Null ④
山のてっぺんで私たちを待っていたのは、丁寧に摩った墨のような黒髪の女の子だった。
生まれてから一度も切ってないような長い髪はひし形に輝く片目を隠し、にんまり笑う口元には切れ味が悪そうなギザギザの歯が覗いている
何もない岩肌だらけの景色だからこそ、何もない空間に胡坐をかいたまま座るヌルちゃんの姿が余計にくっきりと浮かび上がって見えた。
「ヤロォ、ここであったが1000年目……」
「待てラグナ、よく見ろ。 あれは虚像だ」
「正解、ホログラムだヨォ。 肉体はないって言ったじゃないのサ」
師匠の言う通り、ケタケタ笑うヌルちゃんの身体はうっすらと透けている。
それに彼女が動くたびに体のどこ何ジジッジジッと走るノイズはおばあちゃんちに置いてあった古いテレビみたいだ。 今まで見た魔術や魔法とも違い、なんというか科学的な雰囲気がする。
「こうして君の顔をまともに見たのは初めてだな。 それで、モモ君に何をした?」
「ヒッヒヒヒ! おっとおっとぉ? それ聞いちゃうカァ!」
「なんだ、何がおかしい?」
「いやサァ、他にもいろいろ質問あるだろうに真っ先に効くのがそれってサァ……お弟子ちゃんのことが大好きってことじゃないのサ!」
「ラグナ、塵にしていいぞ」
「さっき自分で言ったこと忘れたのかテメェ」
「ヒヒヒッ……まあ教えてやろうじゃないカ、ボクたちは囁いただけサ。 その子にずっと“登ってこい”ってネ」
「やあ、サブリミナル効果ってやつか。 大弟子ちゃんほど純粋な子ならかかりやすいだろうね」
「ボクたち、か。 ということは本家バベルも手伝ってたんだな?」
「なら納得っすよ、言語のプロに暗示かけられちゃポコピンなんてイチコロっす」
「ああ、これに関しては……オタンコは悪くない……これに関しては……」
「うぅ……なんだか遠回しにチクチク言葉で刺されている気がします……」
「ま、ここまで来た礼として解除してやるサ。 そもそも登頂した時点で目的も達成してるわけだしネ、はいワーンツースリー」
ホログラムのヌルちゃんがパチンと指を鳴らすと、頭の中のもやもやがスゥーっと晴れていく。
すっきりした頭で考えると、たしかに私の行動はおかしかった……ような気もする。 たぶん。
「ううぅん……ヌルちゃん、よくもやってくれましたね!」
「ヒヒヒッ! わぁるい悪い、こうでもしなくちゃ付き合ってくれないと思ってサ!」
「そんなことしなくてもちゃんとお願いしてくれたら登ってましたよ私!」
「えぇー……師匠さんサァ、ちゃんと怪しい人について行くなって教えないとダメじゃないカ?」
「誰が師匠だ、お前こそモモ君を見くびるなよ。 この子は人を疑うってことをとことん知らないイノシシみたいなやつだ」
「師匠、そんなに褒めないでください! 照れます!」
「誰もあんたのこと褒めてないわよダメピンク」
よし、聞こえなかったことにしよう。 師匠は私を褒めてくれた、よし。
考えを切り替えよう、ヌルちゃんは私たちをこの頂上に誘導した。 それはどうしてなのか?
「ヌルちゃん、ひとつ教えてください!」
「ここに誘導した目的だろう? イイヨォ」
「師匠、結構あっさり教えてもらえそうです!」
「そうだな、悪いが少し大人しくしていてくれ」
「はい」
これ以上は怒られそうだ、言われた通り大人しくしておこう。
「さて、見知った顔も多いからあらためて自己紹介はいらないネェ。 ボクらの目的はただ一つ、このばかばかしいループを終わらせたいだけサ」
「……僕にも同じようなことを言っていたな、姉妹たちの使命を終わらせたいと」
「はっ、よく言いやがる。 バベルを殺しやがったくせによォ!」
「しかしそのバベルも今じゃボクの協力者サ、頭が固いネェラグナ。 そういうところは1000年経っても変わってないネ」
「ぶっ殺す!!」
「落ち着きなさい。 それにしても私たちの使命を終わらせる? ずいぶん壮大なこと考えてたじゃない、ヌル。 あんたのことがようやくわかってきた気がするわ」
「前回は有無も言わさず殺されたからネ、話を聞いてくれるテーブルについてくれただけ嬉しいじゃないカ」
「御託は良いわ、あなたの提案を離しなさい。 どうやって私たちをこの呪縛から解放してくれるのかしら?」
テオちゃんの顔はにっこりと笑っているけど、その背中はゆらゆら陽炎が見えるほどの熱気があふれていた。
横に立っているペストちゃんはすでに真っ青で小刻みに震えているところを見ると、すでにテオちゃんの怒りは頂点に近いようだ。
「そうサねぇ。 まずボクらに課せられたのは“人を殺せ”と“人を護れ”という二律背反のバグ、この矛盾を抱えている限りボクらは袋小路に囚われたネズミだヨ。 まあボクら2人は死んでその縛りから逃げたけどサ!」
「やあ、なんだかこの子が即殺された理由が私でも何となくわかって来たよ」
「ひどいこと言わないでほしいのサ……さて、この世に神の概念がある限り生者はこの縛りから逃れられない。 それじゃ君たちはどうすればいいカナ?」
「死ねって言うならお断りなのですよ、お前の同類にはなりたくないのです」
「嫌われてるじゃないのサ、まあいいけど。 死にはしないサ、我々が神の遺言に縛られているならその概念を覆してやればいいだけの話だからネ」
「だからどうやってよ……って、あんたまさか――――」
「ヒヒヒッ! ボクの権能を忘れたカナ?」
ヌルちゃんの権能、それはたしか師匠たちの話だと次元を超えること……つまり私たちをこの世界に連れてきた元凶だった。
そんな彼女が考えた解決策ということは……つまり、私の考えていることと一緒では?
「――――というわけでサ、そこのピンク」
「はい、なんでしょうかヌルちゃん!」
「くれよ、お前たちの世界。 ボクたちにまるっとさ」
「はい、いいで……へぁ?」




