ドクターストップ ⑤
「さて、姿が見えれば終いだな。 お得意の水芸はここまでだ」
『バカな――――ガハッ!?」
「ああ、その拡声魔術ももう結構だ。 耳障りなのでね」
ズンと重い音が鳴り、師匠の放った空気弾がカシーニさんのお腹にめり込んだ。
間違いないクリーンヒット、喰らった本人も身体をくの字に折って後ろに飛んで……いかない。
よく見ると彼の足元はくるぶしまで泥に埋まり、しっかり凍っている。 師匠、鬼だ。
「足の肉を置いて行く度胸があるなら逃げて良いぞ、ついでに命も貰っていくがな」
「ふふ、ふ……手厳しいな、レディ。 実力を見誤った私の負けか……」
「それ以上余計な事を喋ると次は風穴を開けるぞ、打開策を練る暇は与えない」
「師匠、殺すのは駄目です!」
「そうだね、私になにかやらせたい事があるから生かしているのだろう? この麗しきカシーニ、その名に反して生き汚さは一級品だ、交渉しよう」
「…………ふん、モモ君に感謝することだね」
師匠が纏っていた冷たい雰囲気が消え、代わりにカシーニさんの足を拘束する氷が膝の上まで登って行く。
がっしりと固まった厚い氷はちょっとやそっとじゃ抜け出せない、師匠はあくまで逃がすつもりはないらしい。
「君が保持している薬草を引き渡せ。 処分するのも困る量だ、どこかで保管しているのだろう?」
「……引き渡すというのは、無料で?」
「イヤだというなら首を縦に振るまでその顔面をシバき続けようか」
「快く引き受けよう、か弱きレディに毒を盛るのは流石の私としても心が痛んでいたのだよ」
「ははは面白い冗談だ、一発だけ殴っていいぞモモ君」
「待ちたまえ、話せばわかる!」
「ウオー! どの口が言うんですかあなたはー!」
「待て待て待てちょっと待てブベェラ!!?」
師匠に許可を貰ってカシーニさんの頬にビンタをかます。
バチンと景気のいい音を立てた頬は、あっという間に手のひら型に赤く腫れあがる。
殺すのは駄目だ。 それでもシュテルちゃんの命を狙った事、そして魔結症の毒を盛ったことを考えればまだ足りない。
「うぐおおぉぉ……僕の美しい顔が……!」
「ステイステイ、二発目はまだだモモ君。 口が利ける間に聞いておきたい事がある」
「早くしてくださいね、その間に肩を温めておきます!」
「と、いう訳だ。 速やかに彼女の機嫌を取らないと首から上が消し飛びかねないぞ」
「き、肝に銘じさせてもらう……」
「では聞くが、シュテル君への敵対行動はシントゥの指示か?」
「そうだ、彼女がウムラヴォルフ家の持つ権利を手に入れるために……」
「それだ、その権利とやらが解せない。 ウムラヴォルフ家の資産は確かに魅力だろうが、ここまでの所業をやらかす価値が本当にあるのか?」
「…………君は何も知らないのか?」
「なに……?」
カシーニさんの表情は本当にきょとんとしたものだった。
演技なんかじゃない、びっくりして出て来た本物の反応だ。 やっぱりこの人は、師匠の知りたかったことを知っている。
「詳しく話せ、でなければ……モモ君」
「いつでもいいですよ!!」
「ステイ! 話すからステイ!! “海”だ、ウムラヴォルフ家は海を握っている、その権利を手にしたい!!」
「海? それはどういう――――」
「し、師匠!!?」
――――その瞬間、師匠の身体がまるで落っこちるかのように地面に飲み込まれた。
――――――――…………
――――……
――…
「師匠!!」
「チッ――――!!」
手元に形成した風魔術をわざと暴発させ、地面に飲み込まれかけた身体を上方に吹っ飛ばす。
痛みは安い経費だ、あのまま飲み込まれたらどうせ命はなかった。 それよりも問題なのは、攻撃されたという事実だ。
「お、おい待て! 今のは私じゃな―――かふっ!?」
男の言うことは正しい、今の感覚は泥に「沈む」というより「落ちる」ような感覚だった。
だが一応うろたえる男の顎に空気弾を当て脳を揺らし、気絶させる。 万が一にでもケアは大事だ。
「だ、大丈夫ですか師匠! 死んでませんよね……?」
「安心しろ、気絶してるだけだ。 それよりモモ君はシュテル君を連れて下がってろ、乱入者の正体が掴めない」
「分かりま――――」
「……? モモ君?」
返事がない違和感に振り返ると、そこにモモ君の姿はなかった。
当たりの気配を探ろうが、どこにもいない。 見晴らしのいい凍り付いた草原には、そよ風の音が響く静寂ばかりが残されていた。
「―――――……」
周囲への警戒は怠っていなかった。 それに遮蔽物が殆どないこの場所なら、近づくものがいればすぐにでも気が付く。
だがこうしてモモ君とシュテル君は姿を消し、犯人の正体どころか足取りすら掴めない。
僕はまんまと完全に出し抜かれ、みすみすと2人を奪われたのだ。
「…………お前、やってくれたな?」
ふつふつとこみあげてくる感情に、自然と口からはいまだ見えぬ敵への呪詛が零れていた。
もしも魔法遣いとして溢れんばかりの才があれば、聞くもの皆呪ってしまいそうなほどどす黒い感情だ。
だがこの身はいまだ道半ばの魔術師だ、呪詛も奇跡も無く、為すべきことはすべてこの手でなさねばならない。
「……“起きろ――――全部、根こそぎ”ッ!!」
溢れる感情に任せて魔力を叩きつけ、届く限りの地面をすべて隆起させる。
技術も制御もあったものじゃない、見る者が見れば皆鼻で笑う乱暴な力技だ。
だがそんな矜持など今はどうでもいい、敵がどこに潜んでいようが関係ない。 よくも、僕の弟子を奪ったな?
「モモ君、生きてるなら返事をしろ! はやく!!」
見通しのいい草原、隠れるところなど地中ぐらいしかない。
その隠れ場所を出来る限りほじくり返したのだ、もしまだ犯人が逃げ切っていないならたまらず姿をさらすはずだ。
一瞬で良い。 敵の正体に確証はまだないが、それでも隙を晒してくれるなら……
「………………し……師匠ぉ……っ!」
「―――――そこだな?」
あのバカ弟子が必ず、手掛かりを残してくれるのだから。




