竜の寝床 ⑥
「嬢ちゃん、今なんて?」
「えっと……死んでました、ドラゴンさんが」
「そ、そんなわけあるかぁ!?」
戻ってきたピンクの報告は、とてもじゃないが信じられないものだった。
竜だって生き物だ、当然いつかは死ぬ。 だがその原因のほとんどは老衰だ。
この山に潜む竜はまだまだ天寿を全うするには若い、なら何者かに襲われて? それこそありえない、竜を殺すような存在なんて同じ竜ぐらいだ。
「そりゃあ寝てたとか、そういうわけじゃねえのか?」
「多分違います、あれは死んでいるんじゃないかなって……」
「埒が明かない、竜を見かけたのはどこだ!?」
「そうですね、私じゃわからないので見てもらった方が早いです! よっこいしょっと」
「えっ? おい待て何をする気だなんで私を担いであ゛ァ゛ー!?」
「舌噛まないように気を付けてくださいねー!」
あっという間に私の身体を担ぎ上げ、再びピンクがアホみたいな身体能力で山を駆けだす。
忘れてた、こいつアホだった。 もっと慎重に行動しろと、最初に言うべきだったんだ。
「えーと、たしかこっちの方で……あっ、ほらあれです!」
「うっぷ、ちょっと待って酔っ……ヴっ!?」
馬車の数倍は揺れる乗り物体験に酸っぱいものがこみ上げる中、鼻を突いたのは強烈な腐敗臭だ。
決して慣れたくはない、それでも何度か嗅いだ覚えのある臭い。 そう、これは肉が腐乱した時の臭いだ。
「クスフさん、どうですか? 私には死んでいるようにしか見えないのですが……
険しい山を一息に駆け上ると、遮るもののない山の景色が一気に開ける。
周囲の山肌が壁となって隠すくぼ地のど真ん中に、確かにそれはあった。
いや、隠れていたわけじゃない。 今までも見えていたはずだ、ただ巨大すぎて山の一角としか認識していなかっただけだ。
「…………死んでる」
灰褐色にくすんだ鱗、生気を失ったまま見開かれた瞳、ところどころ腐敗して腐り落ちた肉片。
ピンクの言う通り、誰が見ても「死んでいる」としか判断できない竜の死体がそこにはあった。
「なんだこれ……ありえない……まさかお前が?」
「いやいや、私が来たときはすでにこの様子でしたよ!」
「おーい! 俺を置いて行くんじゃ……くっさ!? なんだこの臭い!」
「遅いぞおっさん、あれ見ろあれ」
「ああ? これでも急いで嬢ちゃん追いかけて……なんだ、これ」
おっさんの反応からして、私達だけが幻覚を見ている訳じゃない。
頭がおかしくなりそうだ、なんで竜が死んでいる? いったい誰に殺された?
そもそも、この竜を殺したやつはまだ近くにいるんじゃないのか?
「……帰ろう。 これ以上は無理だ、危険すぎる!」
「でもクスフさん、このまま帰ったら契約違反になるんじゃ……」
「どうでもいいんだよそんなことー!! 命が今あることが大事だろ!!」
原因不明だが竜が死ぬなんて異常事態、私達じゃ手に負えない。
むしろこの情報を持ち帰るだけでも十分な功績だ、拝み倒せばこれだけで恩赦が貰えるかもしれない。
「竜が死に、ワイバーンが飛び立つほどのなにかがここにある! 一秒だって長生きできるもんか、良いから撤退だよ撤退! 返事!!!」
「は、はい!」
「お、おう……」
『グルル……』
「よし、それじゃ帰るぞ3人とも……3人?」
ピンクとおっさんが顔を見合わせる。 返事はたしかに今3つあった。
自分を含めれば3人だが、当然私は返事をしていない。 なら、今の唸るような声は誰が?
「あのー……クスフさん、一ついいですか?」
「なんだアホピンク、下手な事言うとその毛毟るぞ」
「えーと、一つ気になったことがありまして……ドラゴンさん、今動きませんでした?」
「えっ」
『グルルル……』
今、この場に人間は私を含めて3人しかいない。 人間は、だ。
そうだ、いるじゃないか。 地獄の底から響くような唸り声を上げる、四人目の存在が。
気付かなかったのが迂闊だとは思わない、だってこんなの反則じゃないか。
『グルルァ……アアアアアアアアアア゛ア゛ア゛ア゛!!!!!』
「“足場は脆く崩れ去り! 皆、底に沈む”!!」
咄嗟に詠唱が間に合ったことは、今までの人生で最大級の幸運だった。
「「ゴボボボボベボボバボベバ!?」」
「喋るな! 風魔術で口元に空気を集めろ、地上に出たら死ぬぞ!!」
大地を水のように見立て、潜水できる。 それが私の固有魔術。
望めば他人も引きずり込めるが、人数に比例して消費する魔力の量は雪だるま式に増えていく。
2人も呑み込めば潜水時間は5分が限界だ、余計な時間を浪費する暇はない。
「ガボボ……プハァー……! なんだあれ!?」
「私が知るか! 分かるのは竜に常識が通用しないって事だけだ、死んでも動くなんて冗談だろ!?」
竜の肉体は間違いなく腐敗していた、見間違いなどではない。
それでもやつは咆哮を上げ、崩れ行く肉体を動かそうとしたのだ。 私の潜水が間に合わなければ、一瞬で全滅していたかもしれない。
「ボボボ……」
「おっとぉ!? そうだ嬢ちゃんは魔術使えねえよな、すまねえ!」
「良いからモタモタするな! 私の魔術は完璧じゃないんだぞ、もし竜が本気で暴れたら」
『アアアアア゛ア゛ア゛ア゛!!!!!』
悍ましい絶叫が水面下まで響き、視界が反転する。
私の魔術にはいくつか弱点が存在する。 「地面と認識した場所しか潜水できない」というのものその一つだ。
たとえばあの生意気な魔術師の子供がやってみせたように、地面をまるごとひっくり返すような真似をされると、私の魔術は解除されてしまうのだ。
「う――――わあああああああああああああああ!!?」
人間ならば大掛かりな魔術を仕掛けて行うそれを、竜は地団太一つで成し遂げた。
山が揺らぎ、大地が割れ、地中が隆起し、潜り込んでいた私達がほじくり出される。
とんでもない、生物としての規模が違う。 こんな化け物に敵うはずがない。
『アア……ア゛ア゛ア゛……』
「ひっ……!?」
地上に引きずり出された私達の眼前には、肉が半分崩れ落ちた竜の顔が迫っていた。
頬骨がむき出しになり、右目は完全に喪失、口からは濃縮された腐敗臭が吐息となって吐き出されている。
どう見ても死んでいる、なのにこの竜はまだ動いているのだ。 だがその理由は、すぐに理解できた。
「な、なんで……」
がらんどうになった竜の眼孔からは、もう二度と出会いたくなかった――――あの幽霊船の触手が覗いていたのだ。




