幽利 凛という怪物 ③
「……さて、そろそろモモ君たちも気づいたころかな」
この山を登り始めて何時間が経過しただろうか、日の出前の冷たい山肌もすっかり日射で温められてきた。
だというのにこの脆弱な脚ではなかなか前にも進めない、モタモタしているとモモ君たちもすぐに追いつくだろうに。
「クソッ、ダイゴロウは連れてくるべきだったか……心底難儀な体になってしまったものだ」
いつもならこの虚弱極まりない身体でも風に乗せれば移動も楽だが、今はその手も使えない。
呪いで衰弱したところへダメ押しに模倣したバベルの権能、あれが良くなかった。 おかげでこの肉体は限界だ。
魔力を出力するための水路がズタズタになっているのが自分でもわかる、今無理に魔術を使おうと思えばその瞬間に僕は爆発四散するだろう。 ただ一つ、助かる手段があるとするなら……
「…………ふん、馬鹿馬鹿しい」
何が悲しくて、1000年も前に死に別れた人間に今更泣きつかなければならないのか。
しかもよりにもよって相手は僕がこの世でモモ君と並んで苦手な人間、こんなところで命を救ったなんて恩を作ればあの世で何を言われるか分かったものじゃない。
そんなのはごめんだ、絶対に……
「……もう一度、目の前であんたの死を――――」
――――しいいいぃぃしょおおおぉぉおぉぉ……
「チッ……モモ君め、もうここまで追ってきたか」
やまびことなって聞こえてくるモモ君の声はだんだんと大きくなっていく、こちらに近づいている証拠だ。
もし僕を見つけたらモモ君はどうするだろうか、おそらく「嫌だ」と言えば彼女は僕の意思を尊重してくれるとは思う。
だが変なところで強情なところがある子だ、きっとわかった上で説得を試みる……“時間切れ”で僕が死ぬその瞬間まで。
「……死に姿は見せたくない、君とはここでお別れだ」
「ああ、それならばちょうどよかったのですよ。 お前はここで死ぬのです」
「――――……は?」
――――――――…………
――――……
――…
「ど゛う゛し゛ま゛し゛ょ゛う゛ラ゛グ゛ナ゛ち゛ゃ゛ん゛!゛!゛ ゛師゛匠゛が゛見゛つ゛か゛ら゛な゛い゛で゛す゛!゛!゛」
「うるせえ、全部がうるせえお前!! まず鼻水止めろ、近づくんじゃねえ!!」
「もー、死にかけて姿を消すとかネコっすかあのモドキ!」
「まあ……警戒心の高い……野良ネコみたいなやつだったな……」
「ふむ、近くの生命を探してみましたけどそれらしい影は見当たらないですね」
「そんなこともできるんですかロッシュさん!」
朝起きてから師匠を探して何千里走り回っただろう、一度山を完全に降りて周辺をぐるぐる周回しながらここまで戻って来たけど、ついに師匠は見つけられなかった。
ダイゴロウも置いたまま今の師匠の足で遠くに行けるとは思えない、魔術だって使えないはずだ。
だから師匠は下山していない、ありえるとしたら上に登って行ったとしか考えられない。
「皆さん、師匠は山を登って行ったはずです! 追いかけましょう!!」
「おっそろしいくらいのごり押しで特定したっすね」
「自分の性能を全力で生かしてんだ、悪かねえ方法だろ」
「まあ、わたくしたちでは不可能な方法ですね。 しかしなぜライカさんは独りで行動を?」
「……死ぬつもりです」
師匠はきっと、幽利さんの存在を消費してまで生き永らえたくはないんだ。
だからそっと姿を消して、この山で一人息を引き取ることを選んだ。 だけど、そんなの……
「そんなの……勝手すぎます! 一言ぐらい何か言い残してくれてもいいじゃないですか、こんなお別れ納得できません!!」
「だがオタンコ……お前、正直に話せば……止めていただろう……?」
「当たり前です! 師匠にとって幽利さんは大切な存在かもしれません、けど私は師匠に生きてほしい!」
私が師匠に生きてほしいと思う気持ちと、師匠が幽利さんの命を使いたくない気持ちはきっと一緒だ。
話し合っても平行線で、最終的に私が譲ることになると思う。 それでも、たとえ結果が分かっていたとしても、こんな逃げるような形で終わるのは絶対に嫌だ。
「皆さん、力を貸してください! 私は師匠を見つけたい!」
「どうせもうすぐ死ぬから意味ないわよ。 あいつも、あんたもね」
「へっ――――?」
熱と光を感じた瞬間、私の身体は真横に吹き飛んだ。
何度か地面を転がってからようやく痛みが追い付いた時、それはラグナちゃんが私を蹴り飛ばしてくれたのだと理解する。
なぜなら私が立っていた場所の地面は大きくえぐれて、代わりに見覚えのある赤い女の子が佇んでいたのだから。
「……ラグナ、今のはどういう事かしら。 邪魔するならいくら妹でもタダで済むと思わないことね」
「そいつァ悪かったなぁお姉さま、ただ不意打ちで終いってのはどうも性分に合わなくてな」
「て、テオちゃん!? どうしてここに……?」
「決まってんでしょ、あんたたちを殺しに来たのよ。 よくも人んちに土足で上がり込んできたわね」
ギラリと鋭く光る爪を備えた腕を振り払い、砂汚れを吹き飛ばしたテオちゃんが私を睨みつける。
危なかった、あんな腕で切り裂かれたらひとたまりもない。 ラグナちゃんがいなかったら間違いなく死んでいた。
「テオ……久しぶり、だな……」
「やっほ、ノア。 再会に泣いて抱きしめて喜びたいけど残念ながら後回しね、それと……」
「姐御、自分はいないって言っておいてほしいっす。 今のうちに土下座のウォーミングアップ済ませておくので」
「聞こえてるわよペスト、あんたはあとで鉄拳制裁だから。 ……よくもまあ余計な連中ばかり引き込んでくれたわね」
「あらあら、ずいぶん嫌われたものですね。 わたくしがいるのはそこまで不都合ですか?」
「心底不愉快よ、さっさと消えるなら見逃してあげるけど? ああでも、そこのピンクとバベルに憑りついたやつはここで殺すわ」
「っ……! し、師匠のこと見つけたんですか!?」
「ええ、一人でノコノコ歩いてたわよ。 そろそろウォーが始末してるころじゃない?」
「えっ――――」
テオちゃんが八重歯を見せて意地悪な笑みを浮かべたその時、彼女の背後からドォンと低く重たい衝撃が響き、大地を揺らした。




