ウムラヴォルフの真相 ④
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知るな、見るな、刺激するな。
アレについて我々ができる事は非常に限られている、決して手を出すな。
お前がどんな情を懐こうと、数多の命を犠牲にしていい理由にはならない。
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「――――……」
数ページにわたって書きなぐられた文字は、はっきりと読み解くことができる。
そして石板のものとは違い、読めるからこそ書き手の激情も伝わって来た。
怒り、後悔、懺悔、挫折、文字に込められているのは数えきれないほどの負の感情だ。
一部のインクが滲んでいるのはおそらく涙だろう、きっとこの書き手は……「失敗」したのだ。
「……この本はいつごろ書かれたものなんだ?」
「100年以上は昔のものです。 保存の術式が刻まれているため、新品同様の姿を保っておりますが」
「そのようだな、丁寧な仕事が施されている」
触れて初めて気づくほどの微細な魔力反応、表紙に彫り込まれた魔法陣によってあらゆる汚損からこの本を保護しているのだろう。
こんな状況でなければぜひとも引っぺがして構造式を調べてみたいが、著者の無念を考えればそんな真似は出来ない。
僕にできる事はこの本に遺されたものを引き継ぐだけだ。
ここから先は敬意をもって読まねばならない、幽霊船に狂ったこの書き手の執念を。
――――――――…………
――――……
――…
ウムラヴォルフの人間よ、我々は失敗したのだ。
アレは悍ましき人の業だ。 沈める事も、救うことも許されない。
幽霊船とはすなわち呪いの蟲毒だ。 関わればお前も呪いの渦中へと巻き込まれる。
だから、知るな、聞くな、刺激するな。
アレについて我々ができる事は非常に限られている、決して手を出すな。
お前がどんな情を懐こうと、数多の命を犠牲にしていい理由にはならない。
私が確認した限り、幽霊船の外見はその名の通り「船」そのものだ。
絶え間なく触手のようにのたうつ呪いの塊に目をつむれば、一般的なガレオン船と思ってくれて構わない。
だが内部空間はもはやどうなっているのやら、乗り込んで調べようにも生きて帰れるわけがない。
それでも恐ろしい事に、あの船の中には夥しい数の人間が蠢いているのだ。
言葉を介する、反応がある、苦痛に対する感覚ももっている。 だが決してあれらを生きてるものと考え、救おうとしてはならない。
幽霊船が振りまく呪いは伝播する、接触した人間はもう助からないものと思え。 たとえそれが血を分けた家族であろうとも。
意識がある様に振る舞うが、被害者にはもう人間としての尊厳は存在しない。 四肢と脳と心臓を潰してなお動く肉塊に、人間性などないのだ。
この呪詛は非常に強力だ、聖女・聖人クラスの魔法使いでなければ中和することすらできない。
幽霊船以上の呪詛となれば、それこそ邪神の加護でもなければありえない。 アレの存在はそれほど異常なのだ。
自然発生したものとは到底考えられない、幽霊船とは人為的に造られた呪いだと私は考える。
しかしウムラヴォルフに集積された歴史をいくら辿ろうとも、答えを見出すことは出来なかった。
ただただ我々は「彼奴の情報を秘匿し、監視すること」を代々使命として与えられてきた、それ以上の詳しい説明もなく。
私はそれが納得できなかった、抱えた爆弾を投げ捨てるでもなく、いつ爆発するのか観察し続けるようなものではないかと。
だから私は無知蒙昧な正義に駆られ、あの呪いに囚われた人間を解放したいなどと考えてしまったのだ。
結果として、私は失敗した。 汚染された街を半分以上切り落とし、海に沈めたのがその代償だ。
運悪く船から剥離し、海岸に漂着した呪いの断片を治そうと思ったのが全ての間違いだったのだ。
知るな、見るな、刺激するな。 幽霊船に在るのは悪意だけだ。 アレは人間の「善性」を喰らい尽くすのだ。
何かを信仰し、赦し、愛し、笑う。 そんな人間にとって当たり前の優しさを簒奪し、搾りかすを手足として運用している。
そして人としてあるべき善性をすべて奪われたもの――――ただただ純粋な呪いしか残らない。
あれはこの世で最も悍ましい呪詛だ、内部では常に善性を奪われたヒトだったものたちが互いを呪い、蔑み、殺し合いながらかすかに残った善性を喰らい合っているのだろう。
純粋な悪意だけで研ぎ澄まされた呪いは、もはや人間の手でどうにかなるものではない。
我々は失敗した、そして今後成功することは一度たりとてありえない。
だれが何のためにあんな邪悪を組み立てたのかなど、些細な問題だ。
人類が二度と海を取り戻すことはなく、大陸を超えた航海などできない。 それだけ覚えて、そして震えて生きろ。
ウムラヴォルフのものよ、それかいつか我々が滅びたあとにこの本をめくるものよ――――ただただ、諦めろ。




