とんちき騒ぎ ②
「ひぃー……ひぃー……! し、しんどい……!」
『我慢しろ、もう少しだ』
制御室までの道のりはまるでアスレチックか忍者屋敷だ。
壁の中に隠れた通路なんてまだ優しい、段差が2mぐらいある階段を登ったりターザンみたいにロープを飛び移ったりわずかな壁の凹凸に指をかけてロッククライミングしたり、師匠ならもう10回は死んでると思う。
かく言う私も重力が弱くなって体が軽いおかげで何とかついていけているくらいだ、なのにバベルちゃんさんは息も切らさずペースも一切落ちていない。
「ヌル、制御室直通じゃなくとも目に届く範囲で短距離転移はできないのか? このままじゃモモ君の体力が先に底をつくぞ」
「あばばばば、なんでこうなったのサこんなのボクのデータにないぞどうするどうすればいいあばばばば」
「ダメだなこれは、さっきまであれほど調子こいていたのが嘘みたいだ」
「ぜひぃ……ぜひぃ……だ、大丈夫ですよ師匠ぉ……まだまだいけます……!」
「無理するな、オタンコ……だいぶ空気も薄くなってきた、我々を担いで動くには辛いだろう……」
『だからといってペースを落とす余裕はこちらにもない。 それにあれを見ろ』
目に入って来る汗を拭うと、長い通路の先に頑丈そうな鉄の扉が見えた。
ヌルちゃんが待っていた大広間よりずっと大きく、装飾も立派だ。 まるでこの先によほど大事なものがあるというみたいに。
……問題はその扉と私たちの間に、幅10mはありそうな奈落が広がっていることだけども。
「あの、バベルちゃんさん? これは?」
『バベルはそもそも人の居住を想定していない』
「それにしても限度があるのでは!? どうするんですかこれ、跳べるかなぁ私!?」
「君一人だけなら十分助走を取ればできるかもしれないが、僕ら抱えていたら無理だと思うぞ」
「底が見えない、落ちたらオタンコごと死ぬな……我々も」
『チッ……貸せ』
底が見えない奈落にビビっていると、私が抱きかかえていた師匠をバベルちゃんさんがヒョイっとはぎ取る。
そうか、私が無理ならバベルちゃんさんに師匠を抱えてもらえば……
『方角よし、角度よし、射程よし、行ってこい』
「おいちょっと待てなんだ僕をどうする気うおわあああああああああ」
「し、師匠ぉー!!?」
しかしそんな私の予想とは裏腹に、バベルちゃんさんは投げた。 師匠を、迷いもなく。
こんな大きな幅を投げて超えられるとは思えない。 それに覗き込んだ奈落の底は真っ暗だ、落ちてしまえばひとたまりもないと思う。
「な、なんてことするんですか!? 師匠が死んじゃいます!!」
『騒ぐな、よく見ろ』
「へっ? ……あ、あれ?」
肩の力が抜けた投げ方で飛んで行った師匠の身体はあわや穴の底……ではなく、そのままふわふわ飛んで行って奈落の向こう側に着地する、というか勢い余って扉に激突した。 痛そう。
『すでに重力が地上の半分以下まで落ちている、よほど間抜けな飛び方でなければ届くし落ちても死にはしない』
「も、もうそんなに……なら急ぎましょう、師匠も危ないからそこよけてください!」
「ぐ、ぐおおお……! モモ君、たった今君の目の前で鼻を強打した僕に対して何か言うことはないのか……!」
「ごめんなさい、今急いでいるので後でお願いします! うおー行きますよノアちゃんヌルちゃん!!」
「待て、オタンコ……待て……心の準備というものが……!」
少し助走をつけ、重力が弱い分上よりも前に向かって大きくジャンプ。
さっきの師匠と同じように、だけど足を前に出したまま何倍もの速度でかっとんだ私の身体は、そのまま分厚い鉄の扉を蹴破ってその先にある部屋へと転がり込んだ。
「ウワーッ!! 止まるときのこと考えてなかった!!」
「オタンコォ!!」
「あらあら、やはりモモセさんはモモセさんですね。 アナタのそういうところは嫌いじゃなかったですよ?」
蹴破った勢いを殺しきれずに、ノアちゃんたちを巻き込んで室内に転がり込む私たちを何かが受け止める。
ガラスみたいに堅いけどどこか温かい、この不思議な感触には覚えがある。
「ロッシュさんの……魔法のバリヤーだ!」
「はい、お久しぶりというほどではないですがお久しぶりです。 こんばんわ、できれば弐度と顔を見たくはなかったです」
目には見えないけどたしかにそこにある壁の向こうで、ロッシュさんの微笑みが私を見下ろす。
その笑顔も、後ろに控えているコウテイさんも何も変わっていない。 地上で見送ってくれた時とまったく同じだった。
「ロッシュさん、塔の崩壊を止めてください! このままじゃみんな死んでしまいますよ!」
「ええ、そうですね。 ですが私たちはアスクレスの加護があるのでまだもう少しだけ猶予があります」
『……ご丁寧にコントロールパネルも保護しているな。 あれではこちらから触ることもできない』
ツルンとした金属質でなにもない部屋の中、唯一目につくのはロッシュさんが腰かけている黒光りする石板ぐらいだった。
表面に刻まれたカクカクした模様からは脈打つように光が漏れている、多分あれがこの塔の制御装置なんだろう。 ロッシュさんのイスにされているけど。
問題は私たちとロッシュさんを隔てるこの障壁だ、さっきから殴ったり叩いたりしているけど全然びくともしない。
「ごらんください、窓の外に見えるのが私たちが住まう惑星です。 とても美しいですね」
「わーほんとだ綺麗……じゃないんですよ! ロッシュさん、なんでそんなところにいるんですか!」
「うふふ、実はモモセさんが変形した煌帝に目を輝かせている隙にこっそり隠しスペースに乗り込んでおりました。 正直バレないかドキドキでした」
「わあ全然気づかなかった……って違う違う、そういう意味じゃないです! 崩壊を止めてください、今なら師匠のお説教だけで許されるはずですよ!」
「まあ、それはお優しい。 ですが無理なご相談です、そちらこそお帰り下さい」
「引けると思いますか? ロッシュさんはひどいことをしています、見過ごせません」
「では、いやでも帰りたくなるようにします」
ロッシュさんがお尻に敷いた石板に触れると、その手に反応するように模様の発光が一瞬だけ強くなる。
すると私たちの身体が羽のように浮き上がり、室内の空気が扉の外に吸い出され始めた。
「うわーっ!? な、何したんですかロッシュさん!!」
「障壁よりそちら側の環境を宇宙空間と同じに設定しました。 まもなく真空・無重力になるかと思われます」
「い、急いで扉閉め……私が蹴り破ったんだったー!!」
「オタンコ……このオタンコォ……!!」
どうしよう、今までの非じゃないぐらい息苦しくなってきた。
こうしている間にも部屋の空気はどんどん外へ吐き出されていくし、無重力で踏ん張りの利かない身体は耐えるだけ精いっぱいだ。
「ど、どどどどうしましょう師匠! ロッシュさん卑怯です、頑張って制御室まで来たのに何も教えてくれないし追い出す気満々です!!」
「そういえばそのような約束もしておりましたね、いいでしょう。 あれは今から20年前……」
「こんな状況でじっくり長くなりそうですー!!」
「喋るな、残り少ない酸素を無駄に使うぞ。 おいヌル」
「な、なにサ!? 言っておくけど座標が固定できない今は転移できないからネ!!」
「別に塔と直接つなげる必要はないだろう? 君の能力はここから地上まで届くだろ」
「…………ま、マージで言ってるのカナ?」