がらくたばかり ①
『ロッシュ殿からの伝言でござる、聖気を使えと』
「……僕は魔法遣いではないのだが」
竜の体内へ侵入する少し前、唐突に表れたゴーレム越しに聖女からの伝言を告げられた。
『もう一つ、四の五の言っていられる状況ですか? と、確かに伝えたでござる』
「あの聖女め……だがあいにく魔法はからっきしなんだ、聖気も何も神を信仰すらしていない」
聖気とは魔法遣いが扱う、悪霊や呪詛に対抗するための特殊な魔力だ。
呪詛と聖気は互いに真逆の性質を持ち、混ざり合うことで互いの力が中和される。
だが相手は長年の怨念が積もり積もった幽霊船、それこそ聖女どころか神に至る聖気でもなければ内部に侵入など不可能に近い。
『なんの、そのために某がおっとり刀で駆け付けたでござるよ! わが身に宿した聖気、ライカ殿に御預けいたす!』
「……できるのか、そんなことが?」
魔法遣いとは何かしらへの信仰や怨念、ともかく強い感情が起点となって成立する。
そのため、いくら知能が高かろうとゴーレムのような無生物には扱えないはずだが。
『我が名は煌帝影打、詳細は省くでござるが可能でござる。 ではお手を拝借』
「あっ、おい勝手に……」
いぶかしんでいる間に手を取られ、ゴーレムが持つ聖気とやらを注入される。
体の中に温かい異物が流れ込んでくる感覚は、お世辞にも心地がいいといえるものではない。
触れたのはものの数秒、しかしそれでも十分すぎるほどの聖気を注ぎ込まれた。
『うむうむ、これにて満タン! では某はエネルギー切れゆえ……』
「そういわれても実感が……あっ、おい」
役目が終わると、糸が切れたかのようにゴーレムの体が弛緩し、地面へ倒れ伏す。
最低限駆動するためのエネルギーすら全部渡してしまったのか、これでは戦力にならないどころか避難することもできまい。
『お気になされるな、元よりアルデバランが滅びればロッシュ殿ともども朽ちる覚悟。 ならばより可能性の高い者に力を託すのが得策というもの』
「……あまり期待されても荷が重いな、せいぜい踏み潰されないように気をつけろよ」
『なに、頑丈が取り柄なもので……ご武運を』
――――――――…………
――――……
――…
「さてモモ君、逃げるぞ」
「逃げるんですか!?」
「当たり前だ、わざわざ敵のフィールドに付き合ってやる必要はない。 この程度の竜ならやりようはある」
『貴様……!』
わざとらしく煽ってやれば、竜の精神体はずいぶんご立腹だ。
この程度で血が上るとは、やはりまだ若い個体だ。 老竜ならば人間の戯言など聞き流している。
「モモ君、頭を下げろ」
「へっ――――? わっひゃあ!!?」
抱き寄せたモモ君の頭を無理やり押し下げた直後、さっきまで頭のあった位置を鋭い石片が掠める。
竜の体外で食らった粗雑な物量攻撃ではない、狙いすました精密な射撃だ。
やはりこの竜、あくまで赤子は傷つけたくないと見える。
『もう良い、慈悲をかけようとも思うたが、やめだ』
「心にもないことを述べるなよ、程度が知れるぞクラクストン」
『死ね』
憎しみのこもった2文字を吐き捨てると、左右から分厚い岩壁が突如隆起し、押しつぶそうと迫りくる。
一見岩に見えるが、これもすべて幽霊船の怨念が詰まった呪詛だ。 一般人ならば触れるだけで圧死する前に即死する。
ただ、この場においてはその呪詛の濃度が逆効果だ。
「モモ君、君にも貸しておく。 自分の分は自力で何とかしろ」
「えっ? は、はい!」
迫りくる壁に対し、あえて手を指し伸ばして――――あえて触れる。
本来ならばその瞬間に人としての原型を失ってしまう呪いだが、触れた端から一切の抵抗もなく壁は霧散した。
「わっ……し、師匠すごい!」
『貴様……どこで、それだけの聖気を……!?』
「アルデバランの聖女から、といえば納得してもらえるかな。 呪いに染まったその身にはよく効くだろう」
勝算はあったが、思った以上の効果だ。 これはいくら聖女とはいえ人間一人分の魔力だけで成せる技じゃない。
煌帝か、ただのゴーレムではないと思っていたがあれはいったい何者だ?
「モモ君、君は赤子を抱えて逃げろ。 僕の後方へ走っていけば出口が見えるはずだ」
「し、師匠はどうするんですか?」
「なに、ゆっくり殿でも務めるさ。 君の脚にはついていけないからな、それと心配は不要だぞ」
のんきに会話している間にも、竜はさらなる攻撃の手を用意する。
呪いによるからめ手が通用しないと学習したか、今度は数と質量の暴力に訴える気だ。
頭上にびっしりと生成された無数の石の槍が雨のごとく降り注ぐ。 なるほどこれなら横に飛ばす弾丸と違い、赤子へ誤射する可能性は低くなる。 だが……
『―――――なに……!?』
「このように、あいつの攻撃じゃ僕は傷つかない」
串刺しにすべく降り注ぐ数多の槍は、そのことごとくが掠りもせずに僕の周囲へと反れていく。
まるで見えない壁でもあるかのように、結局1本すら当たらずすべての槍は無駄打ちと相成った。
この結果はさぞや傲慢な竜のプライドを傷つけたことだろう、もはや怒りに染まったご老人の目は僕しかとらえていない。
「行け、モモ君。 ここに残っても邪魔なだけだ」
「わ、わかりました……気を付けてください!」
押し付けた赤子を抱え、モモ君が人並外れた脚力で走り出す。
あの速度なら余計なちょっかいをかけられる前に脱出できるはずだ、なにせ本番は脱出してからなのでぜひとも気張ってほしい。
「さて、こちらも邪魔ものがいなくなって清々しい気分だ。 景気づけに紅茶でも淹れようか?」
『ふざけるな……ふざけるな貴様……なんだその力は、なぜ人間ごときが竜に逆らえる……!』
「お前が耄碌しただけさ、生前の竜ならもっと苦戦していただろうね」
竜は気づいていない、結局のところ奴が運用しているのは幽霊船に殺された自分の残り香に過ぎないことに。
全力を振るう機会がなかった弊害か、ともかく竜としての脅威はこうしている間にもみるみる衰えている。
なにせ、こちらが展開している固有魔術にすら気づいていない様子だ。
『耄碌……衰えているだと……? この我が……竜が……!?』
「まあ気にするなよ、“しょせんこの世は――――」
モモ君は逃げた、この閉鎖空間に目撃者はいない。 ならばこそ埃をかぶった魔術を虫干しするいい機会だ。
どうせ目の前にいる唯一の目撃者は、もうじきこの世からいなくなるのだから。




