竜の寝床 ④
「お疲れ様です、お水どうぞ」
疲れ切ったモモ君を宿で寝かせ、少し夜風を浴びようと外に出ると、両手にコップを持った聖女が待っていた。
立場からして嗜好品を勧める訳にもいかないのか、中身は湯冷ましの水という色気のないものだ。
まあ、労いに酒を勧められても困るので助かるが。
「お水どうも。 今日は付き合わせて悪かったな」
「いいえ、いい気分転換になりました。 進捗はどうですか」
「何とも言えないな、確実に動きは良くなったが……この調子なら五分五分ってところか」
「荒療治で五分五分ならば上出来でしょう、それともお弟子さんを信頼できませんか?」
「弟子じゃないし信用できない、どれだけ入念な準備を重ねようとも、不測の事態というのは起きるものだ」
現状は自分が知る竜のレベルに合わせた稽古をつけているが、それがあの山に住むものに通じるかは分からない。
もし僕が知る竜よりも格が高い場合や、まるで違う力を有していたら、全ての努力は水の泡だ。
それでももとより分の悪い勝負、自分にできることは無駄にならないと信じるしかない。
「聖女、君はあの山に住む竜について何か知っているか?」
「名前程度は。 クラクストン、それがあの山に潜む竜の名です」
「名付きか、ますます出会いたくない相手だ」
「そもそもの疑問なのですが、ライカさんが付いて行けばより安全なのではないでしょうか」
「バカを言うな、付き合う義理がない。 モモ君さえ首を突っ込まなければ最初から関わる気もなかったよ」
「それでも今は、お二人を助けるために色々と手を貸してくださるのですね」
「…………」
聖女の何か含みがありそうな言い方と、全てを見透かしたような笑顔がなんだか腹立たしい。
別にこんな手伝いはただの気まぐれだ、自分さえ竜と関わらなければ対岸の火事を見物すようなもの。
適当にバカ二人を焚きつけて、どこまで死なずに足掻くのか喜劇気分で眺めようという算段なのだ。
「うふふふふ。 ライカさん、一言助言いたしますとあなたは悪人に向いてませんよ?」
「はぁ~~~~~? なーにを言い出すんだ君は!」
「まあ怖い怖い、怖いので頭撫でてもいいですか?」
「止めろ、近寄るな、大した用がないなら帰れ!」
「ああそうでした、大した用事を一つ忘れておりました」
頭へと伸ばされる腕を振り払うと、聖女の纏う雰囲気が一変し、真面目な顔つきとなる。
「ライカさん、あなたはワイバーンの件をどう考えておりますか?」
「なんだ急に……たしか飛竜涎だけが原因ではない、という話だったな」
「その通りです。 私が焚いたお香はあくまで火に油を注いだだけ、きっかけとなった出来事は他にあるはずです」
「だけとはいうが君のやらかしも相当なものだからな?」
「ええ、それはもう海よりも深く反省しておりますとも。 ……本当にそれはもう」
あの教育係にでもこっぴどく叱られたのか、何かを思い出した聖女の顔色は悪い。
この調子でぜひとも引き続き目を光らせてほしい、また巻き込まれるような真似のはごめんだ。
「しかし他に原因……考えられるのはやはり竜か?」
「ライカさんもそう思いますか」
もとよりあのワイバーンたちは山に住む群れだったらしい。
あれだけの個体数が生息していたのだ、竜とは共存できていたのだろう。 それが一斉に飛び立ったとなれば……
「ライカさん、あなたはあの山から何かを感じ取れますか?」
「…………何も。 僕の鼻が狂ったわけじゃないだろうな」
「ええ、私も同じ感想です。 あの山からは何の脅威も感じ取れない」
魔術師として常日頃、自身に向けられる魔力には感覚を研ぎ澄ませている。
竜なんて生きるだけで膨大な魔力をまき散らす存在だ、なのにこの距離であの山から大きな反応を探ることが出来ない。
「本当にあの山にいるのか?」
「1ヶ月ほど前にクラクストンの嘶きがこの街に届きました。 しかし、それから炎が消えたかのように大人しいですね」
「その時に誰か……いや、生死を確かめるためだけに山へ立ち入りたくはないか」
「ええ、今回ノヴァさんを送り出す理由にはそういった事情も絡んでおります」
「ふん、まるで炭鉱のカナリアだな」
知らぬ間にアストアエラの連中も随分小賢しい真似がうまくなったようだ。
ノヴァを送り出し、帰って来なければ竜が生存している可能性は高く、逆に生還したのなら詳細な報告を聞くことができる。
喉に引っかかった疑問を溶かすために人命を使うとは、モモ君が聞けば怒髪天を突くような話じゃないか。
「それで如何でしょうか、モモさんたちに同行するのは」
「……ふん。 さっきも言った通りだ、僕はあの山に用事もない」
「お二人のことは心配ではないのですか?」
「何をバカな事を。 ただ、僕が教えた以上は無駄死になんてしないだろ」
「うふふ、信頼しているのですね」
「信用しているだけだ、はき違えるな。 それに僕には用事がある」
生暖かい笑顔を向ける聖女に対し、ポケットから取り出した一枚の封筒を見せつける。
わざわざ蝋で封じられていた手紙だ、中身を読まずとも貴族から送られたものだと分かる。
「あら、そちらは?」
「先んじて宿に届けられていた、受け取り拒否も出来やしない」
「拒否しない方がよろしいかと、貴族からの招待状でしょう? 差出人はどちら様で?」
「分かって聞いているだろ、この街で僕に関わりがある貴族なんて一つだけだ」
封筒を裏返し、聖女に封蝋が見えるように差し出す。
この手のものには、融かした蝋に家紋を押印するのが一般的だ。 例にもれず、この封蝋にも見覚えのある家紋が刻まれていた。
「――――ウムラヴォルフ家現当主様の御呼出しだ、今さらいったい何の用やら」




