氾濫 ②
「……なんだ、今のは?」
たしかに今、人のものとは思えない酷く耳障りな絶叫が聞こえて来た。
あまりの音圧にまだ窓が震えている。 外では同じように絶叫を聞いた人々のざわめきも見えた。
ただ事ではない、それに今の声が聞こえてきた方向は……
「アクシオ様、ご報告がございます!!」
「入れ、何事だ?」
荒いノックを伴い、入室してきたのは皮鎧で武装した兵士だ。
ウムラヴォルフ家の私兵だろう、これにはさすがのアクシオも威儀を正して対応する。
「クラクストンが目覚めました! 現在、竜災を伴いながら進行中! 半日ほどで街に到着すると予測されております!」
「早いな、原因は?」
「不明です、しかし例の罪人たちの反乱ではないかと……」
「待て、それはない。 モモ君たちがそんな真似をするはずがない」
「あ、アクシオ様? こちらの方は……?」
「私の友人だよ。 ご苦労だった、君は下がってくれ。 ライカ、その言葉は信用して良いのか?」
「他2名はともかく、モモ君にそこまで回る頭はない。 ノヴァたちが暴走するなら力づくでも止めるようなやつだ」
「ふーん、なるほど」
そもそも、仮にあの3人が竜を怒らせたのなら、山に出る前に死ぬのが関の山だ。
とてもじゃないが、街まで怒れる竜を誘導するほどの連携ができるとも思えない。
「だが竜が来るのは間違いないらしいな、膨大な魔力の圧を感じる」
「分かるのか? 山までかなりの距離があるんだよ?」
「このくらいの距離なら大物の反応ぐらい読み取れ……待て、この反応はどういうことだ?」
「幽霊船か?」
アクシオの問いに、無言で首を縦に振る。
竜が持つ『圧』に負けて分かりにくいが、山から感じる魔力の波長には、二度と会いたくなかった呪詛と同じものが紛れていた。
「アクシオ、先ほどの話と竜の侵攻は関係あるのか?」
「あってほしくはなかったけどね、幽霊船はアルデバランの歴史の中で、何度か陸地に浸食する行動を見せたことがある」
「……それが街の半分を斬り落とし、先代聖女とやらが殉職した事件か?」
「ああ、その他にも何度か幽霊船の氾濫はあった。 そしてそのたびに氾濫の周期が短くなり、知恵をつけてくる」
「なら今回も迎え撃つ手立てがあるのだろう? いや、先に住民の避難が必要か」
「避難についてはすでに私の手のものが動いているよ、ただ問題はクラクストンだね」
「僕が様子を見てくる、そっちは避難に集中してくれ。 終わり次第こちらの救援も頼む」
「助かるが……手伝ってくれるのかい?」
「もののついでだ、連絡事項があれば音を飛ばす。 手に負えなければすぐに退避するからあまり期待するなよ」
アクシオの返事を待たず、狭い家屋を飛び出す。
空は厚い雲で蓋をされ、まるで夕暮れ時のような薄暗さだ。 竜が起きた弊害がすでに表れ始めている。
「これはモタモタしていられないな……」
自分が捻出できる最高出力で風を操って山を目指す。 障害物のない空路を一直線、モモ君たちの馬車よりはずっと速い。
それでも彼女達が出発してからすでに大分時間が過ぎている、竜が起きた因果関係を考えれば……いくら急いだところで手遅れである可能性が高い。
「…………ふん」
だからなんだ、それがどうした。 むしろうるさい奴がいなくなって清々する。
すべてはノヴァにいらぬ手を貸したモモ君の責任だ、僕が尻拭いをしてやる義理なんてないじゃないか。
「ま、あの街が無くなってしまうのは困るから仕方なくだが……」
「――――おーい! そこのチビ、こっち見ろこっち!!」
「むっ?」
あまりにも不躾な呼び声に、眉をひそめながら眼下を見下ろす。
するとそこには、見覚えのある馬車を操るバカ2名の姿があった。
「なんだ、生きてたのか罪人1号2号。 しぶといものだな」
「何だとお前ー! こっちは命からがら逃げて来たんだぞ!?」
「大変だぜ姐さん、竜が死んで起きて幽霊船がゾンビで!」
「分かった分かった、状況はこちらでもだいたい把握している」
高度を落とし、馬車の高さまで視点を合わせると、面白いほど取り乱している2人が言葉の濁流を浴びせてくる。
だが出てくる情報は既知のものと大差はない、「幽霊船が竜の身体を乗っ取って進行している」という情報の確度が高まったぐらいか。
「とりあえず落ち着け、そして近寄るな。 確認だが君達は幽霊船に触れてはいないな?」
「当たり前だ! 触れる前に私の固有魔術で逃げて来たんだ、あんな思い二度とごめんだよ……」
「ははは、それはそれは運がいい。 幽霊船と竜なんて厄物でしかない組み合わせを相手に、3人とも無事に逃げ出すなんて奇跡みたいなものだ」
「…………いや、その事なんだけど、姐さん」
「モモ君もちゃんとそこにいるんだろ? 顔を見せろよ」
対面する暗殺者が小さく息をのむ音がはっきりと聞こえた。
この状況でモモ君が何も言わず荷台に引っ込んでいるとは思えない。 つまり、ここに彼女はいないのだ。
竜を前にして自分を犠牲に2人を逃がしたってところだろう、あのバカ弟子らしい短絡的な発想だ。
「い、言っておくが囮にしたわけじゃないぞ! 私が止める前にあのピンクが……」
「もういい、目の前にある事実だけで結構だ。 君達はそのまま街まで戻って見た情報をアストアエラの連中に伝えてこい」
「わ、私は……私達は悪くないからな、クソッ! 助けられるなら助けてくれよ、帰ってこなきゃ借りも返せない!!」
我ながら酷い顔をしていたらしい、ウマすら怯えて逃げるように走り去っていく。
彼女の言う通り、すべてはモモ君が勝手に行動した結果だ。 なにも僕が八つ当たりをする筋合いはない。
そもそもだ、何故僕はこんなにイラついているのか。 一人の犠牲で済んだのは喜ばしいことじゃないか。
「だが……あのバカは見つけ次第説教が必要だな」
地に届くほどの重い溜息を零し、再度山に向けて速度を上げる。
そして僕が「それ」と対峙したのは、馬車と別れて15分後の事だった。




