天の門 ④
「ウワーッ!! すごい、おっきい壁!?」
「バベルの認識迷彩を突破したんだ……あまり近づくなよ、ぶつかるぞ……」
また迷彩で見失わないように、着かず離れずの距離を維持しながらコウテイさんが壁の周囲を飛ぶ。
窓から見えるのは凹凸のない壁だけで、無重力も合わさって今自分たちが縦横どっちに飛んでいるのかもわからなくなってきた。
《んん、面妖な。 離れるとセンサー類にも一切反応がなくなるでござる……しかしこれはどこからどこから侵入すれば?》
「ただ探すだけじゃ見つからない……少し待て……たしかこっちの……いやもっと下だったか……クソッ、誰だこんな分かりにくい設計にしたのは……!」
「ノアちゃんたちでは?」
「正論を吐くなオタンコォ……! ええい、話しかけられたから余計分からなくなった……」
「――――外殻付近まで一度降下してくれ、そこから直上およそ300m」
《むっ? 了解でござる》
「ノア、そこから先は君の仕事だぞ。 外周を一周すれば見つかるはずだ、君なら壁と出入口の区別はつくだろ」
「わ、わかった……」
師匠の言う通り、コウテイさんは宇宙と惑星の境目を覆う蓋まで降りてから再度ブースターを吹かす。
私の感覚じゃわからないけど指示通りに300mまで上昇すると、今度は窓に張り付いたノアちゃんがくまなく壁を凝視する。
金属っぽい光沢を放つ灰色の壁は私にはどこまでいっても同じにしか見えない、けどバベルについて詳しいノアちゃんは違う。
「……そこだ、止まれ……この壁が入り口だ……」
《むぅ……全然違いが分からんでござる、根拠は?》
「姉妹だけに通じる、共感覚のようなものだ……壁に触れれば、扉が開く……だが、お前はなぜわかった……?」
「あっ、そういえばそうです。 なんで出入り口がここだってわかったんですか師匠?」
「簡単だ、僕はこの塔を知っている。 まさかまた足を運ぶことになるとは思ってなかったけどな」
「えっ、それってつまり……」
私はこの塔……というか宇宙に来るのは初めてだ。 つまり師匠がバベルを訪れたのは私と出会う前の話になる。
だけど師匠は1000年もの間投獄されていたはずだ、そんな師匠が知っている場所なんて……
「――――まさか、僕を捕えていた牢獄がバベルの塔そのものだったなんてな。 たしかこういう話を、君たちの世界だと“灯台下暗し”というのかな」
――――――――…………
――――……
――…
「そのまま前に……いいぞ……ゆっくり……よし、開けろ……」
《心得た。 参、弐、壱……解放!》
――――生体認証完了しました、開錠いたします。
「ウワーッ! すごいハイテクっぽい!」
コウテイさんが解放した扉からノアちゃんが飛び出し、壁に触れる。
すると触れた個所を中心に壁が四角く光り、自動ドアのように左右に分かれて出入り口を開いた。
「私が先行するから……お前たちはあとからついてこい……罠があるかもしれない、からな……」
「あまり煌帝から離れると生存領域外に出るぞ、この機体に掛けられたアスクレスの加護はそこまで遠い距離をカバーできない」
「安心しろ……バベルの中には、空気と重力があるから……ぶべちっ!」
「……どうやらそのようだな」
ぱっくり開いた出入り口にノアちゃんがふよふよ吸い込まれていくと、身体が完全にバベル内へ収まったところでビタンと床にたたきつけられた。
無重力に甘えて油断しているとああなるらしい、思いっきり鼻を打ち付けたみたいだけど大丈夫だろうか?
《むぅ、このサイズでは扉を通れないでござる……各々方、ここから先は徒歩でござる!》
「えー、そんなぁ! トホホ……」
「言ってる場合か。 ここで足踏みしている場合じゃないぞ、地上じゃまだヌルが暴れているんだ」
《船外に出るときは気をつけるでござる、明後日の方向に飛んでいけばそのまま宇宙の彼方まで一直線でござる》
「ひ、ひえぇ……」
コウテイさんに脅かされた途端、ロケットとバベルの間に広がる2~3mほどの幅がとてつもなく遠い距離に思えた。
バベルの出入り口は決して狭いわけじゃない、まっすぐジャンプすれば簡単に飛びこめるはず……はずなんだけども。
「モモ君、怖気づいたならこのまま帰ってもいいぞ。 煌帝に送り返してもらえ」
「そ、そんなことないですよ! 私がいつビビってたって証拠があるんですかぁ!」
そうだ、失敗なんてするわけがない。 無重力なんだからジャンプの飛距離が足りないなんてこともないはずだ。
師匠に急かされた私は一回だけ呼吸を整えて……バベルの入り口目掛けて思いっきり跳んだ。
速度、方向共に問題なし。 完璧も完璧だ、このまま両手を広げて待つノアちゃんのところまで真っすぐ跳ぶはずだった――――突然真横から飛んできた小石が頭に直撃しなければ。
「あいったぁー!!?」
《ぬぅ、スペースデブリ!?》
「おいモモ君、逸れてるぞ!」
「オタンコお前……なんてタイミングで、お前……」
「そんなこと言われたってー! うわ―誰か助けてー!!」
こんな数mの隙間を縫うように飛んできて、さらにジャンプ中の私に直撃するってどんな確率なんだろう。
頭に当たったのは私の拳より小さい隕石の子どもみたいな小石、タンコブはできるかもしれないけどダメージとしては大したものじゃない。
それでも身動きの取れない無重力で横から突き飛ばされたせいで、まっすぐ飛んでいたはずの私の身体はどんどん明後日の方向にずれていく。
「お、オタンコ……手を伸ばせ……はやく……!」
「煌帝、モモ君を回収するぞ。 一度バベルから離れろ」
《待つでござる、ゴーレムとサムライは急には動けないでござる!》
「わーわーわー! だだだだ誰かー!!」
『――――こちらだ、手を出せ』
入口の縁すら掴まることもできず、あわや宇宙のも……も……もずく?になりかけた私の手を、がっしりと黒い腕が掴んだ。
「お、おぉおぉ……た、助かった? ありがとうノアちゃん!」
「いや……私は何もしてないぞ……オタンコ……」
「へっ? じゃあ師匠……なわけないか」
「どういう意味だモモ君」
そうだ、ノアちゃんの腕はこんながっちりしていない。 師匠はまだコウテイさんの中だし私の腕を掴めるほどの運動神経もない。
じゃあこの黒い手袋を付けたゴツゴツの腕はいったい誰だろう?
『……お前はいちいち、面倒事を起こさないと生きていけないのか?』
そのままふわふわ浮かぶ私の身体をバベルの中まで引き込んでくれたのは、カラスのようなマスクをかぶった真っ黒い人だった。