災厄 ⑤
「聖女、来たぞ。 時間はあるか?」
「ないですぅ……」
「そうか、邪魔するぞ」
「ないんですぅ……」
事件から一夜明け、緊急対応のために建てられたテントの中、聖女はお付きのゴーレム共々紙束に埋もれていた。
紙の書類は部下たちの調査や街の被害報告、それに関係各所への連絡・許可承諾書の山だ。
昨夜の出来事は与えられた権力をかなり無茶な形で振り回したのだろう、ツケが回って来たと考えればこのグロッキーも仕方がない。
「不眠も疲労も治してしまえばいいだろ、精神的な摩耗は防げないだろうけどな」
「私利私欲で魔法を扱うのは教えに背くので……」
「君も不器用なものだな、多少は妥協を覚えてもいいだろうに」
「うふふ、無茶をしているのはお互い様でしょう?」
「…………」
聖女が手に持っていた羽ペンを置き、書類をかき分けてゆっくりと背伸びをする。
「ん~~~……! ……ふぅ、少し休憩にしましょう。 というわけでライカさん、脱いでください」
「いきなり何を言い出すんだ君は」
「失礼しました。 上着だけで結構ですよ、痛むのでしょう?」
「……この程度、かすり傷にも入らないだろうに」
どことなく有無を言わせぬ聖女の圧に折れ、羽織っていた防寒具を一枚脱ぐ。
聖女は相変わらず瞳を閉じたままだが、一頻り僕の体を嘗め回すように確かめると、何かを確信したのかうんうんと一人で頷いていた。
「やはりそうですか。 ライカさん、あなたは魔力の放出が苦手なのですね」
「……得手不得手の問題じゃない、こればかりは生まれつきの問題だ」
魔術を扱うために重要なのは、魔力の貯蔵・制御・放出のバランスが必要になる。
僕の場合、魔力を放つためのパイプが他人よりも細く、脆いのだ。 そんなものに無理矢理過剰な魔力を流せば、肉体が内側から壊れてしまう。
大規模な術を行使できず、長期戦に耐える体力もない。 魔術師として恥ずべき欠点だ。
「申し訳ありません、わたくしがすぐに治療できればよかったのですが」
「なに、君は君で手が離せない状況だから……おい言ってるそばから勝手に治すな、治療を頼みに来たわけではないぞ」
会話の最中の片手間に、聖女は祈りを済ませていたようでいつの間にか内臓が焼けるような疼きは鳴りを潜めていた。
一時的な応急処置だろうが、それでも恩を推し売られているようで落ち着かない。
「では、なんのために?」
「幽霊船について聞きに来た、君はアレの正体を知っているのだろう」
「……煌帝」
『あい分かった』
聖女が促すと、書類に埋もれていたゴーレムがテントの外へ出て行く。
軽く人払いをするつもりか。 テントの中には今、僕ら2人以外の姿はない。
「……さて、魔法には大きく分けて二つの種類があることはご存じですね」
「聖と邪、他者へ手向けるものが祝いか呪いかの違いだろう」
「さすがですね、その通りでございます。 幽霊船とは、呪いに分類される存在です」
「それは分かる、分かるが……何がどうしてあんなものが生まれた?」
僕らが戦ったのは小さな穴から飛び出したほんのわずかな触手。 「船」と形容される全長ならば、爪先程度のサイズだ。
それだけでも触れるだけで人を悍ましい形へ変容させるほどの呪い、とても自然発生したものとは思えない。
仮にもし邪教徒が生み出したとしても、並大抵の手段では不可能に等しい。
魔法を起こすためには儀式的な手順が必要になる。 規模が大きくなるほど、無論儀式手順も大きく、複雑になるものだ。
幽霊船の呪詛を再現するならば、この街一つを贄として食い潰してもまだ足りない。
「それがー……分かりません」
「はぁ?」
「発生原因は不明です、ただいつの日にか海にポツンと現れ、出会う人間をすべて汚染していきました。 そこに意思や感情があるのかさえ不明です」
「突然、海に……まさかあの城壁は」
「ええ、海との接触を避けるためです。 沿岸に位置するコミュニティならば、皆同じように壁を建てているはずですよ」
「……そこまでして恐れなければならない相手なのか?」
「ええ。 海への出航は命がけです、幽霊船によって人類は海を失ったといっても過言ではありません」
昨夜の出来事を思い返せば、たかが船一つでと笑い飛ばすことはできない。
もしもシントゥの発見が遅れれば、肉塊による被害は人から人に伝播し、この街が滅びていたかもしれない。
海上という逃げ場のない場所で襲われ、その船員すべてが陸地に着岸したらどうなるか――――考えるまでもない。
「だが解せない、それほど危険な相手ならアルデバランにこだわる必要も――――いや待て、君はまさか……」
「うふふ、察しが良いですね。 おそらくご想像の通りでしょう、祝いと呪いは相反する関係、たとえ呪われた身でも神の祝福があれば中和が可能です」
この目で実例を見た。 奇怪な肉塊と化したシントゥを、彼女は祈ることで治したのだ。
聖女の魔法ならばある程度は幽霊船の呪詛に抗えるならば、彼女を最前線に配置することで内陸部への侵攻を食い止めることができる。
「この街はいざという時の防波堤、そして私はそのための人身御供なのです」
聞かなければならない話だった、だが聞かなければ良かった。
なんともまあ人の考える事とは、呪いなんかよりもずっと醜いじゃないか。




