第一章 思いもよらない事実
(これからどうしよう…)
食べ物は、いらない気がする。なぜなら一切おなかが減らないからだ。でもここには誰も知る人がいないのでとても悲しくなってきた。体があったら僕は泣いていただろう。
時間がたって本当の意味で冷静になると、この状況を整理しなくてはならないと思った。
(えっと、まず僕はおじいちゃんの部屋を掃除していて壁に寄り掛かったら壁が外れて地下室が見つかったんだよな。ひいおじいちゃんはこのこと知っているのかな…だとしたら勝手に壁を壊していたことに…じゃなくて何故そのあとにおじいちゃんの日記を開いたらおじいちゃんの部屋でこんな姿になってこの世界に来たかなんだよな…)
考えられる可能性があるとすれば日記を見たことがきっかけとなって過去にタイムワープしたという可能性だ。
(というかそれしか可能性はないんだよな……だとすればさっき持っていた日記を使えばって‥あれ!?日記が消えている!!なんで!これじゃ現世に戻れないじゃないか!)
さっきまで持っていた日記が消えていた。すぐに祖父のいた部屋に戻って確認しに行っても日記は見つからない。
(これじゃどうやって戻ればいいんだよ…待てよ、もしかしたらだ、これは祖父が書いた日記の物語が軸になっていると仮定すれば、祖父が日記を書くのをやめたときに現世へ戻れるかもしれない!)
自分でも怖いほど今日は頭がさえている気がする。
(いや待てよ、その仮定が本当だとしたら40年間過去にいないといけないっていうこと!!そんなの嫌だああああああ!)
またパニックになってしまった。さっきの冷静さはどこに行ってしまったのだろうか…
古畑前作は見かけによらず意外とパニックになりやすいがあまりパニックになっている状態をあまりみんなに向かって表情に出したり大声を出してパニックになったりするところを見せないのでみんなには冷静な人間と思われることが多いのだ。そのせいでみんなと共感するのが苦手でクラスの中で自然と孤立してしまうことが多い。だが、過去の世界に飛ばされてきて自然と自分の思ったことを言えるようになっていた。前作自身無自覚なのだが。
また時間がかかってしまったが冷静になると、
(古畑前作、こういう時こそ前向きに考えるんだ。過去に戻ったということはおじいちゃんの人生を生で見ることが出来るっていうことだ!)
こんな風にして自分を納得させた。強引に。
(そういえば僕の誕生日と重なっていたから知っていたけど祖父が生まれたのは父から聞いた話では1909年五月三日のはず。なんで一か月も早いのだろう)
十五歳は過去に戻って何をしたいか、何故こうなっているのかを考え始めた。祖父は六つ子(とてつもなく珍しい)の内の次男だったはず。なのに、生まれる時期が違う。
(ひいおじいちゃんを観察していればこの真実がわかるかも)
そう思いまたさっきの部屋に戻ると曾祖父のほかに現世では入院中の曾祖母 カズエと思われる(というか確実に)人と助産師がいた。全員産み終えていた。みんなとても元気だった。みんなの反応を見てみると皆、驚きすぎて言葉を失っていた。ただ曾祖母だけは、
「何がどうでも無事に生まれてきてくれてよかった」
そう言っていた。曾祖母と曾祖父は同い年だ。だとしたらまだ二十歳の若さだ。僕から見たらもうすでに人格者であった。
(母親は強いというけどそれは本当なのだな)
母は強しという言葉をこの時身をもって実感した。
2時間後食堂に行ってみると曾祖父が、
「名前、どうしよう」
とつぶやいていた。
「あなたまだ名前考えていなかったの⁉」
「だってしょうがないだろ!六人も同時に生まれるなんてさ!」
曾祖父はそう言い訳していた。いや、実際しょうがないところもあるのだ。六人同時に生まれるなんて前代未聞だから。
「おなかのふくらみぐあいを見たらわかるでしょ!というか最初から一つだけしか考えてなかったの!?」
曾祖父は完全に黙っていた。反論のしようがないのだから。
少したってから、
「こんなことで悩んでいてもしょうがない。丁寧に早く名前を決めるぞ!」
曾祖父はやっぱり昔からポジティブだと思ったのだ。
まず長男には、「正」(よみはタダシ)と命名した。
「ここまではいいんだよ」
といっていた。
「まあ、まず一人には名前を付けたからとりあえず出生届を出しに行こう」
そう言って役場に行き出生届を出しに行った。
(全員に名前をつけてからいけばいいのに、いやそもそも全員分の名前を考えてから登録しにいかないとダメだろ!?)
僕は曾祖父についていき何があって生まれた日と戸籍上の誕生日が違うのか探ってみようと思ったのである。曾祖父は役場に行き出生届を出しに行って帰る途中で交通事故にあってしまい病院に入院することになった。四週間も。
(これでやっとわかったぞ)
内容を整理すると、まず一人に名前を付けた後、役場に行って届け出をして帰る途中で事故に遭い四週間入院することになったのだ。この間残り五人に届け出をしていないので長男と次男に一ヶ月間もの間が空いてしまったのだ。曾祖父は違法だとわかっていても無戸籍だと、そっちの方がまずいので誕生日をずらして申告していたのだ。ちなみにその被害を受けた次男には良い友と人生を送れるようにという思いから「友行」(読みはトモユキ)と命名したのだ。残り四人の誕生日がずれているのも同じ理由だったのである。
(全員名前を付けとけばこんなことにはならなかったはずなのに、なんということを……)
残り四人の名前と誕生日は、三男に「歩夢」(よみはアユム、十二月三十一日)四男には、「宗史郎」(よみはソウシロウ、一月一日、ついに年を越してしまった)五男には「翔助」(よみはショウスケ、二月二十九日)最後に六男に「六郎」(よみはロクロウ、四月一日)と戸籍上に記載されている。
(こんな話現世じゃ絶対にしないだろうな)
現代でもバレたら確実に逮捕され前科がつくと感じたエピソードであった。ちなみにこの兄弟たちの本当の誕生日は四月二日である。六郎はギリギリ同じ学年に入れたのだ。
そういえばあの時ドアを抜けたとき開けなくても出ることが出来たけど、ものを持つことはできるのだろか。試しに誰もいないところで鉛筆を持ってみた。そしたらなんと、持つことができたのだ。鉛筆を削るナイフも鉛筆を削るためだけならば持って使うことが出来たのだ。ちなみに意識して持たないと持つことはできなかった。紙もおさえることだけならできた。
(でも変に記録を残して未来が変わってもまずいからな~)
だから鉛筆で書いたところは消そうと思ったとき、
(ここに消しゴムがない!)
本当にやばいと思い必死に頼むから字が消えてくれと願い手でこすった。そのとき彼は気づいた。意識をすれば手でふくと文字が消えるという事実に。
(すごく便利じゃないか!でも……便利だけど自分の書いた文字をきれいに消すだけの能力って……)
地味だと感じた。だが歴史が変わってしまいかねない最大の危機を乗り越えたのだ。
神がいるのならば、なぜ彼にこんな無駄にも思える経験をさせたのか、きっと何一つ文句を言わず一か所一か所丁寧に掃除をしてどんなに量が多くても親戚とみんなで協力し掃除を終わらせたからだろう。それにこの時代の現世では、雑巾に使う水は冬にもかかわらず冷水なのだ。この理不尽さに立ち向かった彼の心の強さに神は感動したのだろう。とても些細なことに能力を授け歴史を変えてしまうという最大のピンチに神は救いの手を差し伸べたのだ。神は本当に変なところで能力を与えるものである(これが偶然だとしても)。
だがこの事実が証明するのは地道に努力すれば自分の思った形でなかったとしても思いがけないところで努力が報われることがあるということだ。そして地味だと思っていることにも全て人のためになるのならば意味があるということだった。
こんなことが起きていることを前作は知るはずもないのだが。
もう三年が経過してしまった。時の流れというのはとても早いものである。祖父と言うのも疲れてきたのでここから先は祖父のことを友行と呼び捨てにしようと思ったのだ(他の人も含めすべて)。友行達には二人の姉がいた。長女の名前は恵子次女を陽子という。恵子らは、よくケンカする友行と翔助の仲裁をしていたのだ。六郎と歩は非常に陰湿なけんかで数週間そいつと口を利くことは一切ない。だから仲直りするのに数か月もかかったのだ。その為、兄弟たちの仲がいいのも姉たちの存在あったからだったのだ。
(だから六郎さんは現世でも姉のことをとくに尊敬しているのか)
そんな感じで現世の謎が一つ分かったのだ。
ちなみにだが喧嘩をする原因の落ち度は六郎の方にあることが多い。挙げればきりがないが、六郎は自分では気づかないことが多いが歩に対して、
「まだこんなのもできていないのかよ」
と無意識にディスってしまい口を聞いて貰えなくなってしまうことがあるのでどっちかというと六郎さんの方が叱られることが多かった。このことをきっかけに六郎の座右の銘は「口は災いのもと」にしたそうだ。
雨降って地固まる。その言葉は本当なのだろう。兄弟たちの仲がどんどん良くなっていった。健さん(曾祖父のことも名前呼びする)の子供たちはすごく、わずか三歳で真っ暗でも一人でトイレに行けるようになってしまった。きっかけは、正の挑発からだった。
「ひとりで行けるのならそれを証明してみろよ」
(自分もいけないくせに)
と思っていたら、
「上等だ!」
友行がそんなくだらない挑発に乗って一人で行ったのだ。これには正もひとりで行けないとプライドがズタボロにされると思い二日後には正もひとりで行けるようになったのだ。それにつられ他の兄弟も一人で暗いトイレに行けるようになったのだ。この時点で分かっていると思うがたった三歳であんなに流ちょうにしゃべれるというのは、完全に異常である。
(三歳でこんなに嚙まずに難しい言葉を流暢にしゃべることが出来るなんて本当にこの人達はただの人間なの!?)
「上等」という言葉を理解して使うということは、親がそんな言葉を使っているところを実際に見ていないと無理なのだ(漫画だったら転生もあり得るかもしれないけど)。カズエさんが使うとは考えられない。だとしたら心当たりがあるのは健さんである。なぜ心当たりがあるのかというと、健さんが旅館で友人と話しているとき友人から
「お前最近少し太っているだろ。だからお前さんに提案がある。もし二か月で二貫(7.5キログラム)痩せられたら新作の机を買ってやろう。もしできなかったら、旅館ただで泊めさせろよ」
「上等だ、絶対に痩せてやる」
とその賭けに乗ってしまった話に友行が立ち会っていたからだ。
(よくこんな何気ない会話の意味を理解したな)
ほかの兄弟も健さんと友人の会話からいろいろな言葉を使えるようになったのだ。彼らは体の成長よりも心の成長の方がほかの人より遥かに早かったのだ。ちなみに健さんのチャレンジは見事成功し新しい机を買ってもらったそうだ。
体の方も順調に成長していった。異常なほどに。友行と歩なんて、雲梯で二メートル進むことが出来たのだ。健さんが見ていたとき、
「将来、どれだけ強くなるのかな……将来が楽しみだね!」
と一言、カズエさんも完全にうなずいていた。
その一か月後にまた挑戦したら、正と翔介が六メートル行けて宗史郎が六メートルいった後に切り返して三メートルまで戻り合計九メートル、友行と歩夢は雲梯の往復に成功し十二メートル渡りきることが出来たのだ。健さんもカズエさんもそろって「すごい」とつぶやいていた。それにすごいのは、こんなに運動したのに実際は、家計が苦しくあまり満足のいくご飯が食えていなかった。彼らは少しのごはんでたくさん運動できるという非常に低燃費な人間だったのだ。だからこそ、健さんたちはこの運動量に驚いていたのだ。
六歳の時、彼らに新しい友人が出来た。その者の名前は、江藤順介と川上優子 友行達と良い友達になり、ともに口上手で体力のあるたくましい子になっていったのである。毎回彼らが鬼ごっこをする際に、川上が毎回すぐに他の誰かをすぐに捕まえてしまうので、同世代の女子の中では最も体力のある人だった。このグループで鬼ごっこをする際六郎は彼女の猛追から逃れるため落ち葉の下に隠れるなどし、彼がこのグループの中で最も鬼に捕まらなかった者だった。他の友行達は正々堂々と勝負をしたいがために、毎回毎回、川上スタートでも彼女の目線から外れない位置に逃げる時でもずっといたのだ。でも結局、彼女の猛追に耐えきれず、二時間走り続けたのち、川上に六郎以外全員捕まえられてしまうのだった。彼女は六郎だけ捕まえることが出来なかったのだ。もしこの時代に、かくれんぼ世界選手権があったら彼は確実に日本代表に出られたぐらいの実力を持っていたのだ。でも、何度もやっていると、川上も段々場所を覚えてしまうので、最終的には、彼女の視界に入らないように逃げるようになった。
「やっぱ鬼ごっこは楽しい!」
(他の人たちからすれば地獄だが)さらにこの人達は、戦術がすごく、増え鬼のときは、挟み撃ちをするし、挟み撃ち禁止のルールでやるときは、ばったり出くわさないように、地図を使って、逃げる側を上手く誘い込み、一網打尽にするなど未就学児が考えるようなものでは、ないのだ。
(どうしてこの人達はこんなに頭がいいのだろう?)これを「普通だろ」という人がいるとすれば、この鬼ごっこをやっている本人達ぐらいしかいないと思う。数十人が一斉に彼らを捕まえようとしても、例えその人たちが大人だったとしても、この兄弟とその友人を捕まえるのは、至難の業。同世代の人たちからはそう言われるようになったと言う。
そういえばもうこんなに時間がたっていたのか。僕は現代ではこんなに速く時間が流れていった気がしない。なぜこんなにも早く時間の流れが速く感じるのだろうか。思い出せばこの数年間暇だった気がしないな。この体はごはんがたべられないくせに、疲れたり眠くなったりで(寝られることにはあまり文句はないけど床で寝ないといけないから辛い)大変なのだ。だが友行さんや健さんたちの行動があまりにも愉快なので毎回ハラハラドキドキさせられる。そして楽しい。だから時間の流れがこんなにも早く感じさせられるのかもしれない。今の僕には早く現代に戻りたいという気持ちはとても強い。でも祖父の人生を見てみたいという気持ちもまたとても強くなってきた。もし現代に帰れたら信じてくれないかもしれないけどこのことをひいおじいちゃんやお父さんに話してみようと思った。
そんなこんなでもう一年がたとうとしていた。彼らは小学校に入学し、勉強という新たな出会いがあったのだ。