ハッピーエンド ④
「〇▼◇×P△◎■□*¥?」
「うわーっ! ラグナちゃんが異世界言語話してる!!」
「*+//&%……あーあー……悪ィ悪ィ、ちょっとバベルの調子を試してたんだわ」
英語を3倍速で再生しながらロシア語を話すような不思議な言葉から、いつも通りのラグナちゃんに戻る。
びっくりした、ちょっと大師匠と話している間にもう翻訳効果が切れたのかと。 でも調子を試してたって何のことだろう?
「これから……バベルの塔による言語調和が解ける……それに備えて、バベルの権能を拡散しようとしていたんだ……」
「あっ、ノアちゃん。 バベルちゃんってそんなこともできるんですか?」
「やつはもともと……言語体系の管理と監視が仕事だ……バベルの塔も、言語を統一して監視を容易くするためのアンテナとして作られた……」
「宇宙への進出や俺たちへの反逆を企てる発言があればすぐ駆け付けてメッタメタにするためにな。 まあ、これからはそんな真似も必要なくなる」
「それもピンクちゃんの思惑通りに事が運べばだけどサ」
「わあ、ヌルちゃん」
空間にぬるんと穴が開き、そこからヌルちゃんやロッシュさんたちがぞろぞろ這い出てくる。
隕石を止めるためにワープの大部分を使っているせいで少し窮屈そうだけど、これで全員無事に地上へ戻ってくることができた。
「バベルの権能を使っても塔が無くなっちゃ惑星全体はカバーできないサ、これから前途多難だヨ」
「地上も今ごろ大騒ぎなのですよ、隕石も場所によっては目視可能なのです。 どうやって収拾つけるつもりなのですか、諸悪の根源」
「その点に関してはわたくしにお任せください。 一応これでも聖女として名が通っている身、迷える子羊を導くのは得意分野ですから」
「やあ、その仕事なら私も手伝えると思うよ」
「大師匠!? 音もなく忍び寄るのびっくりするのでやめてください!」
「わははごめんごめん。 それはそうと説法を説くのは私も得意分野だ、手伝い兼見張りとして役に立つと思うよ?」
「…………まあわたくしの負担が減るのは大歓迎です、ついでに入信しません?」
「悪いけど私には私の宗教観があるからね」
「あらそうですか、それは残念ですねうふふふ」
「残念残念、わはははは」
大師匠とロッシュさんの笑ってない笑い声が重なり合う。 なんだろう、笑ってはいるのに近づきがたい不気味な雰囲気を感じてしまうのは。
それに2人とも何かしら黒いことを企んでいる気がする、とても不安だ。
「オタンコ……これからお前は、どうするつもりだ……?」
「ノアちゃん、私は一度家に帰ろうと思います」
決意を口にしてもなんだかまだ実感がわかない。 本当に私は家に帰れるんだろうか?
……本当に、帰ってもいいんだろうか。
「そうか……一度、か」
「はい、まだこっちの世界でもやり残したことがありますからね。 神様問題とか」
「そうだネ、あとそっちの世界でも隕石ゲートが大問題になってるから頑張るのサ」
「ああー、そっかー!? そういうのもあったか!」
たしかにヌルちゃんのゲートに隕石がぴったりはまっているということは、地球では隕石の先端がひょっこり顔を出しているはずだ。
いまごろNASAとかなにかえらくてすごいところが隕石を見つけて地球が大騒ぎ中かもしれない、私一人で説明してどうにかなるかな?
「ヌル、お前隕石の出口どこに作ったんだ?」
「同じ宇宙空間、ほぼ同じ座標サ。 まあ一般人にすぐ見つかるってことはないだろうネ」
「なら騒ぎになるまで時間があるだろ、お前の世界のトップは誰だ? そこまでワープして直談判すりゃいい」
「そう簡単に言ってくれますけどぉ……あれ、総理大臣ってどこに住んでいるんだろう?」
「お前が知らねえなら俺たちも知らねえよ。 おい、本当にこいつ一人で帰して大丈夫か?」
「オタンコ、お前……日常生活……できるか……?」
「できますよ失礼な! こう見えても私普段はしっかりしてるんですからね、師匠の面倒だって……師匠の……」
「師匠」という言葉を口にすると、なんだか冷たくてぽっかりとしたものが胸の中に染みる。
いつもならここで師匠のツッコミが入っていたはずだ、だけど私が一番欲しいあの皮肉は聞こえてこない。
同じ姿のバベルちゃんがいるからだろうか、最期の瞬間を見ていないせいだろうか、師匠が居なくなった実感は今でも沸かない。
今からでもひょっこり顔を出して、「ドッキリ大成功」の看板を担いできてほしい。
「……いや、師匠は看板担ぐパワー無いですね」
「何の話だ?」
「ま、帰るつもりならいつでも言ってヨ。 人ひとり分のゲートなら融通できるからサ」
「ありがとうございます、ヌルちゃん。 ただもうちょっとだけこの世界に居させてください」
「いくら待ってもお前の師匠は出てこねえぞ」
「わかってますよ、最後に少しだけ寄り道したいんです。 ……お願いできますか、ヌルちゃん?」
――――――――…………
――――……
――…
「……で、連れてくるところがここってサァ! どどどどういうつもりなのかなピンクちゃ……ブエックショイ!!」
「あはははは! すごい、めちゃくちゃ吹雪いてます! よくこんなところ歩いてたなー私!」
バチバチと肌に当たる雪の礫は痛いくらいで、手の届くところから先は何も見えないくらい真っ白い。
ヌルちゃんに無理を言って連れてきてもらったのは、師匠と初めに出会ったあの雪原だ。
「こ、ここここの星の中でも一年中雪が積もってる場所サ。 昔死んだ竜の呪いが積もり積もってるとかヘッキシ! よ、よく生きてたネぇピンクちゃん……」
「はい、とっても運が良かったです! だって私、師匠に出会ったんですから!」
激しい雪に負けないくらい力強く、深く積もった雪の中を両手一杯広げて踊る。 じわじわと胸に広がる感情に負けないように。
あの日の出来事は今でも昨日のように思い出せる。 長くて大変でそれでも楽しくて、いろんなことがあって一生忘れない私の不思議な冒険の始まり。
あの日、師匠に助けてもらったから私はこの結末を迎えられたんだ。 師匠のおかげで私は家に帰れるんだ。
――――あの人の1000年の終わりが……こんな形でよかったんだろうか。
「…………っ」
目じりにこみあげてきた熱い液体は雪と風に引きはがされ、氷の粒となって宙を舞う。
師匠は死んだ、もうこの世界のどこにもいない。 私を助けてくれた優しい人、返しきれないくらいの恩を与えてくれた人。
今になって後悔が追い付いてきて、逃げきれない現実に涙がボロボロ溢れてしまう。
「もっといっぱい話せばよかったなぁ……もっといっぱい、抱きしめればよかった! もっといっぱいありがとうって言って! もっといっぱい……もっといっぱい、あの人に、なにか返すことができたはずなのに!」
「ピンクちゃん……」
叫んだって今は誰も聞いちゃいない、全部吹雪がかき消してくれる。
後ろで私のことを待ってくれているヌルちゃんにだって聞こえていないはずだ。 たぶん、きっと。
「うわあああああああああああん!!! 師匠、師匠、師匠! ごめんなさい、ありがとうございます! 私……私……あなたの優しさに甘えて、あなたにもらったものを一杯抱えて……帰ります……!」
この真っ白な雪の中に全部置いて行こう。 さようなら、師匠。 私もあなたが大好きでした。




