平和な休日 ⑤
「疲れた……とても疲れた……」
足の感覚がない、モモ君の説教はあれからどれほど長引いたのか。
ギルドの窓から見える外の光はすでに橙色に染まっている、つまりはそういう事だ。 折角の優雅な休日が潰れてしまった。
「んもー、師匠のにぶちん! どうして分かってくれないんですか」
「分かるか、君の言い分には感情論が多すぎる……」
喋り倒して声を枯らしたモモ君が、どこかで買ってきた飲み物を持参してテーブルの対面に腰かける。
シュテル君の姿はない、あれからすぐに血相を変えたウムラヴォルフ家の門番が駆け付け、彼女を回収して去って行った後だ。
残されたのは僕らのことなど忘れたいつも通りの喧騒……
「見ろよ、あれが例の……」
「ああ、同じぐらいの子供泣かせてた……」
「なんでも痴情のもつれだとか……」
「あの年でかよ……」
違うな、全然いつも通りではないな。 耳をすませばあっちこっちで僕らの噂が駆け巡っている。
「わー、人気者ですね師匠」
「別の意味でこの街を離れたくなったぞ……だれのせいだと思っている」
「ごめんなさい、でもシュテルちゃんも星川さんも、師匠がいなくなると寂しいと言っているんですよ?」
「それが分からないんだ、なぜそこまで僕に固執する。 まだ利用価値があると踏んでか?」
「人の心はそんな簡単じゃないんですよ。 師匠は他人からの好意に鈍すぎます」
「…………そんなもの、慣れる機会もなかったよ」
1000年前の思い出は、人の悪意に塗れた記憶がほとんどだ。
スラム街の底で生き抜くためには人など信用してはいけない。 常に今日生きるための糧に飢え、余裕なんてものは微塵もない。
常に足りないリソースを奪い合い、蹴落とし、這い上がるために他者を踏みつけるある種の地獄だ。
「じゃあこれから慣れていきましょう、ちゃんと師匠が人の心を理解できるまで付き合いますから!
」
「気が長い話だな、見ての通り僕はひねくれてるぞ。 出会った人間全員敵だと思ってる」
「私もですか?」
「もちろん、出会った時から信用ならない奴だと思っていたよ」
「師匠のうそつきー」
「…………ふんっ」
やはりモモ君は嫌いだ、どう考えたって性格の反りが合わない。
人の事を師匠師匠と呼んでは付きまとってきて大変鬱陶しい、一日でも早く元の世界に送り返し、それから……
…………それから先は、僕はこの世界で何をするのだろうか。
「おぅい、そこのお二人さん。 イチャついてる所悪いがちょっといいか」
「断じてイチャついてなどいない。 ……なんだ君か、とうとう脱獄してきたのか」
「あっ、ノヴァさんこんにちはー。 ダメですよ脱獄は」
「だれがするか! 堂々とした仮出所だよ、部下も含めて全員な」
仮出所は堂々としているのか疑問だが、たしかに正式に牢から出てきたことは間違いなさそうだ。
彼の腕に装着された鉄の輪がその証拠だろう、表面には魔法による契約文が刻まれており、契約に反する行動を行えば罪人を律する作りになっている。
アストアエラ信者による相互契約の魔法か、あの腕輪がある限りノヴァは逃げる事ができない。
「親分、本当にそのガキ……いえ、姐さんが何とかしてくれるんですかい?」
「実力は申し分ないっすけどよぉ……姐さんでも手に余るというか……」
「姐さんと呼ぶな。 その様子からすると、アストアエラ教から審判が下ったようだな?」
「ああ、今日はその件で来た」
彼の罪状は一時期は死刑を宣告され、モモ君の異議によって再度の審議にかけられた。
それが今日になってやっと判決か、随分と長引いたものだ。 しかもノヴァの顔色を見るかぎり、ずいぶんな無理難題を言い渡されたらしい。
「一応聞こうか、興味はある」
「サンキュー姐さん。 それでよ、俺たちがこの街に連行された時の飛行艇は覚えているか?」
「君まで姐さんと……まあいい、覚えているがあれがどうした」
「あの時よ、ワイバーンの群れが突っ込んできただろ? 教会でも調査が行われたが正確な原因は不明ってことでな」
「…………なるほどな、話が見えてきた」
モモ君を治療するため、この街にやってきた時のことだ。 僕らは空を飛ぶ最中、ワイバーンの群れによってあわや墜落の危機に瀕した。
運が悪かった、で片付けるには異常な数のワイバーン。 聖女たちももちろん原因について調べたのだろう。
他神教であるアストアエラの力まで借りたとなれば相当だ、互いに「何も分かりませんでした」じゃ終われない。
「ワイバーンが船を襲った原因の調査と解決、それが君の免罪符となるわけか」
「そういうことだ、簡単な話だろ?」
「話だけならな、せめて解決の目星ぐらいはついているのか?」
「ああ、このギルドから見てバベルの方にデケェ山が見えるだろ? ワイバーンどもはあの山から飛んで来たらしい」
ノヴァが示した先は、たしかに僕の記憶と一致する方角だ。 だが……
「……ずいぶんと海に近い山だな」
「だから俺みたいな犯罪者にお鉢が回ってきたんだろ」
先日の幽霊船の思い出が脳裏を過ぎる。 アストアエラもアレに関わるリスクは避けたいのだろう。
おそらくノヴァの腕輪にも、いざという時に処分するための機構は仕込まれているはずだ。
ようは体のいい捨て駒にされている、ワイバーン事件の解決もできれば儲けぐらいの認識だろう。
「なら僕にできることは何もないな、万が一幽霊船とエンカウントしたら死ぬ気で逃げろ」
「……問題はそれだけじゃねえんだ」
神妙だったノヴァたちの面持ちが、より一層強張る。
その額にはじんわりと汗も滲み、世界の終わりでも知ってしまったかのように顔から血の気が引いていた。
「あの山にはな……ドラゴンが住んでいるんだよ」




