見境なき医師団 ①
「えっ? あれ……人ですか!?」
「そうだ……私が、幽霊船に囚われていた時から……何度もやってきた……」
水平線の先に見える人影は、どんどんこちらに近づいてくる。
遠くてよくわからないけど、どう見ても船やイカダに乗っているように見えない。 ただ海の上を歩いているような動きだ。
「でもその時のノアちゃんは呪いまみれだったんですよね?」
「ああ、だがあいつらは聖気で武装し……ギリギリ致死圏外の距離を保っていた……ムカつくほどにな……」
「じゃあこっちから呼びかけないと気づかないかもしれませんね! すみませーん!!!!」
「お前……躊躇いとか、ないのか……?」
「ないです!! すみませーん、聞こえますかー!!」
ためらっている間に師匠が死んでしまえば元も子もない、まずこちらに敵意がないことを教えなければ。
甲板から身振り手振りで叫んではいるけどちゃんと声は届いているだろうか? 向こうの様子はまだ見えない。
「聞こえていたら返事してくださーい、この船は幽霊船に似てるけど安全です!! 私の師匠が大変で、呪いに侵されて死んでしまいそうなんです!!」
「なんだとー!! 患者かー!!? すぐに診せろ!!!」
「うわっ、返事来た!!」
「うるさ……どっちも……」
突然まともな返事が返って来たかと思うと、遠くに見える人影が水しぶきを上げながらどんどん近づいてくる。
どれぐらいの速度を出していたのかはわからないけど、声が聞こえてからその人が船に飛び乗ってくるまであっという間だった。
「――――なんだァ、患者はどこだ!?」
「わっ、こ……子ども?」
すごいジャンプ力で甲板に着地したのは、白衣を纏った黒髪の……小さな男の子だった。
片目は眼帯で覆われ、不機嫌そうに歪んだ口元からはギザギザの歯が覗いている。
残る片目で私とノアちゃんに一瞬だけ視線を向けると、患者の姿を探してギラギラとあたりを探し始めた。
「こんなナリだが俺ァ医者だ、安心しろ! それで患者はどこだ!?」
「え、えっとこっちです! ついてきてください!」
「おいそこの娘、俺のカバンを頼む! 一緒に来い!」
「へっ……? いや、重っ……! な、なんで……私がこんな……!」
『わふぉーん!』
私を先頭としてその後ろにお医者さん、さらにその後ろからお医者さんのカバンを抱えたノアちゃんと大五郎がついてくる。
いろいろ気になることもあるけど、今はとにかく師匠の容体が一番だ。 名前とか正体とかそのあと聞けばいい。
それに患者がいると聞いて急いで駆けつけてくれたんだ、きっと悪い人じゃない。
「ここです、この部屋に師匠がいます!」
「症状は?」
「腕のここからこのあたりまでが呪いで黒く染まってて意識もないです、ご飯もほとんど食べてないです!」
「わかった。 そこの娘、カバンから呪創用のアンプル……その青い小瓶をくれ、それだ。 うむ、ありがとう」
「この、ジジイ……私を……雑に扱うな……!」
「立って動ける健康体なら親でも使うぜ俺ァよ。 あんたらは部屋の外で待ってろ、できれば湯を沸かしといてくれ」
「わ、わかりました! ノアちゃん、お願いします!」
「クソ、どいつもこいつも……私をなんだと思って……!」
お医者さんはカバンから青色の小瓶といくつかの道具を取り出し、師匠が眠る部屋の扉を開ける。
本当は一緒に立ち会いたいし手伝いたいけど邪魔になるだけだ、ここで待つしかない。
「ノアちゃん、あの人が例のお医者さんで間違いないんですよね?」
「ああ、そうだ……何度も幽霊船の前に現れ……サンプルを採られた……呪いを治すためだとな……」
「はえー、すごい。 あっ、このタライにお湯出してください」
「…………お前……私を便利な水道か何かと思ってないか……?」
「そんなことないです、師匠が起きたら今の5倍は人使い荒くなると思った方がいいですよ!」
「一生寝てくれないか……あいつ……」
「おう、幼気な患者に向けて失礼なことを言うんじゃねえ」
「ウワーッ!! お医者さん!? はやい!!」
扉の奥に消えたはずのお医者さんが、いつの間にか私の背後に立っていた。
お湯をためるタライを用意するまで5分も過ぎていないはずなのに、もう治療は終わったのだろうか?
「先生! 師匠の容体はどうなんですか!?」
「おう、医者として聞きたいセリフトップ10だなァ。 まあまずは落ち着け、いったん深呼吸」
「すううううううぅぅぅぅ……はああぁぁぁぁああぁぁ……落ち着きました!」
「よし、結論から言うとありゃあ手に負えねえ」
「うわああああああもうダメだああああああああ!!!!」
「最後まで聞けェ、この船上じゃ手の打ちようがねえって話だ。 だから時間稼ぎだけ施した、このまま陸地まで運ぶぞ」
するとお医者さんはカバンから新しい小瓶を取り出すと、細い部分をパキンと折って中の薬剤をタライに混ぜる。
鼻にツンと来る臭いは湿布に似ていて、タライに張ったお湯の色はだんだん透き通った緑色に染まっていった。
「この薬湯を布にしみこませて定期的に患者の身体を拭え、最低でも1時間は空けるように。 呪いの浸食と痛みを抑えられる」
「あ、ありがとうございます! えっと、お金……」
「構わん、俺が先走ってやっただけだ。 ラサルハの医院を通さなきゃ正式な治療じゃねえからなァ」
大きく息を吐き出すと、お医者さんはその場にドカっと腰を下ろす。 よく見れば汗だくで呼吸も荒い。
そういえばこの人、海の上を全力疾走してまで駆け付けてくれたんだ、本当に頭が上がらない。
「……で、そろそろあんたら事情を聞いていいか? なんだこの幽霊船モドキは、本物は今どこにある?」
「ふん……こちらの事情を聞くなら……まず自分から名乗れ、ジジイ……」
「あわわノアちゃん、ダメですよ恩人なのにそんな失礼な」
「カカカッ! 構わねェよ、一理ある。 海上走って乗り込んできた不審者相手に素性話せって言われてもな」
お医者さんは豪快に笑うと、白衣の下からタバコ……ではなく、棒状のお菓子を取り出して咥える。
そして物足りなさそうにガジガジ齧りながら次に取り出したのは、顔写真が張り付けられたストラップつきの身分証だった。
「俺ァ野口、野口 望ってんだ。 たぶんそっちの嬢ちゃんと同じ――――渡来人ってやつよ」