ネズミは死んでいた ④
「これは……なかなか地獄絵図だな」
治療院の出入り口では重症者を運ぶ医師と助けを求める患者でひしめき合っている。
血を吐きのたうち回る者、半狂乱で腕を引っかき黒斑を削り取ろうとする者、医師に理不尽な罵詈雑言を浴びせる者。
もはや感染を食い止めるというような状況ではない、もはやラサルハの崩壊は時間の問題というところだ。
「おいそこのォ! ンなところに突っ立ってると踏み潰されんぞ!!」
「ああ、ちょうどよかった君を探してたんだ。 ちょっと手を止めて耳を貸してくれ医者」
「ダメだ手が離せねえ、このまま聞くから話せ」
出入り口付近で忙しなくチビ医者を見つけたが、こちらには視線も向けず患者の対応に追われている。
あきらかに一人で対処するには過ぎた仕事量だが、それでもなお彼の目に諦めの色はなかった。
「この病は人為的に引き起こされたものだ、僕は今から犯人を捜しに出る」
「やはりそうか、胸糞悪ィな。 俺の分も一発ぶん殴ってきてくれや」
「……わかっていたのか?」
「俺が知る病とは伝染力も殺傷能力もまるで違う、腺ペストを下地にしたテロ兵器かなにかとしか思えねえ。 これなら伝染が広がるよりラサルハが滅びるのが先だ」
「なら時間はないな、君も手伝ってくれ。 ここで増え続ける患者の対応を続けるより本体を叩いてしまった方が早い」
「断る、患者優先だ」
「なんだとぉ……?」
彼に与えられた恩寵は、この状況で切り札となれるだけの力を持っている。
いつ感染して再起不能になるかわからないよりずっと事態の鎮圧に向いている、本人もそれが分からないほど耄碌はしていないはずだ。
「院内の稼働率は今限界にほぼ近い、ベッドはすでに満員だ。 ここで俺が抜けたら救える命が救えなくなる」
「だがこのままじゃじり貧だ、元を断たねばいくらでも患者は増えるぞ」
「すでに広まった感染症は根元を断っても消えやしねえ、そっちはお前に任せる。 俺は目の前の命に忙しい」
「……時間がかかるほどさらに犠牲者は増えていくぞ」
「だとしても今死にそうな人間を見捨てる理由にはならねえだろ」
話しながらも患者に薬剤を注射する動きに迷いはなかった。
決意に迷いがない、このまま説得を続けたところでそれこそ時間を無駄に使うだけだ。
「たしかに数字の上ならお前の言う事が正しいだろうよ。 だけどな、俺は今苦しんでいるやつらに“未来の患者のために死んでくれ”なんて言えねえよ」
「…………」
「医者は命を選んじゃならねえ、そいつが善人だろうが悪人だろうが全力だ。 俺たちみてえな立場の人間はな、救う命に価値を決めちゃいけないんだよ」
「もういい、わかった。 これで僕が死んだら恨むぞ」
「安心しろ、死ぬ気で治す。 だから死ぬ前には戻って来いよ」
「そっちも死ぬなよ、ノグチ。 あとモモ君も発症した疑いがある、症状は軽いけど悪化したときは頼む」
「ンだとぉ? あの嬢ちゃんでも風邪引くんだな」
「はっ、あとで面と向かって言ってやってくれ」
「やだね、自殺する趣味はねえんだ。 あと外出るならこいつを持っていけ」
「ん? なんだこれ」
そういってノグチが片手間に投げ渡してきたのは、清潔な布で縫われたマスクと金属製の板切れだった。
マスクはまだわかるが、問題は板切れの方だ。 確かモモ君たちが使っていたものだが。
「マスクにゃ俺の恩寵がちょっとだけ乗ってる、数は少ないから丁寧に扱えよ。 そっちの改造スマホは連絡用だ、魔力で動かせる」
「スマホ……通信機か? だがボタンがほとんどないぞ、どうやって操作するんだ?」
「時間がねえ、勘で動かせばどうにかなる。 音が鳴って震えたら連絡の合図だ、そっちも何かあればすぐに通話を掛けろ」
「雑だなまったく……」
弄り回しても板の表面に絵が現れたり消えたりするばかりでさっぱりだが、ノグチの言う通り時間もないのでとりあえず持って行こう。
助力を得られなかったのは想定外だが、まだどうにかなる範囲だ。
腕はまだ感覚が戻らないが、できれば使いたくない“切り札”も備えている。 あと必要なのは……
「……ペストの居所か。 頼むぞ、モモ君」
――――――――…………
――――……
――…
「……む? 思ったより感染の伸びが悪いっすね、ちょっと致死率上げすぎたっすか?」
すでにラサルハ中に張り巡らせたネズミたちから伝えられたのは、あまりにも少なすぎる死者数だった。
今回調整したウイルスは自信作だ、渡来人たちの世界では自分の名を関する凶悪な病をベースに改造している。
予想ではすでに人口が半減していてもおかしくはないが、感染者の死が早すぎて上手く感染が広がっていないのか?
「チューの助、チュー太郎、チューズデイ、あんたらに頼んだ教会潰しは……ない? ああそう、教会がないなら相当医術が進歩してるってことっすね」
どうやら初めに治療の起点となる教会を潰そうとしたのが間違いだったようだ、存在しない建物を探している間に感染の初動を止められた。
しかし十中八九渡来人の知恵が入っているとはいえ、あまりにも対策が早すぎる。
「聖水が出回ってる……? 教会もないのにどこで……備蓄……? だとしたら……貯めこんでいるいるところを叩く必要があるっすね」
もはやラサルハの進歩は看過できない、神への信仰などとうに失せている。
その手で聖水に触れるなど、姉たちが聞けば怒りで大地が蒸発してしまうところだ。
「チュー子、チュー実、チュンチュンの3人は聖水の在処を探るっすよ。 なるべく早く頼むっす」
このままじゃ死者数が感染者数に追いついてしまう、まずは自分が蒔いた病の種を浄化してしまう聖水の供給を止めねば。
まったくどこの罰当たりだろうか、信仰もしていないくせに聖なる力を扱うだなんて……厄災たちの末妹として、必ずこの手で処さねばなるまい。