Null ②
昔、小学生のころに学校行事で山へピクニックに出かけたことを思い出した。
あれは今登っている山に比べれば赤ちゃんみたいな高さで、舗装された道は幼い私でも簡単に登ることができた。
それでも頂上にたどり着いた時にはへとへとだったけど、汗を全部吹き飛ばすような気持ちいい風とてっぺんからの景色は今でも忘れられない。 あとお弁当。
「……つまり、この調子でてっぺんまで登れば最高に美味しいご飯が食べられると思いまぁす!」
「やあ、疲労困憊だね。 妄言を吐き始めた」
「ランナーズハイ、というものでしょうか? 回復多めにかけておきましょう」
「ゼヒー! ゼヒー! きつい!!」
思い出した、たしか理科の授業で習った。 山というのは上に登れば登るほど酸素も薄くなっていく。
そして酸素が薄くなれば人間も呼吸が苦しくなる、呼吸が苦しくということはどんどん疲れやすいということだ。
何度ロッシュさんから回復を貰ってもすぐに息が苦しくなる、回復と疲労が短いペースで繰り返されるせいかだんだん頭がふわふわしてきた。
「オラァ! 止まれそこのバカ! 止まらなきゃ叩き潰す、止まっても潰す!!」
「逃げ切れると思わないでダメピンク! 頂上まであと何mあると思っているのかしら!!」
「ポコピンー、諦めるなら今の内っすよ。 今なら姐御たちも全殺しで許してくれるっす」
「うわー! 師匠、ラグナちゃんたちを止めてください師匠!」
だけど辛いからって足を止めれば、後ろから追いかけてくる後ろのラグナちゃんたちに追いつかれてあっという間にモミクチャだ。
子供は風の子と言っても限度があってほしい、私たちなんてロッシュさんのサポート込みで精いっぱいなのに息ひとつ上がっていないのはさすがに不公平だと思う。
「うぐぐ、こんなときにからだのちょうしがくそーこんなボロボロのからだじゃなければすぐにでもとめるというのに」
「クッソ棒なのです」
「えっ!? 師匠大丈夫ですか、しっかりしてください!!」
「そんな演技に騙される大弟子ちゃんも大弟子ちゃんだ、ライカのことは私が気に掛けるから君はまっすぐ走りなさい」
「うわーん! 死なないでくださいね師匠!!」
大師匠が気にかけてくれるなら大丈夫だ、師匠のことは任せよう。
今考えるのはとにかく頂上を目指して走ることだけだ。 ヌルちゃんの言う通りなら、この山のてっぺんに元の世界へ帰る手がかりが待っている。
そうしたらラグナちゃんたちを連れて日本に帰って、熱いお風呂に浸かって、美味しいものを一杯食べて、それから師匠にも今までのお礼を……お礼……
「……そういえば元の世界に戻っても師匠の問題は何も解決しないですね!?」
「おわったったった!? おいバカ急に止まるな!!」
「へっ? って、ウワーッ!?」
ショックでうっかり足を止めてしまったところに、後ろから追いかけてきたラグナちゃんたちが追突する。
そしてこの山は上に登っていくほど足場が急になっていく、そんなところで衝突事故なんて起こせば大変だ。
「やあライカ、ちょっと私の背中に乗り換えなさい。 君はあれに巻き込まれると死ぬぞ」
「……不本意だが、他に選択肢もなさそうだな」
「「「「わあああああああああああ!!!?!?」」」」
間一髪で大師匠がラグナちゃんに背負われた師匠を回収した瞬間、私とラグナちゃんはお互いにバランスを崩してきつい傾斜を転がり落ちる。
逃げ遅れたテオちゃん、ペストちゃんを巻き込んで合計4人、殺風景な山を一塊になってゴロゴロ落ちて行く。
そしてあわやこのままふもとまで転がり落ちるかと覚悟した瞬間、私たちの身体を止めてくれたのはロッシュさんが展開してくれた魔法の障壁だった。
「う、ううぅん……ありがとうございますロッシュさん……」
「いえいえ、間に合って何よりです。 もう少し遅ければ射程範囲外でした」
「うぐぐぐ、視界が回る……ちょっと、何してんのよダメピンク!!」
「ご、ごめんなさぁい……みんな、無事ですか?」
「まあ無傷ってわけじゃねえけど軽傷……っておい、勝手に人のこと治すんじゃねえよ聖女!」
「あら失礼、職業病なもので」
コウテイさんに乗ったロッシュさんが近づくだけで擦りむいた膝小僧などがどんどん癒えていく。
ラグナちゃんはすぐ気づいたけど私はいつの間に魔法を発動してたのかわからなかった、もはやほとんど職人技だ。
「さて、それでここからどうするんだい大弟子ちゃん。 君の独断専行を許さない災厄たちくんずほぐれつしちゃってまあ」
「変態みたいな言い回しをするんじゃないわよユウリ・リン!」
「テオ姉ちゃん、別にくんずほぐれつはやらしい言葉じゃねえっすよ」
「放っとけ、ペスト……それよりオタンコ、お前も一度止まれ……」
「で、でも……」
「我々はまだ、お前の世界に行くことに同意していない……突っ走るんじゃない、オタンコめ」
「う、うぅん……」
ノアちゃんに正座させられ、落ち着いて説教されるうちになんだか高ぶっていたテンションも落ち着いてきた。
たしかに私が先走りすぎていたかもしれない、テオちゃんたちにとってこっちの世界こそが故郷なんだ。 無理に私の世界へ引き込むのはワガママだ。
……あれ、どうして私はここまで元の世界に帰ろうって思っていたんだろう? 帰りたい気持ちは本当だけど、師匠の状態やテオちゃんたちの気持ちを無視するほどじゃない。
「う、うーん……あれぇ……私なんで……?」
「おい、しっかりしろバカ。 モドキ、テメェの弟子明らかの様子がおかしいぞ」
「モモ君の様子がおかしいのはいつものことだが、今回はことさら異常だな。 君たち2人は気づいていたのか?」
「やあ、無理やり止めるよりは少し様子を見た方がいいと思ってね。 むしろこれぐらいは気づかないと師匠失格だぜライカ」
「ふん、いちいち師匠面をするなよ。 それに僕はモモ君の師匠じゃない、彼女が自称しているだけだ」
「わたくしも初めは何かしらの呪詛が掛けられていると思いましたが、どうも様子が違います。 これはどちらかと言えば暗示に近い状態ですね」
「オタンコに……暗示、か……」
「びっくりするほどよく効きそうな組み合わせなのですね」
なんだろう、ウォーちゃんたちに悪口を言われている気がする。 頭がほわほわしてよくわからない。
どうやら私の様子がおかしいからみんなで話し合っているようだけど、私はどうしたらいいんだろう?
とりあえず上……上を目指さなくちゃいけない気がする。 頂上に行けば全部解決する気がするんだ。
「……なにか仕掛けたとしたら十中八九ヌルのやつだ、どうする?」
「残念だけどダメピンクはもうダメよ、諦めましょう」
「まあ、お早いご決断」
「でも犯人がヌル姉なら何しかけてるか分かんねえっすよ。 あの人の性格の悪さは姉妹一っす」
「ふむ、災厄姉妹たちは皆反対のようだ。 ライカ、君はどうしたい?」
「決まってるだろ、登るぞ」
試すような大師匠の言葉に対して、師匠は即答する。
「罠でもなんでも関係ない、ここまで人のことをコケにしたツケは払ってもらう。 こっちの戦力は十分揃っているんだからな」
「ふーん、さては結構怒っているねライカ? まあ愛しの弟子を良い様に扱われちゃ無理もない話だ」
「なによあいつ、さっきまで私たちと一緒にダメピンク止めようとしてたくせに」
「テオ姉ちゃん、突っ込んだら余計に面倒くさくなるから駄目っすよ。 あれはああいう生き物なんす」
テオちゃんたちはそれでも反対の姿勢は崩していないけど、どうやら渋々ついてきてくれるようだ。
よかった、これで上に向かえる。 みんなで頂上まで登って……登って……これで終わり、なのかな?