見境なき医師団 ②
「俺ァこう見えて生前から医者でなァ、死んじまったらいつのまにかこっちにいた」
「お、お化けってことですか!?」
「ちげェ、転生ってやつだよ。 こういうのは若い奴の方が詳しそうなもんだが」
師匠の応急処置が終わると、野口さんは甲板の上で身の上話を語ってくれた。
どうやら野口さんは80歳を超えるお爺ちゃんだったらしい、だけど肺炎をこじらせて気づいたらこの世界に生まれ変わっていた。
意識を持ったまま赤ちゃんからやり直したときの苦労は涙なしじゃ聞けないほどだ、私とはかなり状況が違う。
「この世界にやってきた渡来人は大きく2種類に分けられる。 死んで生まれ変わった“転生”とどうやってか迷い込んだ“転移”、お前さんは後者ってとこだろ」
「知らなかった……ところで野口さんは、そのぉ……」
「悪いが帰り方は俺も知らん。 転生者は同じ考えのやつが多いぞ、向こうじゃ死んでるわけだからな」
「帰るところがないから……この世界にしか居場所がない、ということか……」
「そういうこった、まあ俺もこっちの生活に慣れてきたところだしな。 いまさら帰りますなんて言っちゃこの世界の両親にも申し訳ねえ、タバコが吸えねえのは不満だけどな!」
カラカラと笑う野口さんの顔には、本当に未練の一つもないように見える。
なんとなく渡来人は皆帰りたいと思っていたけど、こういう考え方もありなのか。
……私もいつか諦めてしまった時には、ちゃんとこの世界に足をつけて生きていけるかな。
「……うるさいな、人が寝ているときに……」
「あっ、師匠! 駄目ですよまだ起きちゃ!」
私たちの話し声が聞こえたのか、奥の部屋で寝ていたはずの師匠がブランケットを羽織ったままの師匠が這い出てきた。
まだ呪いの苦痛は癒えていないけど、野口さんの治療が効いたのかちょっとだけ顔色は良くなった気がする。
「おう、目覚ましたか。 なら今のうちに粥でもいいから飯食っとけ、呪いの治療は体力勝負だぞ」
「誰だ君は……また子どもを連れてきたのかモモ君」
「人聞きが悪いですよ! もう、この人が師匠を治療してくれたんですからね!」
「あー、渡来人の野口だ。 お嬢ちゃんの師匠らしいな、お互いずいぶん難儀な人生歩んでるじゃねえの」
「渡来人か、なら納得だ……治療ということは君は魔法遣いか?」
「いいや、“医者”だ。 幽霊船の汚染症例としてあんたを治しに来た」
「………………」
「医者」という言葉を聞いた途端、ノアちゃんの顔が険しくなった。
そういえば初めに医者を見たと教えてくれた時も嫌な顔をしていたし、もしかして嫌いなんだろうか? 気持ちはわからないでもない。
「大丈夫ですよノアちゃん、私も注射は大の苦手ですから」
「なんの話だ……このオタンコ……」
「カハハッ、嫌われるのなんざ慣れてるよ。 この世界じゃ魔法に頼らねえ医者の存在は珍しいからな」
「魔法の力を借りず、怪我や病と闘う生業だったか。 僕も実際に見たのは初めてだな……」
「おお、話が分かるやつがいたか……ってまた顔色悪くなってきたな、一回横になれ。 嬢ちゃん、タオル敷いてくれ」
「は、はい! 無茶しちゃダメですよ師匠」
「君にすべてを任せるとろくなことにならないと学んだからな……監視ぐらいさせてもらうぞ」
困った、フォーマルハウトの一件で師匠の信頼をだいぶ失ってしまったようだ。
いったい何がいけなかったんだろう、何もわからない。
「それはそれとしてノアちゃん、このコップにお湯ください。 師匠、今からパンふやかしますから食べてくださいね」
「私は湯沸かし器じゃないぞ……オタンコめ……」
「経口補給水なら手持ちがある、ゆっくりでいいから飲め。 汗もかいただろ」
「ぐぅ、子ども扱いをするんじゃない……」
「子ども扱いじゃねえよ、病人だ。 俺がいる限り間抜けなことで容体は悪化させねえからな」
さすがお医者さん、師匠が相手でも病人なら一歩も引かない肝の強さを持っている。
有無を言わずにタオルを敷いた上に寝かして枕もとに補給水を置く手際の良さ、私も見習いたい。
「……んで、そろそろ俺の方からも質問していいか? この幽霊船モドキとかよ」
「あー、そうですよね気になっちゃいますよねー……」
どうしようか、と悩む私の袖をノアちゃんが引く。
うん、多分正直に喋っちゃダメだぞとくぎを刺しているんだ。 けどどこまでならセーフなんだろう、正直ウソをついて誤魔化せる自信がない。
「えーっと、まず私が幽霊船を食べちゃったんですけど」
「嬢ちゃん、話す気がねえならもっと考えた嘘を喋ってくれ。 さすがに傷つくぞ」
「本当です! 本当なんです!!」
「……別に……釘を刺す必要も、なかったな……」
「モモ君、君が説明すると余計にややこしくなる。 あとで僕が話すから下がっていてくれ」
「ど゛う゛し゛て゛!!」
本当なのに、フォーマルハウトでノアちゃんを取り込んだ幽霊船を取り込んだことは嘘じゃないのに。
私が食べちゃったから今もこうして……あれ、そういえば私はなんで幽霊船を出せるんだろう。
考えてみると船を食べたからって吐き出して操れる理屈を説明できなかった、私ってなんだっけ。
「ま、お師匠様の治療が終わったらゆっくり教えてくれや。 俺らも幽霊船の呪いはどうにかしてえ問題なんだ」
「……それは、なぜだ……見たところ、お前に呪いがかかっているようには見えないが……」
「決まってんだろ、治療法がない病だからだ。 魔法に頼らず、呪いの治療ができれば救われる人間はごまんといる」
「5万人もですか!?」
「オタンコ……お前は少し黙ってろ……」
「はい」
「ラサルハは医療国家だ、俺以外にも医者は何人もいる。 アスクレスの聖女ほどじゃねえが、大抵の病や怪我ならなんとかなるぜ」
「…………」
まただ、ノアちゃんの顔が険しくなった。
注射が嫌いじゃないならどうしてそこまでお医者さんを嫌うんだろう……いや、嫌っているというよりなんだか恐れているように見える気がする。
「ああ、そうこう言ってる間に見えてきたな。 ほら、陸地だ」
「えっ、本当ですか!? やった、助かりますよ師匠!」
「わかったから騒ぐな……頭に響く」
野口さんが指し示した先、水平線の中にぼんやりと陸地だ見えてきた。
だけどそれ以上に驚きなのは、陸地を遮る高い“壁”だ。
たぶん幽霊船対策なんだろう、アルデバランのものよりも立派で高い壁がどこまでも続いている。
「あれが第一隔壁、奥に第二、第三と続いて……その先にようやくラサルハが見える、ちいと長いがまだ若いんだから気張れよ」
「あの、野口さん……もしかしてラサルハってめちゃくちゃ大きなところなのでは?」
「おうよ、言ったろ? ラサルハには医者が多い、医療が進めばそれだけ化学も進んでいる証拠だ――――おそらくこの世界で最も俺たちの現代に近い場所だぜ、あそこは」