を次期当主にしたいが為に、愛人の子をアマニ殿の実子と嘘を届けたと聞いた。
マルガリーテは伯爵家の本当の娘であろう?
ならば我が妃でも問題ないと思うが、どうだ」
厭らしい顔つきで伯爵を見るサーブルだが、伯爵の態度に変化はない。
「はて。そのような事実はございませんが、疑問ならば是非鑑定をして貰いましょう」
伯爵は朗らかにそう言うと、その後小声でサーブルに囁く。
「この伯爵家に、混乱をもたらそうとする不穏分子がおるのです。
是非サーブル様に告げ口した者をお教えください。
謝礼はたんまり致しますから」
先程まで朗らかだった顔は、仄暗い愉悦に歪んでいた。
ぞくりと背に汗を滴らせるサーブルは、自分を嵌めた侍女や侍従の名を吐き出した。
彼は伯爵の秘密を握り、マルガリーテと遊ぶ為に援助をさせようとしていた小物で、マルガリーテと結婚したい気持ちは揺るがなかった。
妖艶な魅力のある美しい娘とは、既に一線を越えた間柄だ。
噂が嘘でも本当でも、どちらでも構わないのだ。
「今から教会に参りましょう。これを機に噂を正さねばなりませんから」
そしてシューベルトとマルガリーテ、アマニと伯爵が教会へ訪れた。
サーブルと、記録をする書記官も共にその場に伴って。
サーブルに、マルガリーテが奥様の子だと伝えた使用人達も騎士によって連行されて来た。
そこに本当の事情を知る執事長、侍女長、事情を知らない姉達も同席させられた。
◇◇◇
「神の御名に於いて。血縁鑑定!」
床に大きく描かれた魔方陣は、溢れんばかりの光を放った。
そこでシューベルトはアマニの子で、マルガリーテは愛人の子と神官の神業で判定された。
マルガリーテ本人は、自分は愛人の子だと信じていたので怠そうにしていた。
だってそうだろう。
今まで、アマニの子と愛人の子が取り替えられているなんて言う、伯爵の残酷な嘘はマルガリーテに伝えてはいなかった。
もしマルガリーテに伝えていれば、我が儘なあの口から秘密はとっくに盛れ出していただろう。
「な、なんで…………」
マルガリーテがアマニの子と信じて疑わず、サーブルに取り入ろうとした侍女、侍従達の3人が驚愕の表情を浮かべた。
「今まで、嘘を伝えられていたと言うの?」
「何故、そんなことを! 酷い」
「俺はその女に騙されただけだ。助けてくれ!」
勤務先貴族家の秘密漏洩をし、その家族を批難するなどあり得ないこと。
でもこれは噂ではなく、ここにいる侍女は確かに物陰で聞いていたことだった。
伯爵がアマニに「子を取り替える」と、出産時のごたごたで告げた卑劣な言葉は真実だから、自分達に非は及ばないと勘違いしてしまった。
事実アマニは、シューベルトのことを愛人の子だと思っていた。
けれど毒で死の淵をさ迷った看病の際に、娘達の幼い時の顔に似ていたことで気がついたそうだ。
『この子は自分の子だ』と。
今まで腹が立ち、目も合わさなかったことが災いした。
近くで見れば、すぐ分かった筈だから。
「ごめんね、坊や」
でもこの状況は、伯爵が意図的に作り出したことだ。
自分の感情を爆発させて、シューベルトや娘達に害が及んではいけない。
下手に離婚に繋がっては、誰も守ることが出来ないのだ。
意図を調べなくてはならない…………
アマニはすぐに私財で調査を開始したが、シューベルトへの行動を変えることをしなかった。
いや出来なかったのだ。
なりふり構わずに動けなかったことが、一生の後悔に繋がる。
◇◇◇
マルガリーテは、伯爵の愛人そっくりに成長した。
亜麻色の髪にトパーズの瞳、括れた腰に豊かに膨らんだ胸。
そしてその相貌に、アマニの気配は皆無だった。
「何を今さら。愛人の子、愛人の子と、馬鹿にして! こんなに美しいのだから、文句はよしてくださらない」
マルガリーテは、いつも真っ直ぐだった。
彼女は喩え自分が本当に奥様の子でも、今さら態度など変えないだろう。その強さは、シューベルトを少し羨ましがらせた。
「もう良いだろう。サーブル様も宜しいですね」
「ああ。済まないな、手間をかけた」
伯爵の問いかけに、サーブルは顔色を悪くしていた。自分は体良く利用されたのだ。
そして全ての噂に、適切に対応する責任も同時に生じた。
だってそうだろう。
サーブルが伯爵を脅したことで、伯爵は神官に親子鑑定をさせたのだ。
他者から深く探られない為にも、友好的に接しなければならない。
例え何の得にならずとも、自分の保身の為に。
「ああ、これこそやぶ蛇だ。あの男に利用されただけだ。奴の方が何枚も上手だった。
……でも、なんでこんなことを?」
◇◇◇
私は知っていた。
ある程度の爵位を持つ嫡男は、後ろ盾があると努力しないことを。
まさに自分がそうなのだ。
そして今まで男児が生まれずに、公爵家出の妻が義父母に不満を言われても堪えていたことも。
きっと嫡男が生まれたアマニは、私を蔑ろにして嫡男を大事にするだろう。
私への関心が薄くなることは、容易に想像できる。
私は、アマニを愛していた。
家柄、美しい容姿、領地を切り盛りする頭脳。
全てが、私が好む理想の妻だった。
だから、嫡男が優秀に育つように。
アマニが嫡男であるシューベルトを、私以上に愛さないように。
アマニが私にいつまでも依存するように、そう仕向けたのだ。
『嫡男はアマニの子ではない。
お前の地位は、まだ安泰ではない』と思わせる為に。
今回全てが露見したが、いつかは明かそうとした事実だ。
少し時期が早まっただけで、家族はきっと受け入れるだろう。
あるべき場所に落ち着くだけだ。
マルガリーテはサーブルに嫁ぎ、シューベルトが伯爵家を継ぐ。
姉達には既に夫や婚約者がいるから、一安心だ。
シューベルトは愛人の子と思って成長したので、甘えなく学び優秀だ。
完璧と言って良い。
容姿も私とアマニの良い部分を継いだ美男だ。
ただ私達に対して、異様に腰が低い。
今まで愛人の子と思っていればそれは致し方ないが、今後直していく必要がある。
伯爵にとっては、子は言うことを聞く駒としか認識がない。
僅かでも、感情を慮ることはなかった。
◇◇◇
「僕が奥様の子? まさか………………」
僕は愕然とした。
どんなにか、奥様の子だったら良いかと思っていた。
マルガリーテ様のように、僕も心配して欲しい、叱って欲しい、愛して欲しいと渇望していた。
どうして今さら……………………。
混乱する僕に、奥様が声をかけてくれた。
「ごめんなさいね、シューベルト。私は貴方が毒で倒れるまで他人だと思っていたの。
その後は私なりに調べて、貴方が息子だとほぼ確信していたわ。
でも保身の為に表だって動けなかったの。
ただずっと見守っていただけ。
ごめんね、ずっと寂しい思いをさせて」
思わずシューベルトを抱きしめたアマニは、大きな声で泣きじゃくった。
シューベルトは、奥様だと思っていた人が母上だと分かっても、理解が追いつかず固まって動けない。
けれどいつも気丈なアマニが泣くのを見て、心が震えた。
(ああ。僕は一人じゃなかったんだ。見守ってくれた人がいたんだ。ああ、暖かいな)
そう思った瞬間、僕も奥様を、いや母上を抱きしめていた。
そして初めて、声をあげて泣くことが出来たのだ。
◇◇◇
僕は伯爵邸に戻ってから、リビングソファーに脱力し座る母上に、自分の夢を告げた。
母上が本当に、自分の親だったら良かったのにと思っていたこと。
伯爵邸と別邸しか知らないので、星が近くで見える場所に旅をしたかったことなどを。
頷いて、話を聞いてくれる母上。
僕はずっと誰かに、いや母上に聞いて欲しかったことを延々と話し続けた。
すると母上は、こう言うのだ。
「貴方はもう、好きに生きると良いわ。鞄に入っているのは、これまでの慰謝料みたいなものよ。
…………遠慮せずに受け取って。
貴方に何もプレゼント出来ず、その分お金を貯めてきたの。
いつか貴方に渡そうと思って」
僕は捨てられるのかと思って、不安げに母上の顔を見つめた。
母上は優しく囁く。
「貴方はずっと我慢してきたわ。小さな我が儘さえ言えずに。だからもう、自由に生きて良いのよ。
貴方のことは勿論、これから全力で守るわ。
私は伯爵と離縁するつもり。
もうタウンハウスも購入しているし、いくつも投資していて資金には困らないわ。
伯爵の不誠実を理由にイヤとは言わせないから。
貴方は私と貴方の姉と暮らすの。
そして旅をしたいならしておいで(勿論内緒で護衛はつけるけどね)。
旅が終われば、タウンハウスに戻れば良いのよ。
ずっと待っているから」
「ありがとうございます、母上」
僕は嬉しくて、再び母上を抱きしめた。
もう16歳になるのに、心は幼いままだ。
強くなりたい。
ちゃんと自信を持てる大人になってからでも、旅に行くのは遅くないよね。
今日僕は、長年暮らした場所を出て行く。
住みやすかったとは言えない小さな別邸を出て、母上と姉とタウンハウスに移り住んだのだ。
上2人の姉は既に結婚して嫁いでいる。
今回のことを聞いて、かなり憤っていた。
母上は何となく僕の話をしていてくれて、僕のことを心配してくれていたようなのだ。
「ごめんね、今まで何も出来なくて。
状況がはっきりするまでは動けなかったの。
もしシューベルトが母上の子でなかった時に、余計に傷つくと思って。
でもこんなにも私の顔に似ているのに、疑うまでもなかったよね」
「姉上はお綺麗です。似てるとは言えない気がしますよ」
「ありがとう、シューベルト。嬉しいこと言ってくれちゃって、もう。でも、これお化粧の効果なのよ。素肌だと貴方の方が整ってるわよ、きっと」
次の瞬間、背中をバンバン叩かれていた。
照れているようなので、意地悪じゃないよね。
そっか、僕は姉上に似ているんだ。そっかぁ。
頬が緩み口角が上がる。
カーリアン姉上も母上も、そんな僕を見て微笑んでいた。
……は、恥ずかしいけど、どうしたらいいかわからなくて俯いてしまう。
僕より2歳年上のカーリアン姉上は、半年後に結婚予定だ。
夫になる人は騎士爵しかなく、伯爵は反対気味だったらしい。
なので伯爵家を離れた今、タウンハウスにもその彼を呼び、僕と母上と4人でいろいろと交流している。
筋肉隆々の日焼けした美形で、恋話をチョイチョイ入れて話してくれる。
きっと年頃の僕に合わせて、話しやすく考えてくれてるんだと思う。
けれど、他人との交流も儘ならなかった僕に、好みの女性の話とか初恋の話とかは、ハードルが高いよ。
僕はその話に適当に頷きながらも、物語のように聞いていた。こんな僕にも、そんな瞬間は訪れるのだろうか?
彼の初恋話の時、カーリアン姉上の顔が少しヒクついていた。
「へぇ、貴方パルーナが好きだったんだ? そうなのね」
「え、えっ。5歳の時の話だぞ、時効だろ?」
「悔しいっ、その次は誰に恋したの?」
「えーと、カーリアンだよ。君だけさ」
「本当に?」
焦る義兄(予定)と姉上に不穏な空気が漂うけれど、母上は「愛ゆえの嫉妬だから、大丈夫よ」と言っていた。
背中を叩いたりとスキンシップの多い姉上だから、義兄(予定)に怪我がないことを祈るばかりだ。
なんか、経験が多いのも大変なんだな。
元々伯爵は伯爵邸に戻ることが少なく、僕達が引っ越してもすぐに騒がれることはなかった。
母上の離縁はまだ完了していないが、優秀な弁護士を雇って任せている。
今回のことがあって、母上は生家の公爵家にも相談した。
公爵家の面々は怒り心頭で、伯爵に殺意を見せていた。
母上は「子供達の父親がいなくなるのは、さすがに不味いわ」と笑って、伯爵への殺意を仕舞わせた。
母上も伯爵のことを好きでいたことがあった。
けれど愛人を何人も作り、領地の経営を母上と家令に丸投げにして帰って来ないことに諦めを感じていた。
そして僕の事件が起きた。
僕に毒を盛って罪に問われた侍女のことで、完全に心は離れたのだ。
僕は知らなかったが、その侍女は公爵家の力で死罪は免れた。
姉のように頼ってきた彼女を、母上はなりふり構わず救う為に嘆願したのだ。
だから侍女は、未だ貴族牢の中で生き続けている。
本来は一般牢に入る予定だった、男爵家三女の彼女。
母上は全て自分の為だったと、必死に願ったのだ。
貴族牢の使用料も母上が捻出しているのは、侍女には内緒だ。
あと2年で彼女は釈放される予定だ。
僕は当時のことをよく覚えていない。
けれど僕が、母上の子として暮らしていれば、こんな悲しいことにはなっていなかった。
僕は侍女を許すことを母上に伝え、そのことを手紙で書いて送った。彼女は母上と僕に、「心から感謝します」とすぐに手紙で伝えてくれた。
その手紙は、涙で滲んだ痕がたくさんあった。
「本当に申し訳ありませんでした。
大事な奥様の子が死ななくて良かった。
私はどうしようもない女です。
でも生かされた命を、ここを出たら役立てたいです」
2人で面会に行くと、彼女は泣きながら謝罪してくれた。
僕は母上に味方がいて良かったと思い、僕にされたことなんて忘れていた。
あの時の僕は、孤独な日常の方がよっぽど辛かったから。
彼女は当初、母上に迷惑にならぬように死のうとしたらしい。
けれど、懸命に母上はそれを止めた。
「貴女が死んだら、私も後を追うからね」
そう強く言われれば、もう死を選ぶことは出来ない。
侍女はただただ、母上の幸せを願っていたのだから。
僕に毒を盛った時は、きっと魔が差したのだろう。
だってとても優しい、気立ての良い人なのだ。
僕が愛人の子だと思っていた時から、分け隔てなく接してくれていた人だったから。
「坊っちゃん、クッキー焼けましたよ。奥様は執務室にいますから、是非さそってあげて下さいね」
「うん、ありがとう」
だからこそ余計に、冷静でいられない瞬間があったのだろう。
父上から傷つける母上を見ることで……。
何度も母上と面会に行き、数年後に彼女が釈放された後、再びタウンハウスで侍女になって貰った。
彼女は1年だけ母上の侍女をして、その後にシスターとなり教会に身を置いた。
「ありがとうございました奥様、いえアマニ様。
それにシューベルト様。
私は幸せです、本来ならば死罪で死んでいる身です。
これからは神と民の為に身を捧げていきます」
明るい顔は、新しい明日を見ていた。
僕と母上は、寂しさを抱えながらも彼女を送り出した。
「元気でね。教会に遊びに行くからね」
「いつでも戻って良いからね。無理しないでね」
「ありがとうございます。お二人もお元気で」
頭を下げて教会の門を潜る彼女は、とても綺麗だった。
僕は今までに、何度も何度も彼女に謝罪され献身を受けた。
僕も彼女が大好きになっていた。
母上の本当の姉様のようだったから。
いつもニコニコしていて、陽だまりのような人だった。
母上と伯爵は、まだ離縁できていない。
嫡男となる僕のことで揉めているらしい。
そして母上の行っていた領地の経営も、伯爵には難解なようで、押し付けられた家令は好きなように横領して辞めていったそうだ。
なので潤沢な豊かな実りをつける伯爵領なのに、今は伯爵には余分な資金がなく、囲っている愛人にも逃げられているらしい。
金の切れ目が縁の切れ目と言うのは、本当のようだ。
もうそろそろ良い頃合いだろうと、公爵家の面々も出張っている。
これ以上渋ると、伯爵の命も危なくなりそうだから、僕のことは諦めて欲しい。
母上と僕のタウンハウスには、嫁に行った姉達が子供と共に遊びにやって来て賑やかだ。
カーリアン姉上は、伯爵を呼ばずに結婚式を挙げた。
とても綺麗で自慢の姉だと思った。
今は他の姉上とも仲良くして貰っている。
僕は家庭教師からの学びを終了後、母上の投資している商会に身を寄せた。
未だ母上は伯爵夫人で僕は次期伯爵と言う身分ではあるが、離縁はほぼ確定であるので、平民として扱って欲しいと頼んでいた。
最初はそんなことはと戸惑われたが、働くうちになあなあになって、いつの間にか対等に接してくれていた。
そこで5年働き、高地にある国の副商会長を任された。
その時にはもう、母上と伯爵との離縁は済んでいた。
◇◇◇
伯爵はアマニとの離縁も、優秀に育ったシューベルトを手放すのも渋っていたが、シューベルトとマルガリーテに行った入れ替え計画を公にすると言えば怯んだ。
そして公爵家からアマニの兄エルビスが釘を刺す。
「何年渋ってるんだ、お前は。アマニが頼んでなきゃ、とっくに土に返っているんだからな!」
「はぁ、土って? 何っ!?」
驚愕の伯爵は、エルビスの軽蔑した顔を目に入れた。
アマニと婚姻した時に伯爵家の資金援助を受けて、申し訳ない様子だったかつての彼は既に霧散していた。
今の彼は名実共に、公爵然とした冷酷な佇まいだった。
簡単に言えば黒髪で金の瞳は、王家の血を強く引き継いだ色だ。
借金等なければ、伯爵が近づける相手ではなかった。
(血の濃い縁戚であっても、国庫は税金なので個人的に貸し借りできなかった為に、その当時潤沢な資産のある伯爵に頼ったのだ)
蔑んだ彼の瞳は驚く程冷ややかで、恐怖さえ感じるその美しさは妖艶でもある。
アマニと同じように美しい男だった。
伯爵は一人息子で甘やかされ、打たれ弱い男だ。
公爵家のアマニと結婚出来たのも、彼の親が凶作領地の為に一時的に大金を欲した公爵家に資金援助をしたお陰だった。
好きな相手に告白なんて出来ない男なのだが、労せず好きだった女性と結婚できた。
そこで態度を改めれば良かったのだが、ちやほやされた状態のまま自重することもなく、うまいようになってしまった。
親が世話を焼きすぎて、ずっと思い通りに事が進んできた金髪碧眼の優男は、今になってやっと壁にぶち当たったのだ。
優秀な後継を育成するのは、ある意味貴族の義務でもあるが、彼の取った方法はどう考えても悪手であった。
幸いにして力を取り戻した公爵家から、伯爵が経済的なダメージを受けているわけではないし、長女アッシュリィの息子ライナーが、時々伯爵家の別邸に遊びにも来ている。
シューベルトから、「大きな天窓からの星空が綺麗だ」と話を聞き、実際に眺めに来たら感動したらしい。
嫁いでから連絡が乏かった長女だが、彼女なりに父親のことを心配していた。
シューベルトとマルガリーテ、母アマニにとってはとんでもない男だが、アッシュリィやブレンダ、カーリアンには、優柔不断だけど面白くて優しい父親だったから。
一時はシューベルトや母親の仕打ちに怒り、絶縁状態だったが思い直した。
一人っ子の後継息子は、そんな風に育てられてしまっのだと思い、我が子の反面教師にしようと考えて。
これからは子供と一緒に、父親も再教育していくことに決めたのだ。
シューベルトはもう転勤し、この国にはいない。 伯爵家を継ぐのは、姉妹の子供の何れかになるからだ。
領民の生活の為にも、ここで伯爵家が倒れる訳にはいかないのだ。
…………もし、父親がもっと横暴で暴力的であったなら、愛人ごと葬っていたかもしれない。
今は従順だけど、性根は変わらないものだ。
だからね、もし母上達を不幸にするなら……
「父上。孫のメイファと一緒に領地の視察に行きますよ。2人には今の伯爵領の課題を考えて貰います。良いですね」
「はい!」
「わかった」
◇◇◇
子を持つ母は強いと言うが、娘もそのようだ。
きっとアマニも、伯爵家に恩がなければもっと強気の母親になっていたんだろう。
いつも遠慮気味だった彼女は常に尽くしてくれていたのに。
それを当たり前と思って、あぐらをかいてしまった。
もうあんなに良い女とは、縁は結べないだろうことを悟り絶望しそうになる。
それでも、自分と同じ男児一人の環境なのに、あまりにも過酷な少年時代をシューベルトに課してしまった。
それは到底自分では堪えられなさそうな、寂しさと心細さで引き裂かれるような残酷なものだったろう。
今更ながら項垂れる日々だ。
「赦してなどと、口には出来ないほどのことをした。
我が子を顧みず、自分ばかり楽をして外で遊んだ。
いつか少しはましになったと言われるように、頑張るとするか」
「そうですよ、お祖父様。浮気ばかりで家に寄り付かず、お祖母様に全部丸投げし遊び呆けて、今は捨てられたお祖父様」
孫の毒舌に泣きそうになるが、今は言い返せない。
容赦のない辛辣な返しをする孫は、他の者には穏和に接する大人びた7歳児だ。
たまに年上と話しているような錯覚に陥るほど、的確でさらに毒も含んでくる。
一生弁舌では勝てない気がする。
この子がたぶん、伯爵家を継いでくれるんだろう。
…………こうやって、傍で叱られるのも悪くないな。
私は幼い時に、いや、大人になってからもそんな機会はなかったから(やらかした今は、別として)。
「目一杯頑張るよ」
そうすれば、もう一度アマニに会えるだろうから。
その思いだけで、幼子と共に領地の視察をするのだった。
伯爵はアマニがタウンハウスに行ってから、もう7年彼女に会っていなかった。
会わせて貰えないのもあるが、自分でも会いに行く度胸がないのだ。
…………何て甘いことを考えている伯爵だが。
伯爵の行動一つで、いろんな者が動く気配がある。
奇妙な行動を取れば、その時は………………
何れにしてもこれまでの行動のせいで、敵を増やしすぎた彼の命は風前の灯火だった。
◇◇◇
マルガリーテとサーブルは、教会の件の後すぐに結婚した。
マルガリーテは伯爵の庶子ではあるも、愛人の母親も子爵家の出で、今は伯爵の籍に入っているから許されたのだ。
何よりアマニが、彼女を支援すると言ったことが大きかった。
公爵家の支援が手に入ると言うことだから。
マルガリーテはそれを知っても態度を変えない。
ただ心で感謝しただけだ。
彼女もまた、伯爵の被害者だった。
毒殺騒ぎまでは、確かにアマニに愛されている気はしていた彼女。
でもその後のアマニは、シューベルトを目で追っていた。
マルガリーテが気づく程に。
寂しさを抱えながら生きてきたのは、彼女も同じだ。
アマニとは全く違う自分と、アマニ似のシューベルト。
勘が鋭い彼女でなくとも、何となく感じる事実。
『噂はどうあれ、あの二人は本当の親子だろう』
それから彼女は、自分だけの場所を作ろうとした。
家族と言う安らぎを。
まさか第二王子サーブルと結婚するとは思わなかった彼女。
彼女は自分を愛してくれるなら、平民でも良かったから。
それでも彼女は美しく、サーブルは周囲を牽制した。
サーブルの一目惚れだった。
王子らしく甘ったれた部分や楽をしたい気質もあったが、マルガリーテに言われて改心した。
「私は子供と笑って暮らしたい。だから選んで。
私と子供達だけと幸せに暮らすか、たくさんの愛人と暮らすかを。
私はあんたが王子でなくても良いんだ。
幸せになれるなら、私も働くし贅沢なんてしなくて良い。
あんたがそれを出来ないなら、ここで別れよう。
元より純潔の責任なんていらないわよ。
慰謝料も欲しくない。
私は笑って暮らしたいだけなの」
寂しく微笑む惚れた女に、嘘などつけない。
「俺はお前が良い。幸せにするから結婚してくれ!」
「サーブル、愛してる。きっとそう言ってくれると信じてたわ」
2人は抱き合って、微笑みあった。
いや、3人か。
既に愛の結晶は、お腹の中にいたのだ。
サーブルは淑女教育がイマイチの彼女の為、田舎の伯爵領を貰い臣籍降下した。 第二王子なのだが、スペア役は第三王子に任せて王都から退いた。
ちゃらんぽらんだったサーブルは、今や領民に慕われている。
マルガリーテも共に農作業も行い、子供達も畑で戯れている。
6人も生まれた子供は、賢い子も奔放な子もいるが、みんな仲が良い。
この中で将来、有益な肥料の開発で土壌を改良したり、特殊な土内の昆虫を発見したり、領地素材の絶品料理に目覚めたりと、国益にもなる子もでるのだが、今は全員自由を楽しんでいる。
日焼けして笑っているサーブルは、ほっかむりをして草取りをしていた。
子育ても他の領民の子と一緒に、畑でしている。
7歳になると子供は乳母に任せ、家庭教師にも来て貰っているが、子供達が畑に逃げてくる珍現象が発生した。
赤ちゃんの時から、背負われて畑にいた彼らは礼儀作法が苦手らしい。
サーブルも別に叱ることもない。
「覚えたくなったらやれば良いよ」と。
子の中でも土仕事が苦手な子もいて、その子は熱心に学んでいるようだ。
彼女ら曰く、
「私は綺麗なドレスで、王子様と結婚するんだから」と、息巻いている。
自分の父親がこの国の第二王子サーブルで、彼女の言う元王子なのは知らぬが仏である。
あえて、誰も教えないことにしている。
だってやっぱり1人か2人くらいは、貴族で生きて欲しい願望があるから。
でもイヤになったら逃げても良い。
ここはキラキラは少ないけど、豊富な食べ物はあるから、生きて気力を養うには最高の場所である。
最近山菜採りに行った領民から、卵の腐ったお湯が出ていると陳情があった。
それはきっと、この領地に泊まった旅人から聞いた、痛みに効く池なのじゃないかしら。
源泉に近いほど強い薬効が出るが、臭いを強く嗅ぎすぎると毒になると言う。
また源泉は高温だから、川の水と合流させる為に少し離れた場所に貯水池を作る必要があると言う。
どうしてサーブルとマルガリーテが食いついたかと言うと、この領地にないのは風呂だからである。
一般の家には風呂場がなく、水で体を洗っていると言うのだ。
冬場はお湯を足して洗うそうだけど。
貴族として生活していた時は、大勢の使用人が湯を汲んでくれていつでも入れた。
でもここでは、川から大きな樽に水を運ぶのも大変だし、お湯を沸かすのも一苦労なのだ。
赤ちゃんくらいは釜の水を沸かして、桶でつけることは出来るが、使用人をあえて少なくし大家族だから、お湯を沸かすのが一苦労なのだ。
例えそれがバスタブほど大きくない、大きな金属の鍋のような狭さの浴槽であってもだ。
乳母や家庭教師だって、子育てを終えた高齢の女性だ。彼女らにさせるわけにはいかない。
10名いる騎士にだって他に仕事(巡回と護衛)があり、風呂を沸かせとは頼めない。
いや、頼めないことはないが、無理をさせたくないのが本音だ。
ここではみんな、無理なく楽しく暮らして欲しいから。
きっと頼めば、嫌な顔もしないと思う。
けれど、平民になっても自由に生きると誓った手前、あまり依存したくないのが本音で、水汲みだってサーブルとやっているのだ。
だから、マルガリーテの瞳は輝く。
私達も領民も、温泉があれば今より簡単に暖まることができると。
そんなこんなで、普段は親に頼らない心情のマルガリーテとサーブルは、王家と(アマニの生家の)公爵家に一時的な資金援助を依頼したのだ。
勿論使い道を添えて。
そうしたら資金と共に、屈強な人材も100名ほど付いてきた。
建築士のおまけもだ。
マルガリーテ達は、温泉を掘って露天状態で入ろうとしていたが、そこにストップがかかった。
「仮にも王族と伯爵家の者が、露天風呂なんて駄目よ」と。
保安面のこともあるが、素肌を他者に晒すのが良くないらしい。
すごくど田舎なんだけどね。
資金を借りる側は、それに応じるしかない。
適当な計画書を送ったら、王家の頭脳的な人ががっちり仕上げて資材も人員も食料も不足なく送ってくれた訳だ。
実にありがたい。
計画通りに作業が進み、不足人数は臨時で領民を雇い入れてくれた。
かなり高額で雇ってくれたと、みんなホクホクしていたよ。
計画書通りなら既に出来上がっていたんだけど、建築士が「ここは良質な温泉で湯量も多いから観光になる」と、王家と連絡を取ったのだ。
そうしたら王様(サーブルの父親)が、「ワシも薬湯に入りたいから、そのように作れ」と連絡が来た。
計画見直しの大工事の始まりである。
でもその前に簡易で、領民用男女別の温泉小屋と、伯爵家専用のちょっと大きい温泉小屋を建ててくれた。
今日から温泉入り放題である。
「サーブル様、マルガリーテ様、ありがとうございます!!!」
「この地で温泉に入れるなんて、夢みたいです。畑仕事の体に染みて疲れが取れます。なんてありがたい!」
「もう最高です。サーブル様が領主で良かった」
「一生、お風呂なんて入れると思わなかったです。ぐすん、これで足の弱い親父も暖まれます。感謝します!」
「あったかいよ、りょうしゅさま。ポカポカするね」
「ぼくも、おんせんだいすき」
なんて、全員に大好評だった。嬉しいなぁ。
勿論掃除は領民用は領民で、伯爵家用は伯爵家ですることになった。
領民達は伯爵家の掃除もすると言ってくれたが断った。
何れ大きな温泉が出来たら、従業員として働く人も出るかもしれない。
その時に伯爵家の家族風呂まで手をかけて貰うのも気が引けるし、まあ、なんだ、好き勝手にカスタマイズしたいのが本音だった。
変な飾りつけしたり、洗濯物干したりとか適当にしかったし。
この風呂なら、子供にも洗うの手伝わせることも出来るからね。
と言う訳で、温泉を手に入れたマルガリーテ達。
うちの温泉は、臭いはイマイチだけど腰痛にも肌荒れにも効くと評判になった。
王様もお忍びで訪問し、郷土料理に舌鼓をうったみたい。お菓子も私の娘ロクサーヌが、地元野菜を使った野菜ケーキを(祖父になる)国王へ振る舞った。
野菜嫌いの国王も、美味しいと微笑んでいた。
ロクサーヌは国王に言う。
「私はもっと、たくさんのお菓子作りを学びたいのです。どうか王都に連れていって貰えませんか?」と。
可愛い孫の嘆願に、二つ返事だったのは言うまでもない。
その後は温泉のある宿に泊まり、「ふへぇ」と息を吐いたと聞く。
護衛の方も入浴し、僅かながらも休息になったようだ。
その後、ずるいと言って王妃が来たり、王女が来たりで街道の整備もされていた。
田舎の地が荒らされないように、元兵士の退役者が50名(とその家族60名)ほど投入されたのには驚いた。
良いのかな? と悩んでいたけれど、みんな畑仕事の後の温泉とお酒、郷土料理が気に入ったようだ。
奥様達も、呑気に過ごせて幸せだと言う。
お金はある人達だし、爵位も子供が持っているから不安もないのだろう。
すぐに帰る人もいると思っていたけど、みんな居着いてしまった。
住居のリフォームで領民の手を借りたり(勿論賃金あり)、時間がある夫人達がレースや服飾を女性の領民達に教え、数がある程度できた時点で宿屋で売って貰ったりして、経済にも少し変化があった。
なんと言っても熟練の貴族夫人からの教授だから、教えられた方もわかりやすいし、質問しながら新たな創作にも力が入るそう。
夫人は無料で教えるから、気軽に習うこともできた。
道具も貸して貰えるそう。
まあ、私マルガリーテは、細かい作業は苦手(出来なくはないのよ)なので、習いには行かないけどね。 作品を見せては貰っているの。
娘アンリーナは夢中で、斬新な服を作っているけど。
これが若さと言うものかしら?
人も店も増え、以前より便利にはなっているけど、基本は畑と牛と馬と羊の緑の楽園なのは変わらない。
私は今日も草取りをする。
サーブルはみんなに頼りにされて忙しそうだけど、王子だった時より楽しそうなので、私も嬉しい。
サーブルもお兄さんと弟さんの出来が良くて、親に期待されていないことで荒れていたこともあったそう。
でも私と出会ってからは、僻まなくなったんだって。
すごく嬉しかった。
彼は女癖が悪い過去があったから、浮気したら別れようと思ってたの。
王子からは逃れられないって?
そんなの平民になっちゃえば、問題ないわよ。
嫌になったら、夜逃げでもしようと考えていたんだから。
私も子供を持ってみて、どうしても同じくらい関わったり平等に声をかけたりできないことを知った。
向こうから関わってくる子に、時間を割いてしまいがちになる。
かと言って、声をかけたとしても「今忙しいから」と、断られることもある。
幼子じゃなくなると、いろいろ難しくなる関わり。
なんせ、私もそうだった。
せっかく勉強のことで声をかけて貰えても、マナーを教えて貰っても、反抗ばかりしていた。
(“どうせ、シューベルトの方が大事なんでしょ?” と、勝手にいじけていた。
あんなに気にかけてくれたのに、ちょっとシューベルトを見ているのを発見しただけで、機嫌が悪くなってたわ。
嫉妬が強かったのね)
あの時期は、アマニ様が本当の母親じゃないと気がついたから、余計辛かったしね。
生まれた時から一緒にいたのに、他人だったと知った時、心臓が止まりそうになったもの。
だから私は、愛人を持つ人は好きになれないと思った。
こんな苦しみは、私だけで十分だから。
サーブルはハンサムだから、モテている方だ。
でももうお腹の少し出てきたおじさんだし、この領地に不倫しようとする娘もいないから、安心? なのかしらね。
まあ、向こうがその気なら、私はいつでも出ていけるけど。
…………少し、いえだいぶん強がっているわ。
絶対浮気しないで欲しい。
そのうち、アマニ母上にも温泉に来て欲しい。
この地の名産の温泉まんじゅうと、お手紙を送ろうかしらね。
父上にも一応送っておこう。
寂しかったけれど、嫌いじゃなかったからね。
…………シューベルトにも、いつか送れるかしら?
私は、貴方が羨ましかった。
アマニ母上の本当の子供になりたかったわ。
でも愛人と言われた、私の母上のことも嫌いじゃないの。
父上のことが好きで、愛人にまでなっちゃって、私を産んで死んでしまった。
けれどきっと、好きな人といられて幸せだったと思うの。
貴族に生まれて、好きな人と暮らせるのは稀なことだもの。
愛のない結婚も多いと聞くし。
私がサーブルに出会えたのも、奇跡かもね。
おまけに王子だなんて。
昔のサーブルは、金髪碧眼だし目も大きくて可愛いし、憂いを帯びていたし、声も最高だし……
とにかく好きだったの。
貴女もそんな人に会えると良いわね、チャーミー。
赤ちゃんをあやすと、どうしても昔語りをしてしまう私。
それを他の家族は、こっそりと聞いて微笑んでいるのをマルガリーテは知らなかった。
サーブルは娘と目が合い、真っ赤になっていた。
◇◇◇
シューベルトは今、山の上の常宿にいた。
隣には最愛の人、ルシフェールがいる。
控えめだけど、芯のある可愛い人だ。
伯爵家の別邸で寂しく見ていた夜空は、今幸せに輝いていた。
「ル、ルシフェールさん。結婚してください、お願いします」
「私で良いなら、よろしくお願いします」
「貴女でなければ! ヤッター、嬉しいよぉ」
「あ、あの、私も嬉しいです」
二人とも顔を赤く染め、幸福に身を委ねていた。
この幸せが続くように、懸命に頑張ろうと思うシューベルト。
思えば伯爵家は、仮初めの場所だった気がする。
傷ついても、人に関わらずには生きていけないのだ。
それを教えてくれた学びの場所であった。
僕は奥様を悲しませる自分の存在を疎ましく思いながらも、伯爵家の為のひいては奥様の為の必要悪だと言い聞かせて生きてきた。
後継者がいなければ、奥様が周囲から責められ続けるし、安心して隠居生活も送れないと思った。
立派な後継者になることだけが、恩返しになると必死だった。
今は奥様が母上だと頭では理解しているが、幼い時からの気持ちを覆すことは難しい。
奥様が母上であったことは、本当に嬉しい。
ずっと願っていたことだったから。
それでも僕は、伯爵だけは許せない。
母上とも姉上達とその家族とも自然に過ごせるけれど、伯爵だけは駄目なのだ………………
いつか許せる日が来ると良いのに。
許せないのは、執着していると言うことらしい。
僕は彼に何を求めていたんだろう?
それがわかれば、許せるのかな?
きっと僕も父になる。
そうしたら、答えが出るのかもしれない。
ルシフェールさんは、平民の女性だ。
商家の経理を僕と担当したのが縁だった。
伯爵にも一応伝えるけれど、反対されるだろうか?
たとえ反対されても、結婚を止めることはないけれどね。
僕は彼女といる時は、身分も生まれも関係ない、ありのままの僕でいられるんだ。
こんな安らぎを僕は知らない。
母上と暮らしていても、何処か緊張していたと今なら分かる。
彼女のことを反対されたなら、僕はどんなことをしてでも、徹底的に伯爵と縁を切るだろう。
…………僕にその選択をさせないで欲しい。
マルガリーテもきっと、伯爵の言うことは聞かない気がする。
なんとなく彼女だけが、僕の気持ちを理解できる気がするんだ。
同い年の僕の妹は、遠い地で元気にしているのだろうか?
そう思いながら、空しか見えない丘の上で星達を眺めるのだ。今は妻と二人で。
ある日マルガリーテから手紙が来た。
「新婚旅行なら、家の温泉においで」と。
夫婦で訪れた温泉地には、温泉饅頭を試作して食べ過ぎたのか、丸々と太って笑顔の輝くマルガリーテが出迎えてくれた。
「いらっしゃい、お兄ちゃん。待ってたわよ」
「シューベルト、久しぶりだね。やっと身を固めたか。ふはははっ」
「おじさん、こんにちは」
「いらっしゃいませ」
「ようこそ」
「誰? ふーん、母上のお兄ちゃんなの? こんにちは」
「きゃあー、あそぼう」
「よろしくお願いします。
サーブル様、お久しぶりです。
マルガリーテも、元気で良かったよ。
誘ってくれてありがとう。
えーと、隣が僕の、つ、妻です」
「ルシフェールです。よろしくお願いします」
「「こちらこそ、よろしく」」
緊張の中で、自己紹介は終わった。
僕のことは、母上との手紙で知っていたらしい。
二人が仲良くしていて良かった。
どうやら温泉計画の時に、エルビスさんと母上がこの地に赴き援助してくれたらしい。
すっかり温泉と料理を気にいったそうだ。
そしてマルガリーテは、その時の事が脳裏に過る。
「貴女は私の娘なんだから、温泉の時のようにこれからは何かあれば頼ってね。
今はもう離婚して公爵家に戻っているし、自分の財産もあるからいろいろしてあげたいの。
生まれた時からずっと一緒だったのに、きちんと母親が出来なくてごめんなさい。
貴女の方がちゃんと母親をしているわね」
その言葉に、胸が熱くなるマルガリーテ。
毒殺の件で、シューベルトにも関心を持ったアマニだが、けっしてマルガリーテを蔑ろにすることはなかった。
血は繋がらずとも、愛して貰っていたのに。
逃げていたのは、自分の方だった。
傷つきたくなくて、自分から突き放したのだ。
それに母上は気づいて、きっと今、言葉にしてくれたのだ。
「ありがとうございます、母上。では遠慮なく、子供が進学したくなったら、どんどん王都に送りますので。諸々、お願いします。てへへっ」
「待ってるわ。時々は貴女も顔を見せてね」
「はい、はい。会いに行きます……ぐすっ」
「あら、あら。はい、このハンカチを使って……うっくっ」
どちらかともなく、抱き合って泣き出してしまった。
二人とも込み上げる思いが、嗚咽となって止まらなかった。
こんなことは、マルガリーテが7歳の時以来だ。
事情を知るサーブルは、人払いをして二人の時間を作ったのだ。
マルガリーテ家族は、王都にいるロクサーヌ以外の全員で迎えてくれた。
何て言うか、もう、王子も普通のおじさんになっていて、豪快に笑っていた。
様なんか付けるなと、呼び捨てで良いと言われて驚いた。
領民にも、特別な客人が来る時以外は、さん付けで呼ばせているんだってさ。
明るくてすごく日に焼けていて、城にいた時の冷たい表情なんか微塵もなかった。
とんでもなく賑やかな家族で、僕は頬が自然と緩んでいた。
(ああ、マルガリーテ。君は今幸せなんだね。
僕もこんな家庭を目指すよ。……良かった)
涙に滲む僕の背を、ルシフェールさんはいつの間にか撫でてくれていた。
それを見たマルガリーテ達が、にやけた顔で夕食の時、「お熱いですな~」とからかってきたので照れて参った。
けれどルシフェールさんも笑っていたから、僕はまた嬉しくて泣きそうになった。
◇◇◇
僕の母親は、僕を産んで死んだ。
産まれたばかりの僕を残して。
そう言われて育った僕には、生きている母上がいた。
僕は母上や姉上達、マルガリーテが、笑っている姿が見れて嬉しい。
普通の母子ではなかったけど、それでも僕は母上の子で良かった。
6/22 11時 日間ヒューマンドラマ(短編) 17位でした。
15時 14位でした。 ありがとうございます(*^^*)
6/23 9時 日間ヒューマンドラマ(短編) 7位でした。 ありがとうございます( ´∀`)♪♪
13時、(日間短編)5位、(日間) すべて6位でした。
ありがとうございます(*´∀`)♪♪♪
6/25 1時 日間ヒューマンドラマ(すべて)で4位でした。 ありがとうございます(*>∀<*)♪♪