ドクターストップ ⑥
「―――――えっ?」
突然、視界が真っ黒に染まり師匠の姿が消えてしまった。
一体何が起きたのだろう、そんな事を理解するよりも早く私を襲ったのは、溺れるような息苦しさだった。
「ガハッ……!? な、にこれ……!」
息ができない、口からは空気が零れるばかりで吸い込むことができない。
ここはどこだ? 少なくともさっきまでいた草原じゃない、何があったのか思い出せ。
たしか師匠が地面に飲み込まれかけたあと、私はシュテルちゃんを連れて……
(……シュテルちゃん!!)
そうだ、私も師匠と同じく“なにか”に飲み込まれたんだ。
だとしたらシュテルちゃんも一緒に飲み込まれているに違いない、そう離れてはいないはずだ。
空気が足りない中、遠のく意識を必死に起こして辺りを見渡すと……ほんの一瞬だけ光った刃が、私の鼻の先まで迫っていた。
(――――んぎぃッ!?)
「…………っ!?」
迫るナイフの刃を咄嗟に噛みついて受け止める、いつもちゃんと歯磨きしていてよかった。
そして気づいた、誰かがいる。 シュテルちゃんじゃない誰かが、私たちを殺すつもりで襲ってきているんだ。
「ふんぎっ! 誰ですかがあなたガバボベバァ!?」
「チッ、バカ力のバカ女が……!」
噛んで止めた刃を首の力だけで強引にへし折り、喋……ろうとして空気が無かったことを思い出した。
残り少ない酸素が全部口から零れて、ナイフを持っていた敵も悪口を吐き捨て、気配が遠ざかっていく。
追いかけたいけど身体がうまく動かない、ドロドロの水がまとわりついているようで足が前に動いてくれない。
「まあいい、狙いのガキはすでに……」
「ま、待って……!」
駄目だ、シュテルちゃんが攫われる。 このままじゃ逃げた犯人の跡を追う事も出来ない。
せめて何か、手掛かりの一つでも残さないと――――
「……“起きろ――――全部、根こそぎ”ッ!!」
――――――――…………
――――……
――…
「ガハッ! ゲホッ、ゴホブェホウェッホ……! ハァー……! あ、ありがとうございます師匠ぉ……」
「喋るな、ゆっくり呼吸を整えろ」
か細い声を頼りに見つけ出したモモ君は、息こそ絶え絶えだがこれといった外傷はない。
幸いと言えば幸いだが、これはまるで溺死寸前だ。 もうすこし対処が遅れていたら、本当に死んでいたかもしれない。
「ししょ、でも……ハァ……シュテ……ちゃん……!」
「分かっている、全滅しなかっただけ僥倖だ。 君は休み……」
「――――“指”……仕掛けて……ハァ……おきましたぁ……!」
「……ほう?」
まだ呼吸が荒い中、モモ君は人差し指を立てて何かを伝えようとしている。
この状況、そして「指」……彼女が示そうとしているものは十分に理解できた。
「でかしたぞモモ君、あとは任せ……っ」
「師匠!? ち、血が……」
再び風の魔術を籠めて飛ぼうとした身体に激痛が走り、口の端から鮮血が零れる。
別に敵の攻撃を喰らったわけじゃない、これはただガラクタの身体に反動が来ただけだ。
脱出のために風魔術を暴走させたあれが悪かったか、だがまだ限界には程遠い。
「気にするな、盛大に舌を噛んだだけだ。 敵はどこに行った?」
「で、でも無茶してるんじゃ……」
「今は問答の時間すら惜しいんだ、答えてくれモモ君」
「……分かりました、私が師匠を抱えて行きます!」
「おい、待て。 君だって死にかけたのを忘れたか」
「師匠は力を温存してください、それに位置が分かるのは私ですからこっちの方が早いです!」
すると十分息を整えたモモ君は、反論の隙も与えず僕を抱え、霜が降りた草原を駆けだす。
その走りに迷いはない、彼女の「指」は正確に逃走者を追跡しているようだ。 いちいち僕に伝えるラグも無い、この速度なら追いつくのもそう難しくはないだろう。
「……まあいい、だが敵の攻撃には気を付けろよ。 もう一度飲み込まれたら次はない」
「それは師匠ならなんとかしてくれると信じてます! というかすでに正体に気付いちゃったりは?」
「予想はついているが、確実ではない。 だから決して油断はするなよ」
――――――――…………
――――……
――…
「クソッ、なんだあのガキどもは……!」
女子供を殺すだけの簡単な依頼だと軽く見て引き受けたのが間違いだった、こんなもの割に合わない。
歯で特注のナイフをへし折る女に、私の固有魔術を強引にひっくり返すガキだ? バカバカしい、相手していられるかあんな化け物。
……本当に目標があの二人でなくて助かった、命がいくらあっても足りる気がしない。
私の仕事はただ、小脇に抱えたこのガキの始末だけだ。 自分が殺されるとも知らずに、呑気に寝息を立てている。
だがここで殺すのはまだ早い、あの護衛どもを振り切ってからじゃないと安心できない。 依頼主の屋敷まで戻れば安心――――
「――――ちょっと待ったぁー!!」
「んなっ!? もう来たのかよッ!!」
まずい、“潜る”か? いや、また地面をひっくり返されたら生き埋めの危険もある。
迎撃? それこそ無理だ、そもそも暗殺のつもりでろくな装備も持ってきていない。 唯一の武器はさっきへし折られた。
悩む間にも後ろの気配はどんどん近づいて来る、逃げ切ることは出来ない。 ならばいっそ……
「……う、動くな! このガキがどうなってもいいのか!?」
身体を反転し、折れたナイフをガキの喉元へ当てて人質にする。 あの二人はこのガキの護衛だ、こうすりゃ下手に手は出せない。
そして予想通り、さっきまでの勢いはどこへやら、ピンク髪のガキは悔しそうな顔で足を止めた。
抱きかかえた銀髪のガキはなぜか流血しているようだ、ならあとはどうにか隙をついてこいつの首を掻っ切って逃げ切れば……
「……ふぅん、女の暗殺者か。 僕が言えた義理ではないが、意外な正体だな」
「う、うるさい! 私のことは関係ないだろ、下手な動きを見せたら殺すぞ!!」
「下手な動き……寝ぼけているのか? しっかり“起きろ”よ、それは悪手だ」
「なにを言って――――」
私の言葉を遮るように、バキリと何かが折れる衝撃と熱い痛みが腕に走る。
何かされたと察し、反射的に首に当てたナイフに力を籠め……られない。 腕が、動かない。
気が付けば私の腕は、地面から伸びた幾本もの霜の槍に貫かれていた。
「い、ギ……ッ!?」
「おっと、下手な真似はするなよ。 言っておくが影に潜るなんてもってのほかだ、魔術の予兆を見せれば首を刈る」
ああ駄目だ、詰みだ。 私の奥の手すら見通された。 魔術の一言でも呟けば、その瞬間に私の頭が吹き飛ぶと理解させられる。
星明りを受けて佇む銀の少女が、私には悪魔にしか見えなかった。




