災厄 ④
「も、もう平気なんですか? さっきみたいに突然動きだしたりとか……」
「大丈夫ですよ、四方をわたくしの魔法で覆っております。 それにライカさんも次善の策を備えているかと」
「過信はするなよ、絶対安全とは言い難い。 それでここからどうするつもりだ?」
さんざん手を煩わせてくれた肉塊は今、氷瀑から切り出され、聖女の魔法に包まれ隔離されている。
現状は自傷させたおかげで攻撃の矛先は僕らへと向けられていないが、下手に「処分」しようとすればどんな反撃が飛んでくるか分からない。 目に見えた地雷だ。
「……もともとは人間だったんですよね、もとには治せないんですか?」
「難しいだろうな。 余計な手出しはせず、氷漬けの触手ごと向こうに押し込むのが一番だ」
「はい、では浄化を試してみますね」
「治せるのか……」
「試してみるだけです、それにシントゥという人間はもう――――亡くなっています」
少し物哀しげにつぶやくと、彼女はゆっくりと祈りの所作へと入る。
これまで何度も見せた簡易的なものではなく、片膝をついてやや本腰を入れた祈りだ。
「“天に降ります我らが神よ、どうか苛まれし者に安らぎを。 あらゆる罪過にひと時の許しを、どうか最期に一縷の安寧を――――”」
「……綺麗な祝詞だな」
やっかみなどではなく、自然と言葉が口から零れていた。
聖女の所作には余計な邪念はなく、周囲に満ちる魔力も一切の淀みがない。
自業自得の最期を迎えたシントゥに対し、彼女は本気で安らかな終わりを祈っているのだ。
そして献身に応えるかのように周囲に満ちた魔力は光の粒子へと姿を変え、氷漬けの肉塊へ吸い込まれていく。
念のため身構えていたが、どうやら聖女の魔法は攻撃として認識されていないようだ。 肉塊は反撃の兆候を示さず、次第に痙攣も鈍化していく。
やがて、その形も変容していき……氷漬けの肉塊は、一人の華奢な少女の遺体と相成った。
年齢はモモ君と同じぐらいだろうか。 ぼんやりと開かれた目には光はなく、だらりと弛緩した四肢に活力が戻ることは二度とない。
赤に近い橙色の長髪は「まだ死にたくない」と言いたげに、燃えるような色で輝いている。
……そうか、これがシントゥという人間だったのか。
「……まだ近づかないでくださいね、呪詛が全て中和できたわけではないので」
「ああ、分かっている。 モモ君も僕より前には出るなよ」
「は、はい……それでこの遺体は……」
「我々のやり方で弔うことは難しいですね、このまま海へ流して水葬とします。 せめて安らかに眠ってくれることを祈りましょう」
「そう、ですか……大丈夫ですよきっと、ロッシュさんのお蔭で体も元通りになったんですから!」
「方針が決まったらさっさと行動に移すぞ、まだ触手も残っているんだ」
肉塊こそ聖女の力でなんとかなったが、元凶は浄化の力もさほど効いていないようだ。
氷漬けのままだというのに、見ているだけで胸の内から嫌なざわつきがこみあげてくる。 一刻でも早く城壁の向こうへ押しやるべきだ。
「たしか幽霊船と呼んでいたが……船なのか、これが?」
「いいえ、この触手はほんの一部です。 煌帝、動きが鈍い今のうちに」
『あいやお任せあれ! では各々方、少し下がってほしいでござる』
「今度は一体何をするつもりだ……?」
言われた通りに数歩下がって様子を見ていると、触手と共に氷の中へ閉じ込められていたゴーレムがゆっくりと動き出す。 駆動の熱で周囲の氷を溶かしているのか。
そして遅々とした動きで触手に掴みかかった――――ゴーレムの目から放たれた光線が触手を焼き切った。
「び、び、ビームだー!? かっこいー!!」
「いや、そんなものがあるなら最初から出せ!」
『いやはや、確実に当てねばまた模倣されてしまうでござるよ。 これでようやく一件落着でござる……っと!』
光線の直撃を受けた触手は体積の半分以上を失い、完全に弱り切っている。
あとはゴーレムの馬力があれば簡単だ、肉塊ごと押し込んで城壁を閉じ……僕たちの死闘はようやく終わりを告げた。
「……隙間から這い出てくる、なんてことはないよな?」
「ええ、壁さえ閉じてしまえば問題ありません。 そもそもアレが這い出てくることすら不幸なイレギュラーですから」
「よ、よかったぁ……これで終わったんですね」
「いや、まだだ。 ウムラヴォルフ家の事後処理が残っているぞ、コズミキの行方も不明だ」
「町の被害状況と周辺住民の安否確認も必要です、こうなると徹夜ですね」
「ひ、ひえ~……」
その後、僕らは汚染地域の確認から、突然の避難指示にパニックを起こした住民の治療にいたるまで、聖女の指示の下でこき使われる羽目になった。
当然相応の報酬は要求し、肉体労働はモモ君が張り切ったおかげで片付ける事も出来たが、まだ心の中にはもやが残る。
ゴーレムが閉じてから城壁を超えて触手が飛び出すことはない、それでもあの向こうに在るものを知ってしまったからには、穏やかな気分ではいられなかった。
「それにしても師匠、あの触手をギュルンってしたやつはどういう魔術なんですか? すごかったです!」
「ん? ……ああ、最後のあれか。 奥の手だよ、誰にも見せるつもりはなかったが」
「それでも見せないと危ない相手だったってことですね、本当に何だったんでしょうか……」
「さあな、ただ僕たちの知らない何かがこの街にはあるって事だ」
すでに夜は空け、聖女に依頼された仕事も終わった。
このままシントゥたちの屋敷に調査の手が入れば、滞っていた薬草も無事に手に入ることだろう。
つまり僕が抱えていた問題の半分以上は解決したわけだ。 聖女を問い詰め、あの城壁の向こうに閉ざされたものの正体を聞く余裕はある。
「聖女様は何を知っているのか……そして、何故シントゥは壁の向こうに在るものに接触しようとしていたのか」
ここまでかかわった以上、知らねばならない。
だが知ってしまえばきっと、二度と後戻りできないのだろう。




