8. 初めてのソリ
念の為、内側に入ってから扉の鍵を閉め、上に登った。上りきったところにもう一つ扉があり、同じ鍵を差し込むと開いた。
中は小さな部屋になっていて、何か置いてあるようだが暗くてよく見えない。扉から入る薄明かりを頼りに、奥にもう一つある扉まで行くと、もう一度鍵を開ける必要があった。幸いこれも同じ鍵で大丈夫だった。
扉を開けると、そこは一面銀世界だった。夜空もいつの間にか白み始めている。
「わぁ……キレイ……」
あまり表情に出さないカズヤも、この美しさを前に、目を見開いて立ち尽くしている。アキラも、
「これはちょっと感動するな……」
と言い、その景観を堪能しているようだった。
屋上とは思えない広さと周りに雪の積もった木々しか見えないこの空間は、人間の手が加えられていない大自然のように感じられた。
つい先ほど迄、見たこともない多数のカプセルの脇を行き来していたことが嘘のようだ。
次第に明るさを増していく空だけが、時の経過を知らせてくれていた。
アキラが一番に口を開いた。
「この建物は、崖に囲まれた所に建ってるんだな」
ザクザクと雪の中を歩きながら、周辺を確認し始めたアキラを見て、カズヤも別の方を見に行った。
「ほんとだ。しかもこっち側、屋上と崖が行き来できるようになってる」
「え? そうなの?」
カズヤの隣まで行くと、アキラも追いついて来て、二人の後ろから覗き込んだ。
「本当だな。しかも、かなりなだらかな傾斜が続いてる」
「これはなだらかって言わないでしょ」
アキラの冗談に付き合ってツッコむと、
「ん? なだらかじゃないか?」
と真顔で返答された。
(……本気だったんだ)
「そういや、さっき、あん中通って来たときに……」
アキラは何か思い出したように呟きながら、階段上の部屋まで歩いていくと、
「あった、あった」
と何やら手にして戻ってきた。
「ソリ?」
「あぁ、ちょうど3つあった」
カズヤの質問にアキラが答えた。何となく嫌な予感がしたので聞いてみた。
「まさか……ソリでここを下ろうなんて思ってないよね?」
「それ以外に何かいい方法あるか?」
確かに、これだけ雪が積もっている中、道なき道を歩いて降りようと思ったら、どれだけ時間がかかるか分からない。通常の山下り以上に体力も消耗するだろう。しかも今、三人とも、筋力も体力も本来よりも落ちている状態だ。日が暮れる前に、次に身を隠せる場所を見つけたいとなると、少しの時間も惜しい。
「……ソリで行こう」
そう答えるしかなかった。アキラはふっと笑うと、
「じゃ、行きますか」
とソリにまたがった。
「ま、待って! 私、多分、ソリ初めてだと思う。乗った記憶ない!」
「今は何の記憶もないだろ?」
「そういうことじゃなくて! こういうのって体が覚えてたりするじゃない? 私、この感覚、絶対初めて! 滑り降りられる気がしない!」
「カズヤはどうだ?」
「僕も、多分初めてだと思うけど、何とかやってみる」
二人の視線が突き刺さる。
(うぅ……私だけ足引っ張ってるじゃん。どうしよう。でも、この斜面、結構急だよ? 全然なだらかじゃないから! それに、木だって結構生えてて、ぶつかったら大変じゃない!)
不安から百面相をしていたようだ。アキラは苦笑しながら立ち上がると、歩いて近づいてきた。
「んじゃ、お前、前に乗れ」
「へ?」
「俺がコントロールするから」
「え? どういうこと?」
「いいから前に詰めろ。それから、そのリュック貸せ」
そう言うと、アキラは、二人のリュックを自分のソリに括り付け、さらにそれを今座っているソリにロープで縛って連結した。そして、すぐ後ろに座り込み、ソリに二人乗りする形になった。
「え? え? 大丈夫なの? これ余計危なくない?」
「まぁ、危ないけど、これしか方法ないだろ? それとも一人で頑張ってみるか?」
「……コントロール、よろしくお願いします」
アキラは、にっと笑うと、
「足、ソリの中に引っ込めとけよ。あ、それから、怖くてもデカい声出すなよ。どこで誰が潜んでるか分からないからな」
「分かってるわよ! それに、別に怖くもないし!」
「そうか。なら行くぞ!」
と言って、アキラは両足でぐっと蹴り出し、ソリが進み始めた。最初は緩やかな滑り出しだったが、徐々に加速していった。前に座っているので、風をもろに受ける。体感スピードはマッハだ。
口を開いたら、ギャーッと大声になりそうだったので、アキラにバカにされるのだけは避けなければと、ぎゅっと口を結んだ。それでも、
「うっ……ぐぐっ……ふーっ!」
と、おかしな声がもれる。後ろで、アキラが肩を震わせて笑いを堪えているのが、背中から伝わってくる。
(もう! 笑いごとじゃないんだから! あんたは後ろで私を風よけにしてるから分かんないでしょうけど、このままじゃ顔……マジで凍るーっ!)
急にアキラがぴったり背中にくっついたと思ったら、すぐ横にアキラの顔があり、こちらを覗き込んでいた。
(え? 何? 近いんだけど!)
とドキっとした瞬間、
「ハハ! すげ~顔! 声出さないように大分頑張ってるみたいだったから、どんな顔してんのかと思ったら……やっぱお前、面白いな」
とアキラが可笑しそうに笑った。
(はぁ? そんなの確認するために、わざわざ人の顔覗き込んだの? 嫌な奴~っ!)
ぷぅっと膨れていると、その間にもアキラは徐々に感覚を取り戻してきたのか、
「俺、多分、相当雪に慣れてたわ」
と言いい、興奮気味に木々の間をギリギリにすり抜けた。
「ちょっと、アキラ! あんたわざとギリギリ通ったりしてるでしょ!」
「わざとじゃないって~」
と楽しそうに言いながら、明らかに木と木の間隔が狭いところを狙って滑り降りていく。カズヤが少し離れた横で、広々としたところを悠々と降りているのが見えた。
「あー! ほら! カズヤは木がないところ滑ってるじゃない!」
と指摘すると、
「バレたか」
とニマッと笑った。カズヤは、初めてだと思うと言っていた割には、しっかりついてきている。意外と運動神経は良いようだ。
坂が緩やかになってくると、下の方に道路が見えてきた。アキラがその手前でソリを止めると、カズヤも横につけた。
「ここからは歩いた方が良さそうだな」
そう言うと、アキラはソリからひょいっと立ち上がった。カズヤも立ち上がって、体に積もった雪をパンパンと手ではらっている。
(やっと止まった~。はぁ、もう生きた心地しなかったよぉ)
といつまでも座っていると、アキラが目の前にしゃがみこんで、噴き出した。
「ぷはっ! その顔じゃ、嫁に行けそうにないな」
冷風に吹き曝され、目からは涙が、鼻からは鼻水が、そして、そのどちらも凍っていた。顔は真っ赤になっているし、疲れで完全に呆けた顔をしていた自覚もある。
(それにしたって……ほんと失礼な奴!)
「ふん! ご心配なく! 私にはちゃ〜んと……」
(私にはちゃんと……?)
誰かの影が頭をよぎった。とても大切な人だ。それだけは、何故か確信が持てた。でも、それ以上は思い出せなかった。
お読みくださり、ありがとうございます!
次回、彼らがたどり着いた所は……
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