神の麓 ②
「……神の麓ぉ?」
「おうなんだその訝しげな目は、言いたいことがあるなら言えよ拳で答えてやる」
「喧嘩をするんじゃない……オタンコ、とめろ……」
「ラグナちゃん、ここでケンカするなら私が抱き着きますよ!」
「クソ……」
「効果覿面っすね」
「師匠もぶなしめじな目でラグナちゃんを挑発しないでください!」
「訝しげな目だな。 とは言われても……」
臆面もなく神だなんだという話をされ、友好的な反応を返す魔術師は存在しない。
魔法遣いやラグナたちが神を信仰するのは個人の自由だが、だからといって勧誘されるとなれば話は別だ。
「勘違いするな、別にお前を引き入れたいってわけじゃない。 そんなのこっちからごめんだ」
「っすね、バベルもどきはもどきであってバベル姉ちゃんじゃねえっす」
「うぬぼれるなよ……オタンコの師を語るような人間を引き入れるほど……我々は愚かじゃない……」
「なあモモ君、僕はこいつら引っ叩いても許されるよなこれ?」
「こらえてください師匠、抱き着きますよ」
「くそぅ……」
「引き下がられるのはそれはそれで傷つきます!」
「この面倒な状況で面倒なことを言うな。 ラグナ、意図が違うなら具体的な説明を頼む」
モモ君という抑止力のおかげで何とかこの場の拮抗は保たれているが、同時にモモ君のせいでなかなか話も進まない。
我が弟子ながら本当に面倒な奴だ、そんなやつでも連れていなければ何度死んでいたかもわからないが。
「ラグナ……お前、こいつをあの場所に連れて行く気か……?」
「ああ、ここまできて隠し事する必要もねえだろ。 こいつはそこまで頭が悪い奴じゃない、こいつは」
「ラグナちゃん、なんで2回も言ったんですか。 私から目をそらしながら」
「まあ先に言うとお前をバベルの手前まで案内するつもりだ」
「ペストちゃん、ラグナちゃんが私と目を合わせてくれない!」
「うわこっち来たっす」
「というかバベルって、あれのことですよね?」
モモ君がカーテンを開けると、窓の向こうに見える山脈のさらにその先にそびえる塔が見える。
通称バベル、曰くこの世界の言語を1つに束ねている塔だ。 どういう因果かこの身体と同じ名前をしている。
「目的地は分かった、だが“手前”とは?」
「お前にゃたどり着けねえからだよ、それに用事を果たすだけならその手前で十分だ」
「正確な目的地は……白山霊峰……この世界でどんな国の領土にも属していない……神聖な地だ……」
「白山霊峰って……あそこか」
「ンだよ、知ってんのか」
「昔な、僕の師を名乗る不審者に連れ込まれたことがある」
「バカかよテメェはよぉ」
腹立たしいが返す言葉もない、あんなところに修行と称して突っ込むのは自殺志願者がアホの酔っ払いぐらいだ。
草木すらない岩肌ばかりの山には自生する植物もほとんどなく、見つけたところで煮ても食えぬ毒ばかり。
当然そんなところに生息する生き物なんてよほどのキワモノしかいない、何度死を覚悟したか思い出したくもない記憶だ。
「……だがあそこを根城にしていた竜が居ただろ、勝手に踏み込むと死ぬぞ」
「えっ、そのドラゴンさんを師匠に食べさせるんですか?」
「何百年前の話だよ、ンなもんテオのやつがどうにかしてる。 ってか何者だよお前の師匠ってのは」
「師匠ではない、酔っ払いの不審者だ。 名はユウリ・リンと言うが……」
「「「………………」」」
「おい3人そろってなんだその反応は」
そういえばそうだった、あの酔っ払いはテオにすら恨みを買っていた。 この3人に情報が共有されていてもおかしくはない。
あのウワバミめ、こんな後世まで悪名を残すとは……いったい何がどこまで伝わっているのか、聞くのが怖いな。
「あー……うん、わかった、聞かなかったことにしよう。 とりあえずテオにはその話するなよ」
「あとウォー姉ちゃんにもっすね……」
「……? まあ好き好んで人に聞かせる話ではないが」
テオに因縁があるのは砂漠の一件で確認済みだが、ウォーにも何か確執があるのか。
あの大酒呑みめ、僕のあずかり知らぬところでどれほどの恨みと借金を抱えていたんだ。 死人と口がきけないのが心底憎い。
「はい、質問です! 質問いいですかラグナちゃん!」
「よし、じゃあさっさと行くか」
「無視しないで!?」
「チッ、そのグイグイくるメンタルは誰に養ってもらったんだよお前……話せ」
「ありがとうございます! その山に行けば師匠の身体は治るんですか?」
「あくまで可能性があるってだけだ、あの霊峰には力がある」
「ほあー……恐山みたいなものですかね?」
「とにかく時間がねえんだろ、詳しいことは行けば分かる。 ほら、さっさと支度しろ」
「い、今からですか!? さすがにそれは無理ですよラグナちゃん!」
ラグナは僕の胸ぐらをつかんでそのまま肩に担いで連れ添うとするが、その歩みをモモ君が立ちはだかることで止める。
なんともまあ僕の体を気遣ってくれて涙が出るほどうれしい限りだが、今回ばかりはラグナの判断が正しい。
「ポコピン、治療を待ってる暇はねえっすよ。 チンタラしてたらモドキは死ぬっす」
「まあオレとしてはそれでもかまわねえ、敗者としての義理は果たした。 どうする?」
「で、でも……こんな大怪我で連れ出したらそれこそ師匠が死んじゃいます!」
「――――あら、では治してしまえよろしいかと」
「……へっ?」
その言葉とほぼ同時に、モモ君が立ちはだかる扉の隙間から淡い光があふれ出した。
その光の一端が僕の腕に触れた途端、臓腑の底からくすぶっていた熱のような痛みがあっという間に引いていく。
まぎれもなくこの場で最も必要だった“それ”は、しかしこの場に最も似つかわしくない――――奇跡が宿る「魔法」の力だった。