見境なき医師団 ③
「私たちの現代に……最も近い場所」
「おう、あの壁も魔法や魔術は使ってねえぜ。 潮風や呪詛で劣化しにくい特別製の鉄筋コンクリだ」
幽霊船が進む先に見える陸地には、遠近感がおかしくなるほど大きな壁がどこまでも続いている。
のっぺりとした灰色の壁は色むらもなく、視線を動かしても同じ景色ばかりでなんだか頭がくらくらしてきた。
「魔力に頼らずあの高さと厚みか、信じがたいな」
「ノアちゃん、すごいんですかあの壁?」
「……隙はない、な……幽霊船じゃ、どうにもならん……」
「あたぼうよ、あの呪いに浸食されねえための壁だ。 それじゃ俺は先に行ってるぜ、港を開けてもらわねえとな」
「えっ? 行くって言ってもどうやって……」
すると野口さんは私たちに手を振って、甲板から飛び降りた。
陸地は見えたとはいえまだここは海の上だ、泳ぐにしてもまだまだ距離はある。
慌てて甲板から下を覗き込む、と……まるで足場がある様に、海の上に立っていた。
「オタンコ……あいつがどうやってこの船に乗って来たか……忘れたのか……?」
「そ、そういえばそうでした……! けどなんで海に立てるんですか?」
「カッカッカ! こっちの世界に来るとき神の寵愛ってもんをもらってよ、俺ぁ穢れってもんに嫌われてるらしい」
「……呪詛の拒絶か。 海は幽霊船の呪いが溶けだしている、拒絶すれば水中に沈むこともない」
「そういこった、ついでに汚れや菌も跳ねのけるぜ。 血や一部の薬剤には効かねえあたりどうやって見極めてるのかは謎だが……まあ俺の話は後だな、行ってくる」
野口さんは水しぶきを上げながら、海の上を駆けていく。
スーパーカーも真っ青になる速さだ、私より足が速いかもしれない。
「渡来人というのはみんなああいうものなのか……」
「やめろ、モドキ……このオタンコがいっぱいいるのは……考えたくもない……」
「それもそうだな、今のは僕が悪かった」
「師匠、なんだか私馬鹿にされてる気がします」
「気のせいだろ、僕はしばらく横になる。 着いたら起こしてくれ」
目を逸らす師匠はそのまま甲板に寝転んでブランケットを被ってしまった、なんだか話をごまかされた気がする。
だけど誤魔化す元気があるならなによりだ、土気色の顔でうなされながら寝ているよりずっといい。
野口さんの治療は間違いなく効果があったんだ、こんなに嬉しいことはない。
「うふふ、早く良くなってくださいね師匠!」
「なんだこのオタンコ……気持ち悪……」
――――――――…………
――――……
――…
「……おう、待たせたな。 承認貰うのに時間かかっちまった、患者の容体は?」
「あっ、野口さん。 師匠も顔色が良くなって今は寝ているところです」
船に揺られて1時間ほど待っていると、野口さんも戻ってきた。
あれだけ水しぶきを上げていたのに白衣は全く濡れていない、神の寵愛ってすごい。
「おう、寝てるなら今のうちに脈測らせてもらうか。 ふむ……安定してんな、腕を切る必要はなさそうだ」
「えっ、師匠の腕切るところだったんですか!?」
「おう、割と危なかったぜ? いくら呪いを解いても肉が壊死したら切除しなきゃならねえからな、手術するにしてもこの嬢ちゃんが体力持つか怪しいところだった」
「ひ、ひええぇ……」
危なかった、体力勝負なら師匠に勝ち目はない。
今はこうしてすやすや寝ているけど、本当に危険なところだったんだ。
「いつ容体が急変するかもわからねえ、許可は貰ったからさっさと中に運び込むぞ。 手伝ってくれ嬢ちゃん」
「もちろんです! で、どこから入ればいいんですか?」
「そろそろ開くはずだぜ、壁がよ」
野口さんのその言葉が合図だったかのように、地震のような音を立ててゆっくりと壁が開いていく。
水面は波紋を立てて揺れ、鳥が慌ただしく飛び立って壁から逃げているのが見える。 それほど重く、大きなものが動いているんだ。
いったいどこからそれほどの動力を持ってきているのかわからない。 私にわかるのはただ、ラサルハを覆う壁の一部に四角い穴が開いたということだ。
「す、すっごぉい……」
「モタモタしてると管理局に怒られちまうからさっさと潜ろうぜ。 運転頼まぁ」
「っと、そうですね。 今動かします!」
前に進めと念じれば、幽霊船はそれに応えて動いてくれる。
そのまま穴の中に船がすっぽり収まると、ゆっくりと後ろの壁が閉じて今度は前方の壁がズゴゴゴと開いていく。
たしか野口さんはラサルハまでは3枚の壁があると言っていたっけ、この壁が閉じて次が開くまでの待ち時間がもどかしい。
「焦んなよ、待たせて悪いが防疫として必要なことだ。 一度に全部開くと海から幽霊船が入ってくる危険性もある」
「でも幽霊船はもう危険じゃないですよ、こうして私が乗りこなしてます!」
「その話を信じるやつがいねえのが問題だ、俺だって半信半疑だぜ」
「そんな、頑張って呪いを食べてノアちゃんも助けたのに……」
「その過程が……狂っていると言っているんだ……このオタンコがァ……」
ノアちゃんからビームが出そうな眼力で睨まれた、圧力で背中に穴が開きそうだ。
そしてそうこうしている間にも壁は2枚目を超え、いよいよ最後の壁が開こうとしている。
ゆっくりとせり上がる壁の隙間から見えるのは、コンクリートのジャングルに立ち並ぶビルの群れ……一瞬帰って来たと錯覚するほどに、私が知る日本とよく似る景色が広がっていた。
「わ、あぁ……! すごい、すごいですよノアちゃん! 見てください、すごくすごいです!!」
「…………」
「……ノアちゃん?」
思わず興奮する私とは違い、ノアちゃんはギュっと唇をかみしめて押し黙っていた。
無意識なのか、私の手を握る腕はとても冷たい。 小さく震えて、血の気が引いている。
「…………進み、すぎだ」
震えた声でぽつりと漏らしたその言葉が聞こえたのは、多分私だけだった。