災厄 ①
「どうだモモ君、魔術による初飛行の感想は」
「乙女として大事なものが全部口から飛び出しそうです……」
師匠の手を借りた飛行体験から5分、だけど体感的には5時間以上。 すでに私はかなりグロッキーだった。
師匠はすごい、こんな絶叫アトラクションを涼しい顔して乗りこなしているのだから。 自分の意志とは関係なくあっちこっちに身体を揺さぶられる感覚はそう慣れるものじゃない。
「そうか、シュテル君にはひっかけるなよ。 それといい知らせだ、目的地が見えて来た」
「あぁ……そういえば港ってどんな感じなんですかね……あれ?」
そういえば私達はアルデバランに到着してから、海を見たことがなかった。
飛行船でのドタバタもあり、ぐったりしている間に船は着陸、それから街の中に入ってから海に近づく機会もなかった。
だからこうして上空から見下ろして初めて気づいた、この街には港なんてものはないと。
「あれ、壁……ですよね、師匠?」
「ああ、ぱっと見た限り出入り口も無い。 少なくとも船が通り抜けられるような造りではないな」
アルデバランをぐるりと囲う城壁は、海と隣接する部分すらもきっちり分厚い壁で覆っている。
まるで街と海を完全に断つように、だ。 師匠の言う通り、あれだと漁に出る船も通れない。
「お二人とも、これ以上は危険ですのでもう少し高度を落としましょう」
「危険ってなんだ、いい加減話してもらえないか?」
「“船”に見つかります、そうなれば命はないと思ってください」
「船……? 海賊船か?」
「ふふ――――そんな可愛いものならどれだけよかったでしょうかね」
――――――――…………
――――……
――…
失敗した、失敗した、失敗した、時間切れだ。 クソクソクソクソ、あの末席のどこにアルデバランの聖女まで動かす力があった?
もはや小娘の始末なんてどうでもいい、いやあの聖女が絡むなら殺せるわけがない。 敵味方構わず生かすあのイカレ女なら、私の愛しいカシーニすら捕らえられているはずだ。
「なんで、なんで……どうしてこうなったのッ!!」
眼中にない羽虫だった、邪魔さえしなければどうとでも処分できるはずの小さなシミ。
あとはウムラヴォルフの相続権はコズミキのデブ女を蹴落とし、私が勝ちとるだけの作業だったのに。
いや、まだだ。 まだ終わっていない、私が「あの力」を握ってしまえばこんな状況、いくらでもひっくり返せる。
街を囲う防壁にはいくつか穴がある、緊急時に聖女たちが出入りするための小さな穴。
本来ならば一般人が知る由もない抜け道、しかし私は知っている。 “船”へ繋がるための唯一の道を。
『いたでござるいたでござる! あいやそこのご婦人、神妙にいたせ!』
「っ……!」
まずい、もう見つかった。 今捕まったらすべてが水の泡だ。
こんなところで終わるのか? 目的は目と鼻の先だというのに、この私が無様な最期を遂げるというのか?
「ああ……ああああああ゛あ゛!!! クソクソクソクソッ!!! テメェら全員、クソどもめ!!!」
片足に集めた魔力を無理矢理放出し、自分の肉体を前方へ押し出す。 ああ、こんなことなら魔術も真面目に身に着けるべきだった。
嫌な音が鳴り、焼けた鉄を突っ込まれたかのような激痛が足に走る。 おそらく肉が全部削げた、だがこんなものくれてやる。
これでギリギリ城壁に届く、こうなったら私の勝ちだ。
「どこだ……どこ? どこどこどこ……!」
凹凸のない壁の表面を爪でひっかき、扉のとっかかりを引っ張り出す。
普段なら聖職者どもしか通れない道だが、「合鍵」はすでに作ってある。
分厚い石の壁に光る線が走り、正方形に区切られた箇所がスライドして人1人分の出入り口となった。
ああ、潮の風とはこんな匂いなのか。 海の空気はこんなに冷たいのか。
「待ちなさい、その先に進めばあなたの生存が保証できません!」
感傷に浸る暇もなく、後ろからは追手が迫る。 だけど間に合った、私の勝ちだ。
「ハハハ……! バァカ、一生言ってろクソ聖女ッ!!」
―――――ずるり
「ハハ…………はっ?」
全身の肌が泡立つような不快感に撫でられ、私の心臓は痛いほどの早鐘を打ち始めた。
それを形容しようとするなら、「触手」だった。 輪郭のぼやけた、闇よりも黒い触手。
私が開けた出入り口の向こうから伸びたその手が、私の頬に触れそうな距離まで伸びていたのだ。
「ひ……はっ……き、来た……っ!」
かってになみだがあふれる、身体の震えが止まらず、歯の根が合わない。
ただそこに在るだけだというのに、圧倒的な嫌悪と恐怖。 すぐ後ろに迫る聖女とは真逆の圧倒的な呪いの塊。
これか、これこそがウムラヴォルフ家が隠し続けて来た力……!
「ね、ねえ助けて! 私を助けなさい、ウムラヴォルフ家の人間よ!? 私の言う事を聞Ke ぺ あ p@え 」
――――――――…………
――――……
――…
「…………なんだ、あれ」
『ライカ殿、先に申しておくがあれは夢や幻覚などではない。 そして決して某より前に出られるな、たとえ髪の一片でもあれに触れれば終わりと心得よ』
目前に立つゴーレムの忠告を聞いてもなお、目の前で起きたことが信じられなかった。
僕らは逃走するシントゥらしき人物を見つけ、この城壁の前まで追いつめていたはずだ。
しかし彼女は何らかの仕掛けを動かし、城壁を開いてさらにその向こうへ逃げようとした。
だが、開いた壁の向こうから伸びた黒い「何か」に触れた瞬間、彼女は人間としての原型を失った。
「ろ、ロッシュさん……あれ、あの人……生きて、いるんですか……?」
「いいえ、ああなっては死んだものとして扱います。 もはや神だとしても彼女を救うことはできません」
黒い何かに触れたシントゥは、一瞬で黒ずんだ肉のオブジェへと変容したのだ。
まるで子供の粘土細工だ。 目、鼻、口、髪、人間としてあるべきパーツの配置が滅茶苦茶にとなり、大きさや形も歪としか言いようがない。
時折むき出しになった筋肉が痙攣しているのは、ただの反射反応だと信じたい。 あれはもう、死んでいる方がマシだ。
「ライカさん、状況は最悪へと変わりました。 申し訳ありませんが手をお貸しください、私は責任をもってあの蓋を閉じなければならない」
「聖女、あれは……あの黒いものは一体何なんだ?」
「……あれはアルデバランがこの場所に建てられなければならなかった理由、人類を海から切り離した災厄の一つ――――我々はあれをただ“幽霊船”と呼んでおります」




