竜の寝床 ①
「あががががが、足が……」
「考え無しの代償だ、少しは反省しろ」
ギルドから戻って安宿の一室、痺れ切った足を抱えてモモ君が床を転がる。
たっぷりと刷り込んだ説教はいたく効いたようだ、これに懲りたら先走った真似は止めてもらいたい。
「まったく、裁判にも赴いたというのに教会の場所を忘れるな。 明日は僕が出向くから君は大人しくしていろ」
「えつ、師匠も手伝ってくれるんですか?」
「仕方なくな、君に任せたらアストアエラから余計な敵愾心を買う気がしてならない」
乱暴に尻を預けたベッドがぼすりと沈む。
藁を敷いた上にシーツをかぶせただけの簡素な造りだ、宿泊代を考えればこんなものだろう。
「君も今日は早く体を休めておけ、明日はノヴァと一緒に動いてもらうぞ」
「はい、さっそく山に登るんですね!」
「違う、君の同行が許可されるかも分かっていないんだ。 早合点は君の悪い癖だぞ」
「むぅ……じゃあ何のために?」
「言っただろ、動いてもらうと。 ドラゴンに出会って即死じゃあまりにもあっけない、多少の対策と傾向をその頭にねじ込んでやる」
「お、お手柔らかにお願いします……」
――――――――…………
――――……
――…
「よろしい、同行を許可しましょう」
「いいのか」
翌日、日が高いうちにアストアエラの教会に足を運ぶと、その場にいた神官によってモモ君の同行はあっさりと許可された。
平等や公平を重んじる彼らにとって、他人の手を借りるという行為は否定されてもしょうがないと身構えていたのだが。
「そもそもの発端は彼女の異議によるもの、ゆえに彼女にもこの贖罪工程に一理の責任があると考えました」
「なるほど、デカい口を叩いた責任は取れと。 ではついでだがいくつか質問しても?」
「構いませぬ、不明点は晴らしてこそ公平です」
「じつに敬虔で話が早い、それでは聞くがドラゴンの巣穴をつつくなんて正気か?」
「……ふむ、そういえばあなた方はこの街に来て日も浅いか」
神官は貯えた白髭に手を当て、値踏みするような目をこちらに向ける。
「あの山に住む竜は気性が温厚なのです、アリが何匹か侵入したところで微睡の邪魔にもならない」
「運がいいな、竜の性格が違えばこの街などとうに消し飛んでいただろうに」
「それはどうですかな、竜にとってもこの街に手を出す価値があるとは思えませぬ」
「……幽霊船か?」
竜から見れば人の群れなど塵芥の些事でしかない。
怒りをこらえてまで手を出さない理由があるとすれば、思いつくのはあの悍ましい呪いだけだった。
「左様、どうやらアレは竜種にとっても邪険に扱うもの。 壁ごとアルデバランを破壊し、自らの縄張りに彼奴を招くような真似は好まないと見える」
「あの呪いは竜にも効くのか?」
「どうですかな、しかし竜がこの街を避けているのは事実。 おかげでこの街は神憑った吊り合いの上で平穏が保たれている」
幽霊船の侵攻を人間が抑えているかぎり、竜の癇癪はこの街を脅かさない。
内部から見れば胃が痛くなるような均衡だ、見方を変えれば外部からの侵攻を怯ませる抑止力とも言えるが。
「……薄氷どころの問題じゃないな、薄皮一枚の平穏だ」
「それでもアルデバランは均衡を保っております、アストアエラ様の加護でしょう」
その均衡が聖女の献身やウムラヴォルフ家の秘匿によって保たれていることを、この神官は知っているのだろうか。
無知のまま神へ信仰を捧げているのだとしたら、全てを知った際に果たして同じセリフを吐けるのか。
「さて、他にまだ聞きたい事はありますかな?」
「……飛竜についてだ。 群れの襲撃は飛竜涎が原因だったはず、わざわざ罪人を使ってまで調べるほどのことか?」
「そうですな、たしかに原因の大部分は頭が痛い事にあの聖女殿にありますが……これをご覧くだされ」
用意周到な事に、神官は懐から一枚の地図を取り出して広げ始める。 自分のような人間がやって来るのは想定の内だったか。
広げられた地図はアルデバラン周辺を記したもののようだ、紙面にはいくつか赤いインクで印が書き込まれている。
「ここがアルデバラン、そしてこの赤く塗られた箇所が問題の山脈です」
「……近いな、この距離で竜が暴れないのはつくづく気味が悪い」
「ふむ、その年にしては竜に対する知識が深いと見える。 ではこれはどうですかな」
すると、神官は指先に集めた魔力で紙面上に新たな印を描く。
マル印は僕らが乗っていた飛行艇だ、加えて尾を引くように移動ルートも書き足されている。
「そして聖女殿が飛竜涎を焚き、ワイバーンが現れたのが……この地点ですな」
「……今度は逆に山から遠いな」
さらに地図に書き足された事件発生地点は、ワイバーンたちが住むとされる山からは大分離れた場所だった。
実際に聖女が飛竜涎を焚いたのはもっと前だろう、その距離ではたとえ獣の鼻でも香りが届くか怪しい。
群れが寄って来るとしてもあの数が一気に現れるかと言われると、たしかに首をひねる。
「聖女の愚行よりも先に、ワイバーンたちが山を飛び立った原因がある……そういうわけか」
「ええ、ゆえに罪人にはその調査を命じたわけですな」
要は体のいい捨て石じゃないか、といえば教会を叩き出されるのだろうか。
とはいえこれは無視できる問題でもない、ドラゴンの住む山に何かしらの異常があるなら究明は必須だ。
幽霊船という抑止力はただの予測であり絶対ではない、もし竜が暴れ出したらこの街に人間にできることは何もない。
「なるほど、合点がいった。 ありがとう、時間を割いてもらえて助かった」
「いえいえ、どうかあなたにも神の導きが在らんことを」
鼻で笑いかけたところを堪えた自分をほめてやりたい。
神の導きか、そんなものとっくの昔に見放されているというのに。
「そうだ、この地図少し借りても?」
「構いませぬとも、何かのお役に立てるのならば」
心ばかりのお布施と引き換えに、さきほどの説明に使われた地図を借り受ける。
今後の方針を練るためになにかと役立つだろう、なにせ相手は竜だ。 人間が敵うような相手じゃない。
「……竜を倒せる人間なんて、一人しか知らないからな」
幾年月が過ぎようとも忘れ得ない鮮烈な思い出を封じ込め、教会を発つ。
さて、次は件の聖女にも手伝ってもらおうか。 竜の懐に潜入する気なら、遣える手札はすべて使わなければ。




