平和な休日 ⑥
「ドラゴンって……あのドラゴンですか?」
「なんだ、君達の世界にもいるのかドラゴン」
「いえ、いませんけども。 おとぎ話の生き物です」
「それは羨ましい、ずいぶん平和な世界じゃないか」
ぽりぽり頬を掻き、いまいち事の重大性を理解していないあたり、冗談でもなさそうだ。
1000年そこらでは竜種の問題はあいかわらずか、話に上がるだけで気が滅入る。
「すみません、素人質問ですが一つよろしいでしょうか!」
「おう、なんだ嬢ちゃん」
「えっと、ワイバーンとドラゴンって何が違うんですか?」
「ワイバーンは亜竜だ、簡単に言えばドラゴンに擬態して外敵を遠ざけようとしているだけだ」
「生態は似てるが格がまるで違う、ドラゴンに比べりゃワイバーンなんざ羽つきトカゲよ」
「はぁ、つまりドラゴンさんのそっくりさんなんですね。 でもモノマネしたくなるほど強いドラゴンって……」
「嬢ちゃん、あれを生き物だと思うな。 ドラゴンってのは動く災害だ」
ノヴァが脅すようにモモ君に詰め寄る、だがあながちオーバーな表現じゃない。
純粋な竜とは、この世界全ての生態系をまとめた頂点に位置する存在だ。
「まず竜種に寿命はない、千年以上は平気で生きる。 正確に言うならば、だいたい天寿を全うする前に死ぬので寿命の限界が観測されていない」
「病気かなにかで先に死んじゃうんですか?」
「ああ、竜の死因はほとんど闘争による負傷が原因だ。 竜同士の縄張り争いでな、その余波だけで天候は変わるし周辺の土地は焦土と化す」
「地図を書き換えるどころの話じゃねえな、そこら一帯の地図が白紙になる。 何も残らねえからな」
「滅茶苦茶ヤバいって事じゃないですか!」
「だからそう言ってんだよ嬢ちゃん」
「性格や気性は個体差が激しいが、縄張り意識が強い場合が多い。 山に踏み込めば命はないだろうな」
竜を怒らせた場合、まず命はないと思った方がいい。
図体も魔力も生物としての質も、なにもかもが人間とは違う。 怒りの矛先が塵芥と化すまで決して怒りが収まることはない。
「だが、もし君が竜を怒らせればこの街まで被害が出るんじゃないか? 贖罪のためとはいえ、わざわざそんな危険を冒すほどのこととは思えない」
「だよなぁ……けど詳しくは俺も聞いちゃいないが、大丈夫なんだとよ。 だから安心して死んでこいって事だ」
「ふぅん……? まあ、そういうことなら墓穴ぐらいは用意しておこう」
「いや死ぬ気はねえんだよ! だから助けてくれって泣きつきに来たんだ」
「言い切ったなあ」
恥も外聞もなく、土下座するまでの勢いだ。 命が掛かっているとなればそう簡単に引き下がりはしないだろう。
どうしたものか、このままワイバーンの謎を調べるために山に踏み込めば、十中八九ノヴァは死ぬ。
聖女とはモモ君の治療と引き換えに彼を手伝う契約を結んでいるが、付け焼刃の指導を行ったところで竜がどうにかなるとは思えない。
「……師匠、そういうことなら私も手伝います! ノヴァさんと一緒に山登りますよ!」
「はぁ? 何を言っているんだこのバカ娘は」
「心の声が漏れてんぞ姐さん」
「失敬、つい本音が出た」
「もしかして師匠って私なら何言っても良いと思ってます?」
「いいや、正当な評価だろ。 君の言動は毎回突拍子がないからな」
ノヴァの実力はドラゴンに到底かなうものではない、たとえ彼を5000人揃ようとも彼我の戦力差は歴然だ。
そんな絶望的な盤面にモモ君を一人放り込んだところで覆るものではない、彼女の身体能力は凄まじいが、それでも焼け石に水だ。
「ですが師匠、そもそもノヴァさんが無茶を押し付けられたのは私が原因です! 責任ってものがあると思うんですよ」
「モモ君……自覚はあったんだな」
「そりゃあまあ何度も師匠には怒られましたし……ゴニョゴニョ……」
「とは言えだ、責任だけで同行させるにはリスクが大きすぎる。 せめて何かしらの勝算は示していけ」
「勝算はありません、ただ逃げ足だけなら自信はあります!」
「……ふぅん?」
正解だ、ドラゴン相手に勝算を企てるなどアリがウマを倒そうとしているようなもの。
隠密で行動し、危険を感じれば即座に逃げるという姿勢が一番長生きできる。
ドラゴンから見れば人間なんてちっぽけな存在、運が良ければモモ君の脚ならかんしゃくを起こされる前に脱出できる。
「理屈は分かった、だがアストアエラの連中が君の同行を許すかな。 やつらは規律にうるさいぞ」
「なら聞いてきますね! ちょっと待っててくださいーい!」
「はっ? 待てモモ君、おーい!」
止める間もなく、ギルドのスイングドアを壊さんばかりの勢いでモモ君は飛び出して行った。
即断即決と言えば聞こえはいいが、あれはただの考え無しのバカだ。 帰ってきたらまた説教だな。
「……なんだ、姐さんも苦労してんだな」
「姐さんと呼ぶな。 君もそんなのんびりしてていいのか、もうすぐ死ぬかもしれないというのに」
「ガハハ、今さら焦ったって竜はどうしようもねえよ竜は! 嘆く暇があるなら酒でも飲んでらあ」
豪快に笑いながらも彼はいつの間にか注文していた酒を景気よく飲み干して行く。
テーブルに積まれた酒樽はすでに3本目だ、呑むのはいいがだれが払うんだこれは。
「ふん、諦めたわけか。 晩節を汚したくないというならそれもいいだろう」
「いいや、なんだかあんたが手を貸してくれるなら不思議と死ぬ気がしねえんだ」
「……買いかぶりすぎだね、僕は見てのとおり非力な魔術師だよ」
「なら姐さんに負けた俺らはどうなるってんだよ。 バカにしちゃくれるな、俺の見る目は間違ってねえ」
ダン、とさらに空になった酒樽がテーブルに積まれる。
酒精臭い息を吐き出し、顔を上げた彼の瞳は酔いに濁ったものではなかった。
「俺らぁたしかにゴロツキだよ、いつ死んでもしょうがねえと思ってた。 だがあんたに負けて、初めて死にたくないと思ったんだ」
「裁判の席でも同じような事を言っていたな」
「ああ、俺はあの時に初めて魔術の先が見えた気がしたんだ」
「………………」
ノヴァの経歴は、典型的な魔術師崩れだ。 自分の実力に自惚れ、研鑽を忘れ、魔術師の誇りすら捨てて邪道へと身を落とす。
僕は彼のような人間を軽蔑する。 何も作らず、磨かず、他人から奪うことばかり考える人間を、救いようのない阿呆だと考えている。
「……ノヴァ。 君は」
……だがもし、誰かに救われるのではなく、自分から「変わろう」と決意したのなら。
そのきっかけに自分が関わっているのだとしたら、僕は―――
「師匠ぉー!! アストアエラさんの教会ってどこでしたっけ!?」
「――――……」
「…………嬢ちゃん、間が悪ぃなあ」
「モモ君、正座」
「ど、どうして……」
「どうしても何もあるか! ノヴァ、今日の所は帰れ! まだ時間の猶予はあるだろ!」
「ああ、お邪魔なら帰るけどよ……その、俺ら一文無しだから、な?」
そう言いながら、ノヴァはバツが悪そうにテーブルの上の酒樽を指し示す。
そりゃそうだ当たり前だ、まだ罪の清算を終えてない人間にアストアエラの連中が金を恵むはずもない。
つまりこの男、最初から僕にタカる気で酒を飲んでいたわけだな?
「…………ふぅー……気が変わった、お前たち全員そこに座れ」
「あ、姐さん? 俺たちもですかい……?」
「もちろんノヴァの取り巻き共も全員だ、せっかく出所したならここで一つ性根も直していけ!」
シュテル君の件で説教された意趣返しとばかりに、ギルドの床に並べられた罪人ども+バカ弟子一名。
見た目幼女に大の大人たちが叱られる光景は、さぞや周りからはいい酒の肴になったことだろう。




