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第九話 鞍替え

 魔法学院の敷地は広い。


 正門を入ってすぐの広場には大きな噴水が置かれ、向かって右には各種式典やパーティーが行われるダンスホール、左には莫大な蔵書数を誇る大図書館、そして中央には高くそびえる時計塔が印象的な三階建ての教室棟が鎮座(ちんざ)()しましている。


 教室棟は上から見るとコの字を横に倒したような形をしており、長く伸びた裏側部分に挟まれた真ん中は中庭になっていて、等間隔に植えられた木々のそばにはいくつものベンチが置かれ、庭の真ん中には色ガラスのはめ込まれた屋根をもつ優雅な東屋が静かに佇んでいる。


 庭をぐるりと一周できるように散歩道も整備され、昼休みや講義の間の待ち時間など、いつも学生たちの憩いの場となっていた。


 また、主要建築三棟の裏手には教室棟の裏側部分と中庭を挟むようにして西と東に少し離れて男女別の学生寮が置かれている。


 学生寮の周りは木々の生い茂る薄暗い林が広がっているが、林の奥へ続く小道を辿って向こうへ抜けると急に視界が開け、沈む夕日を一望できる小高い丘の上へとたどり着く。


 人の行き来が少ないこの林は密かに人気のデートスポットでもあり、ここで人目を偲んで逢瀬を交わすカップルも少なくない。


 今日も暖かい空気が満ち、午後の光がまばらに降り注ぐ木陰で、魔法学院の制服に身を包んだ一組の若い男女が寛いでいた。


「マリヤの膝枕は最高だなぁ。どっかの堅物女はこんなこと一度もしてくれなかったぜ」

「うふふ。ローレン様を癒して差し上げられない女なんていらないでしょ? ローレン様にはぁ、もうマリヤがいるんだから」


 (せん)だって冴えないフィアンセとの婚約を破棄して自由の只中(ただなか)にいる男、ローレン・ドゥ・ウェリスと、そのお気に入りのガールフレンド、マリヤ・ヅー・クレールである。


 男は女の膝枕に頭を乗せて上機嫌の様子。その頭を優しい手つきで撫でながら、女は甘い言葉を囁きかける。


「だよな。俺にはマリヤが一番だよ。ずっと一緒にいような、マリヤ」

「うん! ローレン様と一緒にいる!」


 一見、……多少歪ではあるが……相思相愛の和やかな二人であるかに見えた。が。


(……わけないでしょうが、この甘ったれダサ(おとこ)が!)


 ……女の内心は全く穏やかではなかった。



 ───今年の春、魔法学院に入学したばかりのマリヤ・ヅー・クレール十五歳。


 彼女の最大の目的は、この学院で玉の輿の優良物件を見繕い、あわよくば既成事実を作ってでも名門貴族の奥様に収まることだった。


『おおマリヤ、かわいいマリヤ。きっと誰より幸せになっておくれ』

『おおマリヤ、かわいいマリヤ。きっと誰より一番お金持ちになっておくれ』

『お前は我々一族の希望だ』

『早く富貴の身になって、我々一族を養っておくれ』


 田舎の家族と親戚一同のうるさい催促から逃げ出すために、何より自分が幸せになるために、マリヤはこの学園生活で最高の結婚相手を手に入れることに闘志を燃やしていた。


 そんなマリヤが最初に目をつけたのは王都ベルンズにいくつもお店を持つ、貴族のくせに商売上手のウェリス侯爵家のお坊ちゃんだ。


 男友達と一緒にしょっちゅう女生徒にちょっかいをかけているので、接触するのは簡単なことだった。


「あたし、マリヤっていいますぅ。今年入学してきたばっかりで何も分からなくてぇ、ローレン様、色々知ってそうだし、教えてくださいませんかぁ?」


 そう甘い猫撫で声でお願いしながら、上目遣いに視線を合わせる。地元の男はほぼ百パーセント落としてきた、マリヤの必殺技である。


 垢抜けた女が多く目が肥えているであろう都会っ子のローレンに通用するか確信がなかったのでさらなる奥の手も用意していたマリヤだったが……結局、その隠し刀を披露する機会はなかった。


 ローレンはほとんどマリヤに一目惚れだったらしい。一度二度コナをかけておいただけで、次第に向こうから声をかけてくるようになった。


 この男、正直話は死ぬほどつまらないし、見た目も大して自慢できたものじゃないが、とにかく気前がいい。


 一緒にいる時に「あのお店のアレが欲しいんですぅ」と言えば次会う時には大抵持ってくるし、休日の外出に付き合ってやれば毎回ドレスやアクセサリーを買ってくれる。


 知り合ってすぐの頃はローレンが着てくる私服のセンスが最悪すぎて隣を歩くのが恥ずかしかったが、引き立て役だと思うようにしてからはあまり気にならなくなった。


(いずれこの男が夫になったらウェリス侯爵家の黄金のお財布はあたしが握るんだし、有り余ってる家のお金でまともな服を見繕ってプロデュースしてあげればいいもんね。旦那候補の未来まで気遣ってやるなんて、あたしってほんとイイ女)


 ちょっと甘えてやればホイホイと金を出すし褒めちぎってくれるローレン。


 母親から


『都会の男は下心まみれで意地の悪い奴ばかりだ』


と教えられてきたマリヤにとって、ローレン・ドゥ・ウェリスは拍子抜けするほど“チョロい”獲物だった。


(これはもう落ちたも同然ね。あたしに夢中にさせて、卒業までキープしながら他の男も引っ掛けて貢がせよーっと)


 そうしてすっかり油断していたマリヤだったが、ある日の休み時間、


「なぁ聞いてくれよ。俺の婚約者がマジで最悪でさ……」


ローレンがいきなりそう切り出してきたので、マリヤはすっかり肝を潰した。


「はっ!? 婚約者って……!!」


(は? コイツ、婚約者持ちのくせに女にちょっかいかけて、褒めたりデートまがいのことしてたってワケ……? バカなの? 時間無駄にしちゃったじゃん、最悪……!)


 ローレンは学院にいる間いつも「婚約者なんていません」、というようなそぶりだったのですっかり騙されてしまった。


 だが、考えてみれば確かに、いくら見た目が凡人同然で会話や服のセンスが絶望的でも、メルトリア有数の大富豪のお坊ちゃんに婚約者がいないというのもおかしな話である。

 

 まずい。婚約者(コブ)付きは絶対にまずい。マリヤの頬を冷たい汗が伝い落ちる。


 侯爵家の婚約者ともなればほぼ間違いなくマリヤの男爵家より上の爵位に違いない。


 ヘタに目をつけられて女たちの攻撃の的になれば、遠方の領地からやってきて一人で寮生活をしているマリヤではひとたまりもないではないか。


 もったいない時間を過ごしたが、少なくない物や食事を奢ってもらったし、それで手打ちにして切ってしまうしかあるまい。


「あ、あたしぃ、ローレン様に婚約者がいたなんて知らなかったんですよぉ。もう、なんで教えてくれなかったんですかぁ? ひどおい!」

「ま、まあ待てよ、マリヤ! いいから聞けって。ほんとにそいつ、ありえねえ女でさ……」

「えぇ……?」


 さっさとローレンを悪者にしてその場から逃げようとしたマリヤの腕を、ローレンが掴んで引き止める。


 いつもそこそこしつこいのだが、この日は特に執念深く引き留めてくる。どうしても話を聞いて欲しいらしい。


 “ありえねえ女”とやらにほんの少しだけ興味を惹かれたマリヤが野次馬根性で話を聞くと、その婚約者とやらはローレンより身分が低い伯爵家の生まれで、貴族なら持ってて当然の【祝福(ギフト)】を持たずに生まれてきた半端者らしい。


 その上化粧っ気もなくて地味で無愛想、女の子らしい趣味も持たず朝から晩まで魔導書に齧り付いている陰気なガリ勉女だというではないか。


「───あーあ、マジで婚約(コレ)だけは父上のこと本気で恨むわ……ほんと恥ずかしくてさぁ、だからいっそ『目立たないように地味な格好して隅っこで小さくなってろ』って言ってやったわけ。そしたらマジで言ったままのことしてやんの。女だったらそこは察してもっとまともな格好してくるとこじゃね? マジで空気読めねえんだよなあいつ……なぁ、聞いてる?」


(あ。これ……“いける”わ)


 瞬間、マリヤ・ヅー・クレールの脳裏に浮かび上がったのは一つの策略である。


 それは、マリヤが今までローレンを落とすためにかけた時間を無駄にせず、しかも王都いちばんの大金持ちとの仲を大々的に、かつ正義の名のもとに周囲に知らしめることのできる最高の名案だった。


「そっかぁ……だから最近、マリヤにひどいこと言うんだ、あの人……」

「なんだって? あいつに何かされたのか? マリヤ!」


 マリヤが地を這うような悲痛な声で呟くように、しかしはっきり聞こえるぎりぎりの声量で口にすると、ローレンはすぐ食いついてきた。恐らくは、マリヤの思い通りの勘違いをして。


「マリヤの話……信じてくれる? ローレン様……」


 泣きそうな顔を隠すような仕草で袖口を頬に寄せる。


 隠した向こうの口角がにんまりと吊り上がっているのに、ローレンが気づいた様子は毛ほどもなかった。



───至る、現在。


 マリヤからないことないこと吹き込まれたローレンは婚約者リディシア・ドゥ・ロペス伯爵令嬢との婚約を破棄し、マリヤは正式な書面での契約こそ交わさずながら実質リディシアの後釜に収まる形となったわけだが……。


(ノクティス様という超新星が現れた今はもう、こんな男に興味も価値も一緒にいる意味もなんにもないわ……!)


 望みの地位を手に入れたはずのマリヤは、表向きローレンと幸せそうにお付き合いしながら内心不満で今にも爆発しそうだった。


 原因は他ならぬ隣国メルクラントからやってきた“華のヴェルゼン公子”ことノクティス・ヴァン・ヴェルゼンである。


 マリヤがリディシアからローレンを奪い取ったその夜、その場で突然ノクティスが現れた時はチャンスだと思っていた。


 異国の言葉で言えば“一顧傾城(イッコケーセー)”、ひと目で一国一城の主をも虜にする美貌のマリヤにかかれば隣国の貴公子だって一瞬で魅了できるに違いないという自信に満ち溢れていたからだ。


 しかし、あろうことかその“華のヴェルゼン公子”は、輝く美貌のマリヤに見向きもせず、棄てられ女に相応しい見窄らしい格好をしたリディシアに跪いて、なんと結婚の申し込みをして見せたのだ。


(もっと信じられないのは、あんな権力者で金持ちでイケメンの相手にプロポーズされたくせに、グダグダ御託(ごたく)述べて拒否しようとしたあの棄てられ女の方だけど)


 そう、リディシアはマリヤの目の前で非の打ち所のないカンペキ貴公子様にプロポーズされておきながら、傲慢にもそれを(ソデ)にしようとしたのである。


 当てつけだ。マリヤは確信し、そして憤慨した。


 いくらマリヤ・ヅー・クレールに美貌でも処世術でも勝ち目がないからといって、ノクティスほどの有名人かつ優良物件をマリヤに対する嫌がらせに使って消費するなど、神をも恐れぬ悪逆だ。何よりダシに使われたノクティスがかわいそうでならない。


(そうよ、いらないならあたしが貰ってあげるわ。……そうなったら、こいつももう用済みなんだから)


 人間の頭部は重たい。その重たい荷物を女のか細い足に乗っけたまま無遠慮にも眠りこけている男の後頭部をゆさゆさと揺さぶって、声をかける。


「んぁ……」

「ねえ、……ローレン様ぁ。こんどの周年祭のドレス、あたし誰より一番可愛いのが着たいの。もちろんローレン様のためよ。買ってくれるわよね……?」

「んん……? ああ……いいぞ……」

「……やったぁ。マリヤ嬉しい」


 ……言質取ったり。


(きっと次のドレスが、ローレン様からマリヤへの最後の贈り物になるわ。せいぜい奮発して、あたしを幸せに……ノクティス様の隣に、導いてよね)


 不意に、強い風が吹き抜けて林の木々がざわざわと揺れ騒ぐ。西の空のふちに少し黒雲がかかっている。夜は雨になりそうだった。

マリヤの良いところは底抜けにポジティブなところです。

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