少しだけ素直になった君は希う
「師匠ぉー!! お祭り行きましょお祭り!!」
「断る」
「ぎゃふん!」
“こちらの世界”に来てから数カ月目のある日、またモモ君がバカなことを言い出した。
窓の外は雲一つない晴天が広がり、テレビなる板切れに移された女性は本日の気温と今後の天候変化を予言している。
いわく35℃超えの気温と蒸し風呂のような湿気が今後1週間は続くという事だ、この世の終わりである。
「というわけで僕はこの部屋から出ない、死んでしまう。 それとエアコンというものを開発した人間には国を挙げて表彰すべきだ、多くの人間の命を救った英雄だよ」
「もーそう言って家に籠ってばかりじゃ不健康ですよ、外に出ましょう外に!」
「やめろモモ君この世は地獄だ、なんだこの世界の暑さは砂漠のど真ん中よりえげつないぞ」
「日本の夏はこんなものですよ!」
「滅ぶのかこの世界は?」
「だぁーうっせぇ! 朝っぱらから物騒な話してんじゃねえよ!」
「あっ、ラグナちゃん! お祭り行きましょう!!!」
「うるせえ!」
寝間着姿で隣の部屋から出てきたのはもはやこの世界に馴染み、人類を滅ぼそうとした面影などどこにもないラグナだ。
時刻的には朝の忙しない時間帯はとっくに過ぎているはずだが、不機嫌なのはおおかた昨日は深夜までウォーのやつと戦争ゲームに興じていたせいだろう。 趣味の悪い連中だ。
「ラグナ、どうやらこの世界は滅びるらしいぞ。 この殺人的な熱波のせいでな」
「滅びねえから安心しろ、半年後には逆に極寒だ」
「この世の終わりか……?」
「んでなんだ、祭り? なんか祝い事でもあるのか?」
「はい! 今日は七夕ですからこの近くで七夕祭りが開かれるんですよ!」
そう言ってモモ君が漉しポケットから引っ張り出したのは、星空を背景に涙滴型の葉を生やす植物が描かれたチラシ紙だった。
ともに書かれた数名の男女は皆笑顔で何やら不思議な踊りを踊っている、この世界の風習はまだ詳しくないが何らかの祭事であることは見て取れる。
「ほう、精巧な写しだ。 この世界の印刷技術というのはやはり素晴らしいものだな、いやあすごいすごい」
「話をそらさないでください師匠! お祭りですよお祭り!」
「だからいかないと言ってるだろう。 僕がこの湿気と熱気渦巻く外界に一歩でも踏み出してみろ、死ぬぞ」
「お前復活してもその虚弱体質なんも変わってねえもんな」
「ほっとけ」
だがラグナの言う通りだ、忌々しいことに神と信仰のシステムを利用して蘇ったこの身体は悪い点まできっちりと再現されている。
おかげで姿はバベルの肉体を借りた状態のまま“固定”され、1000年前の肉体に戻ることもできない。
「そういうわけだ、祭りを楽しむつもりなら君一人で行くといい。 僕はこの快適な湿度と気温が保たれた部屋でのんべんだらりと過ごす予定で忙しい」
「でも美味しい出店もいっぱいあるんですよ師匠! 焼きそばとかイカ焼きとかりんご飴とか!」
「はっ、嘗められたものだな僕がリンゴの形をした飴に釣られるとでも」
「違いますよ、りんご飴は飴の中にりんごが入っているんです」
「なんだとぉ……」
「ちょっと釣られてんじゃねえよ」
呆れ顔のラグナがうるさいがそんなことよりも由々しき事態だ、アメの内部に果物を埋め込むなど誰が思いついた? 天才か?
いやだがここで顔色に出してはならない、リンゴアメなる食べ物は気になるがそんなもの食べにくくて仕方ないだろう。 冷静に考えればわかることだ。
まったくモモ君めそんな餌で僕が釣られるとでも思って……
「チョコバナナ……たい焼き……わたあめ……食べたくありませんか?」
「……話を聞こうじゃないか」
「釣られてんじゃねえか! 言っておくけど俺は行かねえからな、今日こそウォーのやつぶっ飛ばしてぎゃふんと言わせ」
「グモーニングボンジョルノグーテンモルゲンおはよう妹たち!! 今夜はお祭りに行くわよ!!」
「お前もかよテオォ!!」
――――――――…………
――――……
――…
「で、まんまと引きずりだされたのですか」
「しょうがねえだろ、単純な腕力なあのバカに勝てねえし」
「まあ自分はどっちでもいいっすけどね、お祭りも楽しそうじゃないっすか」
その日の夜、ウォー、ラグナ、ペスト、そして僕を含めた4人は結局モモ君とテオのタッグによって祭り会場まで拉致された。
どこからか食べ物の香ばしい匂いが漂い、笛の音が聞こえてくる往来を歩く人だかりは賑やかだ。 あの群れの中でもみくちゃにされればおそらく命はない。
「しかし動きにくいなこの服……着替えていいか?」
「ダメですよ師匠、みんな似合ってます!」
全員分用意され、無理やり着付けられたキモノという服は固い帯のせいで実に動きにくく、ヒラヒラと長ったらしい袖が鬱陶しい。
ご丁寧に各々の服と髪の色が揃えられている、モモ君の奴めさては入念に準備していたな?
「ヌルとノアと本家バベルのやつはどこいった、あいつらも道連れにしようぜ」
「本家言うな、僕だって好きで彼女の姿を借りてるわけじゃないんだぞ」
「ヌルは通訳を連れてアメリカで仕事中、ノアは向こうの世界に帰還中よ。 水の権能のせいかこのジメジメした空気に慣れないらしいのよね」
「ノア姉の周りってなんか湿っぽいすからね」
「幽霊船の後遺症なのですよ、本人は気にしてるので言ってはダメなのです」
「しかしこいつらもずいぶん馴染んだものだな……」
キモノをひらひら躍らせながら会話に話せる少女たちからが、かつては人類を滅ぼそうとしていたなんて誰も信じられないだろう。
目的が果たされたのも理由の1つだろうが、僕が復活するまでの間にモモ君との生活でずいぶん毒気を抜かれたらしい。
「今でも信じられないですよねー、2つの世界がガッチャンコしちゃったなんて」
「ああ、こうして空を見上げなければ忘れてしまいそうになる」
見上げた夜空には夜よりも黒い穴がぽっかりと開いている。
あれこそがかつては特大の隕石でこじ開け、今となっては両世界の技術で安定化された異世界への出入り口だ。
「モモのおかげよね、私たちが今こうして平和な世界にいられるなんて」
「あの時は突然何をバカなこと言ってるんだこいつと思ったもんすけど、必死になれば結構どうにかなるもんすね」
「えへへへそんな褒めても屋台代しか出せませんよえへへへへ」
「よーし言質とったぞ、各々好きなもん買ってこい」
「今月お小遣いピンチだったので助かるのですよ」
浮かれたモモ君から差し出された財布をひったくり、姉妹たちは色とりどりの屋台に目を輝かせながら四方に散開する。
前言撤回、やはりこいつら本質は何も変わっていないな。
「いいのかモモ君、やつらの辞書に遠慮なんて文字はないぞ」
「大丈夫ですよ、お給料は余るぐらい貰ってるので平気へっちゃらです!」
「異世界調停官だったか、ずいぶんいい職に就いたじゃないか」
「半分成り行きですけどね、毎日忙しいけど楽しいです!」
2つの世界が繋がったことによる軋轢の擦り合わせや異文化・異生物によるトラブル、その解決がモモ君の仕事だ。
初めに聞いた時は耳を疑ったが、たしかにこの天性の人懐っこさと異世界で手に入れた人脈は貴重な武器だろう。 実際にモモ君が仕事で大きなヘマをしたという話は聞いたことがない。
ただ都合のいい餌には当然悪い大人も集るというもの、その点あの姉妹たちは僕がいない間良い仕事をしてくれた。 その点は素直にほめよう。
「今日も休み取るの大変だったんですよ、今は異世界からこっちの世界の宝石や生き物を盗んでいく集団が問題になってまして」
「無理もない、お互いの世界からお隣の資源は宝の山に見えるだろうからな。 ただバランスを取らないと一方の資源が枯渇するばかりだ」
「あっ、槻波さんも同じこと言ってました。 難しいので詳しくは覚えてないですけど」
「君の上司はずいぶん苦労しているようだな、同情するよ」
モモ君でさえ超人的な怪力を持て余し、さらに彼女に懐いているのは冗談抜きで世界を滅ぼす力を持った子供たちだ。
そんな連中の上司役なんて毎日逆鱗に触れず龍のアゴを撫でるような思いだろう、他人事ながら涙を禁じ得ない。
「で、わたあめやりんご飴はどうした? 僕がここまで譲歩したんだ、在庫切れでしたじゃ納得できないぞ」
「大丈夫ですよお店はいっぱいありますから! でもラグナちゃんたちにお財布盗られたので戻ってくるまでお待ちください!」
「ラグナァー! 早く戻ってこーい!!」
「子どもじゃねえんだからちったぁ待ってろライカァ!! ウォーこっちこい、殺れ!!」
「コルクとはいえ仕組みは銃、つまりこれは兵器なのです」
「うわぁー!? バカな、固定してた景品が一撃でなぎ倒されただと!?」
「やっぱ不正してたじゃないのアンタ! ペスト、やっちまいなさい!!」
「あらほらさっさー!!」
「暴れてますねラグナちゃんたち」
「止めろよ君の仕事だろ」
魔術と科学、2つの世界が邂逅してから日も立つがまだ両者の理解は浅い。
あのような出店荒らしなど悪目立ちこの上ない、モモ君の上司が見れば泡を吹いて卒倒しているところだ。
「わっはっは大漁大漁ォ! このラグナ様相手にサマ仕掛けようなんざ100年早ぇんだよ!!」
「あんた何もしてないじゃないの」
「まあキレてハンマー振り回さなかっただけ利口なのですよ」
「姉妹一同ただいま戻ってきたっすー! あっ、ついでにわたあめとりんご飴とチョコバナナ買って来たんで良ければどうぞ」
「ペスト、君は仕事ができるやつだと前から思っていたんだ」
「評価が現金すぎますよ師匠」
差し出された3種の甘味を風の魔術で絡めとり、ペストの手から引き上げる。
等間隔に吊るされた照明に照らされた飴やチョコレートはまるで宝石のようだ、わたあめに至っては雲のようなその見た目から味の想像ができない。 美術品と言われても僕は納得するだろう。
周りの目? 魔術はまだ浸透していないから悪目立ちする? なんだそれは人の目を気にして食事が美味くなるのか?
「荷物が多くなっちまったな、こういうときヌルのやつがいれば便利なんだけどよ」
「姉妹を便利なポケット扱いするんじゃないの。 小腹も空いたことだしどこか座れるところ探して食事にしましょう、そろそろ花火の時間だし」
「そういえばテオちゃん楽しみにしてましたよね、花火」
「火薬を打ち上げて空に花を咲かせるなんて素敵じゃない、どんなものかお手並み拝見だわ!」
「なんだ火花ぐらいボクだって打ち上げられるぞ」
「ライカのやつは風情が分かってないのです、火薬を誰も傷つけない手段で浪費する贅沢なんてこの世界でしか楽しめないのですよ」
「それならネズミたちに穴場探してもらってるっす、案内するっすよー」
射的ゲームで手に入れた景品の山を担ぎ、ぞろぞろとペストの先導についていく姉妹たち。
たしかにこんな光景、こんな平和は向こうの世界ではありえなかった。
あの薄暗い牢獄の中にいたころには想像すらできなかった未来。 決して相容れるはずのない僕らがこうして肩を並べているのは……
「……まったく、原因を辿っていくとどうも君にたどり着いてばかりだ」
「うぇっ!? また私何かやっちゃってましたか師匠!?」
「なんでもない、気にするな。 そういえば君はタナバタがどうのと言っていたが、結局これはどういう祭りなんだ?」
「あっ、忘れてました! 師匠これどうぞ!」
思い出したようにモモ君が差しだしてきたのは未記入の呪符……ではなく、なんの儀式手順も施されていない長方形の紙切れだ。
たしか朝見せられたチラシにも同じような紙切れが植物に吊るされていた記憶がある。
「この紙に願い事を書くと叶うんですよ、ラグナちゃんたちもどうぞ!」
「それはまたずいぶん大きく出た祭事だな、この世界の神が叶えてくれるのか?」
「違います、織姫と彦星です! ただ願い事が叶うというのはショセツありまして、ちょっとした抱負のようなものだと思っていただければ……」
「つまり願掛けってことなのですか、お前は何書いたのですよモモ」
「50枚ぐらい書いたので全部は覚えてないです!!」
「君は実にバカだなぁ」
この手の儀式は1人1つの願いと制約があるものだが、この世界が大らかなのかいい加減なのか。
良くも悪くも神に対する敬意や興味が薄い。 そのおかげで救われた異世界があると考えれば文句の1つも言えないが……
「会場の真ん中におっきな笹があるんですよ、花火終わったらみんなで吊るしに行きましょう! 師匠はなんて書くんですか?」
「急に渡されても何も浮かばない、あとで考えておくよ」
「どうせ甘いもんたらふく食いたいとかそんなんだろ」
「いやいやラグナの姐御ほど単純じゃないんだからそんなああ゛ぁ゛ー!!? 腕゛は゛!! 腕゛は゛そ゛っ゛ち゛に゛曲゛が゛ら゛な゛い゛っ゛す゛!!!!」
「あーもーこんな日ぐらい喧嘩しないの! ほら花火に遅れるから急いだ急いだ!」
先を歩く姉妹たちの後ろを追いながら、ふと考える。 “自分の願いは何か”と。
欲しいものがないといえば嘘になるが神に願うほど切迫してはいない、甘味が欲しいと書くのはラグナの思い通りで何となく癪だ。
そもそも叶うかもわからない願いを真面目に書くのもなんだかばからしい。
「だったら……このくらいで良いか」
「あっ、師匠思いつきました? 見せてください!」
「断る、君に預けると失くしそうだ。 あとで自分で吊るすから放っておけ」
「えー見せてくださいよー!」
「遅れるって言ってんでしょー早く歩きなさい!!」
願う事すらかなわなかった未来、こんな日常もいつか変わっていくのだろう。
だが、それでもいい。 いつか終わるものでも今はここに在るんだ。
だから今だけは。 そして願わくば、また次も――――
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