ウムラヴォルフの真相 ⑤
「…………」
噛み締めるように本を閉じ、台座へと戻した手には嫌な汗が滲んでいた。
綴られた内容は、後半に向かうほどひどい乱文だった。 それでも書き手の執念が伝わって来る。
「……この記述は信ぴょう性があるものなのか?」
「幽霊船の性質については裏付けができません、なにせ近づいたものは皆死んでしまうもので」
「それもそうか、つまりこの本はただの狂言という可能性もあるな」
「その通りですね、しかし――――このアルデバランには、街を斬り落とされた形跡がございます」
「…………なんだと?」
台座に戻した本を再度手に取り、該当の記載があるページをめくる。
たしかに幽霊船から剥がれた呪いの一部を回収した結果、汚染された街を半分以上切り落としたという記載はある。
まさかこの「切り落とした」というのは比喩表現ではなく、物理的に呪われた土地を切除したと?
「あー……分かった、そろそろ僕の理解力が限界を超えそうだ、その話はいったん置いておこう」
「そうですか、ほかに聞きたい事はございますか?」
「君はどうしてここまでウムラヴォルフの内情に詳しい? 失礼な話になるが、第八夫人という末席の立場が握っていいような情報じゃないだろ」
第一夫人と第二夫人が派閥を作り、争いながらもその全貌を掴めていなかった幽霊船という怪物。
その真相にただ一人で気づき、こうして秘匿の地下室まで抱えている彼女の立場が、不思議で仕方なかった。
「調べましたの」
「調べたぁ?」
おもわず間抜けなオウム返しになってしまったが、夫人はまるで気にした様子もなく微笑む。
そして混乱する僕とは対照的に、彼女は「当たり前のことでしょう?」と言わんばかりに小首を傾げてみせた。
「先生、あなたは恋をしたことがありますか?」
「いいや、あいにくそんなものとは無縁の人生だったよ」
「そうですか、ではいつか恋する時に分かります。 好きな人のことは、何でも知りたくなるものです」
頬を高揚させたその姿は一児の母などではなく、まるで恋する乙女のような幼さが垣間見えた。
「私、夫を愛しているんです。 だから独力で調べました、好いてもらえるように。 そうしたら彼の方からアプローチを貰って、こうして夫婦となったのです」
「…………そっかぁ」
嬉々として語る彼女の様子は、とても演技だとは思えない。
よくもまあ社会的に抹殺されなかったな、とか。 貴族が全力で秘匿するようなものを暴く調査能力はなんなんだ、とか。 いろいろとツッコミたい気持ちはやまやまだったが、口に出す気力はなかった。
げに恐ろしきは恋する乙女の爆発力、か。
――――――――…………
――――……
――…
「……あっ、遅いじゃないですか師匠ぉー……って、なんだかメチャクチャ疲れた顔してますけど」
「ああ、色々とな。 それよりずっと待ってたのか、先に朝食にしてもよかったんだぞ」
疲労困憊でギルドに戻ると、腹を空かしたモモ君が机に突っ伏して待っていた。
既に時刻は朝食時を大きく逃している、彼女の燃費を考えれば胃の中はとっくに空っぽだろうに。
「良いんです、私が師匠と一緒に食べたかったので!」
「なんか俺が邪魔してるみたいで悪ぃな」
「そうだな、帰れ」
「言われると思ったよ!」
なぜか同じテーブルを囲んで座っているノヴァを無視し、空いてる席へと座る。
釈放されているような面をしているが、こいつは沙汰を待つ身のはずだ。 一緒に食卓を囲むような間柄じゃない。
「ノヴァさんはロッシュさんからおつかいを頼まれたんですよ、私達あてに」
「そもそもあんたに教え乞いてる身なんだからよぉ、ちったぁ優しくしてくれてもいいだろ……」
「悪いが一人も弟子を取ったつもりはない。 で、聖女様に何を頼まれてきた?」
「せんせ……それ、わたし……」
ノヴァの無駄にデカい背中からひょっこり顔を見せたのは、今回の事件最大の被害者であるシュテル君だった。
昨夜の出来事から、彼女は念のためアスクレス教徒たちの診察を受けていたのだが、どうやらそれも終わってノヴァと共に送り届けられたのか。
「おう、あとこいつだ。 薬草の詰め合わせだけど何に使うんだ?」
「ああ、わざわざ用意したのか。 うん、材料も足りているな」
ついでとばかりにノヴァから渡された麻袋の中には、何種類もの薬草が小分けにされて詰め込まれていた。
これらはすべてシュテル君の治療に必要なものだ、一つの欠けもなく量は十二分。 1~2回失敗してもあまりある。
「いやあご苦労、朝食はまだだったか? よければシュテル君も一緒にどうだ」
「ん……たべる……」
「俺に比べて扱いがまるで違うよなぁ!?」
「まあまあ、ノヴァさんも一緒に食べましょうよ。 というわけですみませーん! メニューのここからここまで全部大盛りでください!」
「モモ君、依頼の報酬はまだ入ってないんだからな?」
まあ、モモ君もモモ君なりに頑張ったのだから今回ぐらいは大目に見るか。
苦労の後には労いも必要だろう、しかし食材の備蓄は足りるのだろうか?
「師匠はなに頼みます? あっ、この辛々チキンっていうの美味しかったですよ」
「辛いのは好かない。 僕は軽食をつまむだけで足りるよ、そのあと仮眠をとってからシュテル君の治療に入る」
「えー、もっと食べないと大きくなれないですよ?」
「大きなお世話だ、君こそそんなに食べたら太るぞ」
「うわーデリカシー! どう思いますノヴァさん!?」
「いやこっちに振るなよ、師弟同士で好きにじゃれ合ってろ」
「弟子じゃない、モモ君が勝手に名乗ってるだけだ」
「せんせ……もっとたべよ……?」
「シュテル君まで言うか……!」
ギルドの一角で囲まれた賑やかなテーブル、しかしこの騒々しさも周囲の喧騒に比べれば些細なものだ。
昨夜の出来事に対する不安や混乱もなく、今日もアルデバランは昨日と変わらず活気に満ちている。
この中に城壁の向こうで待つ真相を知るものがどれほどいるのだろう。 そして、知ってしまえばどれほどの人間が今のままでいられるのだろう。
今日この日が、薄氷の上に建てられた平和であることを噛み締め、飲み下す。
知るのはアルデバランの聖女と、ウムラヴォルフ、それに自分を含む限られた人間だけだ。
知るな、見るな、近寄るな。 今日も閉ざされた海の向こうでは、呪われた船が漂っている。




