平和な休日 ④
「せんせー……」
「やあ、シュテル君。 もう出歩けるようになっておぼふっ」
食事を終え、ギルドへと戻ると、病み上がりとは思えない鋭いタックルが鳩尾へと直撃した。
危うく食べたばかりのものが飛び出すところだ、術後の経過は良好と見える。
「せんせー……わたし、治ったー……?」
「な、治ったとも……僕の調合に間違いはない……」
買い占められた薬草を回収し、シュテル君の治療を終えたのはつい先日の事だ。
結果は万全、御覧の通り睡魔もなくはつらつと運動できるまで回復している。
おそらく体内の魔石もほぼ融解しているはずだ、こうなると魔術師として末恐ろしい。
「だがまだ会話の反応が緩慢だな、後遺症か……?」
「これはねー……元からー……」
「そうかい、今日は一人か? 君の母親は?」
「おかーさんは……お仕事ぉ……」
「物騒じゃないか、次は護衛を連れてくるように。 君は貴族のご令嬢なんだぞ」
「師匠、なんだかシュテルちゃんにだけ優しくないですか?」
僕らのやり取りを黙して眺めていたモモ君がむくれた声を上げる。
どうも食事の席から変わらず機嫌が悪い、腹が膨れれば改善するだろうと思っていたが、よほどこの街を離れたくないらしい。
「べつにシュテル君を優遇しているつもりはないぞ、君もいい加減機嫌を治したらどうだ」
「せんせー……喧嘩……?」
「ああ、この街を離れると伝えてからこのザマだ。 シュテル君からも何か言ってやってくれ」
「…………えっ」
突然シュテル君の動きが石のように硬直する。
まさか魔結症の再発か、と一瞬焦ったがどうも様子が違う。 睡魔に襲われている訳でもなく、意識ははっきりしているようだ。
「…………せんせー……いなくなる、の?」
「あ、ああ。 この街でやるべきことはほとんど終えた、すぐにという訳じゃないがもうじきここを発つ予定だ」
「…………せんせー、手だして……」
「ん? こうか?」
言われるがままに両手を差し出すと、シュテル君はどこから取り出したのかその上に大量の金貨を待て待て待て待て待て。
「シュテル君シュテル君シュテル君! なんだこれ何のつもりなんだこれ!?」
「お金、あげるから……一緒にいてぇ……」
「分かった待った話し合おう、ひとまずその大金は引っ込めてくれ、こんな場所で見せる金額じゃない!」
掌に山積みされた金貨の山は、ギルドロビー中の視線を一気に集めている。
いくらかギラついた視線を送ってくるような連中もいる、とてもじゃないが気が気でならない。
「……一緒に、いてくれる……?」
「それはそれとしてだ、おいそれと大金を持ち歩くもんじゃない。 大体君は待て待て待てさらに無言で金貨を積むんじゃない結構重いんだぞ!」
「………………」
「涙目で見つめても駄目だ、駄目だってば、駄目なの! モモくーん! 助けてくれモモくーん!!」
「あーあー、師匠がシュテルちゃん泣かせたー」
「言いがかりはやめろ! シュテル君、君も困った冗談はやめてくれ」
「冗談じゃ……ないよ……?」
目じりのギリギリで堪えていたシュテル君の涙が、ついに堰を切って溢れ出す。
なぜなのだろう、彼女の症状は改善したはずだ。 依頼金のやり取りもとくにトラブルなく完了している。
親子そろって先生と呼ばれるような関係は終わっているはずだ、なのになぜ。
「師匠、やっぱり考え直しませんか? せめてもう少し時間を置くとか」
「モモ君……分からない、なぜ彼女は泣いてまで僕を引き留めるんだ?」
「師匠ってもしかして友達いなかったですか?」
「いきなりなんてこと言うんだ君は」
悲しむような、憐れむような目つきでモモ君が僕を見下ろす。
友達が居たか、だと? 何をバカな事を、1000年前のおぼろげな記憶だが、僕にだって友人の一人や二人………………
「………………」
「いないんですね、大丈夫ですよそれ以上言わなくても」
「そんな憐れんだ目で人を見るな、友人がいなかったからなんだっていうんだ!」
「友達がいなくなるのは悲しい事なんですよ、私も小学生のころに仲良しだった子が転校しちゃったので分かります」
「……大げさな、永遠に会えないわけじゃないだろう」
「でも滅多な事じゃ会えなくなりますよね、そもそも師匠はこの街にまた立ち寄る気がありますか?」
「それは……」
少なくとも今のところはない、今後は海から離れた街でモモ君を元の世界に送り返す手段を探すつもりだ。
当たり前だが街を行き来する労力だって馬鹿にならない、そうなると偶然にもシュテル君たちと再会するなんて可能性は限りなく低くなるだろう。
「シュテルちゃん、師匠の事は好き?」
「ん……えっと、えっと……」
モモ君がしゃがんで視線を合わせると、シュテル君は涙を拭って頷く。
そのまま何かを喋ろうと口を開くが、うまく言葉がまとまらないのか嗚咽が零れるばかりだ。
「師匠、そこに座ってください」
「いや、ここギルドのロビー……」
「いいから、正座」
「はい……」
「シュテルちゃんはずっと病気でした、師匠が初めてできた友達だったはずです」
「な、なるほど?」
「しかもずっと悩んでいた病気を治してくれた恩人でもあります。 シュテルちゃんにとって師匠はすごくすごい人なんです」
両手を組んでくどくどと話し続けるモモ君の背中で、シュテル君が相槌を打つ。
どうやら他人の気持ちを汲む能力は、僕より彼女の方が長けているようだ。
「そんなすごい人が急にいなくなるとすごく悲しくなるんですよ、分かりますか!?」
「語彙力!」
しかし肝心なところが要領を得ない説明だったが、なんとなく伝えたい事は分かった。
「つまり……恩を借りたままじゃ落ち着かないということか? 別にシュテル君が気にせずとも十分な謝礼は貰っているぞ」
「…………師匠、残念ですがもう少し話は長くなります。 正座続行で」
「どうして」
そこから宣言通り、モモ君の説教は足の感覚がなくなるまで続いた。
さぞや周りの冒険者たちには奇異の目を向けられたことだろう。 ああ、これでまた明日から新しい噂が広まっていくのか。




