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第三話 珍客

 すっかり場の主導権を握ったつもりでいたらしいローレンは、リディシアのほうから話の続きを催促されて、一瞬目を丸くした。


 だがすぐに勝ち誇った顔に戻ると、


「ああ、そうだとも! 婚約破棄に至った三つ目にして最大の理由は、リディシア、お前が彼女に……マリヤ・ヅー・クレールに、酷い嫌がらせをしたことだ!」


そう鬼の首を取ったように言い放ったのだった。


 ローレンはさらに続けて、リディシアがマリヤにした嫌がらせの内容を述べ立てていった。


『まずリディシアからマリヤに向けた「私の婚約者に近づくな」「男爵家の分際で馴れ馴れしい」「目障りだ」といった暴言。それからマリヤの私物を隠す、壊すなどの嫌がらせ。さらには階段ですれ違いざまに足を引っ掛けて転ばされそうになったことさえある。これらがここ3ヶ月ほどほぼ毎日繰り返された』


 内容は要約すると、だいたいこの通りであった。


 当然、リディシアにはいっさい覚えがないことだ。いったい何を思ってありもしない被害を二つも三つもでっち上げたのだろう。


 当事者を自称するマリヤの方へ視線を移すと、その長いまつ毛と濃いアイラインに囲まれた茶色い瞳を真っ直ぐに見つめて、リディシアは訊ねる。


「……その全てを、他ならぬこの私がやったと、そう仰せなのですか? クレール嬢」

「ああ! マリヤは俺にこのことを打ち明けている間、ずっと震えながら泣いていたんだぞ! どれだけお前に恐ろしい思いをさせられたか……」

「ローレン様には聞いておりません。どうなのですか、クレール嬢。私の顔をよく、よーくご覧になってお返事ください。本当に、この私が、直接、あなたに先のようなことをしたのですか?」


 リディシアの黒眼がちな瞳に射抜かれたマリヤは少したじろいだ様子を見せながら、それでも眉をキッと吊り上げて頑固に言い返してきた。


「そ、そうですよお。自分がやったのに覚えてないなんて最低(サイテー)! もしかして多重人格とか、何かのビョーキなんじゃないですか?」

「まあ」


(随分なことを言ってくれるじゃあありませんか)


 リディシアの顰めた眉間につい皺が寄る。ひとさまを罵倒するにしてもあまりに品がない言葉の選び方は、日頃から穏健派で他人に良くも悪くも興味の希薄なリディシアをしても、マリヤに対する嫌悪を超えた明らかな軽蔑の情を抱かしめるほどのものだった。


 リディシアは自分が他人に対してここまで明確な敵意を感じていることに内心驚きつつも、緊張をほぐすようにもぎゅもぎゅと眉間を指先で揉みながら、あくまで冷静を装ってやり返す。


「お言葉ですが、滅多なことを言うものじゃございませんよ、クレール嬢。貴方は冗談のつもりでも、万が一伯爵家の名誉に関わる事態になっては私たち二人だけのことでは済まなくなりかねません。まして家同士のトラブルに発展したら、男爵家と伯爵家ではちょっと……ね」

「うっ……な、何よ、ちょっと家の爵位が高いからって調子に乗って! ローレン様ぁ! この人ひどいわ、何か言ってやってよお!」


 リディシアのロペス家は当代で五代目になる伯爵、一方マリヤのクレール家は老齢で叙爵を受けた初代からつい最近二代目に爵位を継いだばかりの歴史も浅い男爵家だ。


 爵位を引き合いに出されて流石に言葉に詰まったマリヤはすぐさまローレンの後ろに隠れると、彼をけしかけてきた。


「お前! 爵位を使ってマリヤを脅すのか! この卑怯者!」


 けしかけられたローレンも興奮した様子で食ってかかるが、


「『家格(かかく)の釣り合わぬ婚約者は従者扱いするのが常識だ』なんて仰るお方に言われたくはございません」

「うぐッ……!」


そうリディシアに打ち返されてあっさり静かになってしまった。

 ───潮時(しおどき)である。こちらも言いたいことを言って、終わらせてもらおう。


 時を悟り、リディシアは、我慢していたものを全部吐き出した。


「そちらのクレール嬢に悪意を持って接した覚えは、生まれてこの方一才ございません。そもそもこのようにして直接ご挨拶申し上げるのも今が初めてで、ローレン様が仰せのような長期間複数回にわたる悪意ある態度や言動は取りようがないかと。証拠らしい証拠もないようですし、何か誤解をなさっておられるようです」

「それから、婚約の解消につきましても、こちらは特に異存はございません。【祝福(ギフト)】のない私にとって魔法学の結晶たる呪文や薬の製法といった知識は私の命を救った神にも等しい大切なものです。私自身のことをただ(けな)すことはこの際構いませんが、私を(おとし)めるためだけに先人の築き上げた魔法学の知識を侮辱するようなお方に、よき妻としてお仕えする自信はもはやございませんので。よって、謹んで婚約破棄のお話をお受けいたします。今宵この場を辞してのち、金輪際(こんりんざい)あなた方のお邪魔は致しませんので、どうぞお幸せに」


 ……ほとんど一息に言い切った。言ってやった。空気を長いこと吐き続けた肺が少し痛むが、それでもリディシアは言ってやったのだ。


 今まで感じたことのない類の爽快感を覚えながら、呆気に取られているローレンとマリヤの二人に向かって駄目押しとばかりにコーツィ・スタイルで優雅にお辞儀をしてみせた。


 その時である。


「素晴らしい! やはり貴女(あなた)は素晴らしい女性(ひと)だ、ロペス嬢!」


 突如、群れなす賓客(ひんきゃく)の壁の向こうから、パチパチと大きな拍手が上がった。


 人垣がざわつきながら左右に割れる。その奥から現れた賛辞と拍手の主は、輝くプラチナブロンドの長髪を優雅に靡かせて、道の真ん中を悠々と歩いてやってきた。


 淡いブルーのブラウスの上から上質な白無地のオックス織に金を基調とした華やかな装飾を施したベストとジャケット、スラックスの三つ揃いをすらりとした長身に纏い、透き通るようなアクアマリンの瞳と薄い唇に柔和な微笑を湛えた、一眼で高貴な身の上とわかる美貌の青年だった。


「ヴェルゼン公子様だわ……!」

「え、あの隣国(メルクラント)の?」

「お噂以上の美しさですわ……でも、どうしてここに……?」


 (にわか)に色めきたったのはその場にいた若い女性たちだ。


 それもそのはず、“華のヴェルゼン公子ノクティス”といえば、メルトリア王家とも繋がりのある名門中の名門・“ヴェルゼン大公家(たいこうけ)“の嫡男(ちゃくなん)であり、王家が主宰する式典にも父親の名代(みょうだい)としてちょくちょく顔を出していることで顔と名前が広く知れ渡った、超のつくほどの有名人だ。


 まず目を引くのは彼の高貴な家柄と、それに相応しい輝く容姿だ。その上頭脳明晰であり、彼の所属するメルクラント王国一番のパブリック・スクールである“聖マリエル・カレッジ”では学問・魔術・武術の三拍子揃ってずば抜けた天才として四方にその名を轟かせている。


 この化け物じみたポテンシャルの高さをして、ある人は


『ロマンス小説の中から抜け出してきたようなお方ですわ』


と彼を絶賛し、またある人は


『こんな完璧超人がいるものか、きっと邪神に魂を売ったに違いない』


と悔し紛れの中傷を口にした。


 そんな女性たちの憧れ、男性たちの嫉妬の的たる貴公子は、堂々とした足取りでローレンの目の前まで進み出ると、


「ご挨拶が遅れて申し訳ない。僕はノクティス・ヴァン・ヴェルゼン。隣国メルクラントより、我が父ドノヴァン・ベッセル・ヴァン・ヴェルゼン大公の名代として参りました。このたびは御生誕まことにおめでとうございます、ウェリス次期侯爵どの」


そう挨拶の口上を述べて優雅に一礼してみせた。


 舌を噛みそうな人の名前を二つも交えながら、スラスラと淀みなく言葉を紡ぐさまは、その優れたる容姿と相まってさながら舞台俳優のような迫力である。


 思わぬ大物の登場に固まって答礼もままならぬ“次期侯爵どの”にノクティスは苦笑すると、世間話のようなトーンでこう切り出した。


「あぁところで、ロペス嬢とは本当に婚約関係をお絶ちになるので?」


 出し抜けに踏み込んだ質問をされて我に帰ったローレンは、精一杯に胸を張って答える。


「と、当然ですとも。このような女は我がウェリス家に相応しくないのでね」

「そうですか。でしたら遠慮なく」

「は?」


 首を傾げるローレンをよそに、ノクティスはまっすぐリディシアの方に向き直った。今日一番の美しい微笑みを湛えて見つめてくる貴公子のアクアマリンに、リディシアの背筋がぶるりと震える。


(なんだか、嫌な予感が)


 リディシアはといえば、お辞儀をしたあと「では失礼します」の一言を置いてさっさとその場を辞するつもりだったのが、この背の高い男が突然に発した拍手と歓声でなあなあにされてスッカリその機会を逸してしまっていた。


 そんなリディシアの胸の内を知ってか知らずか。ノクティスは、リディシアの目の前で片膝をついて跪くと、左手を胸に当て、右手を彼女に向かって掲げるように差し出した。


「ロペス伯爵令嬢どの。どうかこの僕と、結婚していただけませんか?」

ワーイ! ここが書きたかったんです!

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