抜錨 ③
「真っ黒の……ライオンにゃんこ号ですね」
「……? なんだ……それは……?」
「船の名前です、真っ黒のライオンにゃんこ号」
「ネーミングセンスがカス……」
「ひどい!」
せっかくの船をいつまでも“幽霊船”と呼ぶのは忍びないから名前を考えたのに、どうやらノアちゃんには不評のようだ。
こんな時に師匠がいてくれたらきっと賛同してくれるはずなのに、今はあなたがいないのがとても悲しいで……なにかな大五郎その冷めた目は?
「名前なんて……いらないだろ……どうせ、区別するようなほかの船はない……」
「違うんですよノアちゃん、これは気分の問題です。 せっかくの船ならかっこいい名前を付けたいじゃないですか」
「なら……あのうるさい男と、獣娘を呼び戻すか……」
「ダメですよ、王様たちはこれからが忙しいんです。 それに私たちの船は私たちがお世話しないと!」
「こいつ……調子に乗っているな……」
キャプテン、良い響きだ。 そう、私がこの船のキャプテンなんだ。
師匠がダウンしてる、王様たちもこれからのことに集中してほしいからさっき別れたばかり。
みんなの命を預かるのはキャプテンである私だけだ、重大な責任が肩にのしかかる。
「それでノアちゃん、幽霊船はどうやって動かすんですか?」
「まずは一度ひっこめろ……海に漕ぎ出さなければ、ただのデカブツだ……」
「うーん、引っ込める引っ込める……」
ノアちゃんに言われた通り引っ込めようと強く念じると、目の前の幽霊船は黒い水に戻って杖の中に収納されていく。
まるでセーターの毛糸をほどくようだ、完全にほどけるまで時間は5分もかからなかった。
「所有権は……お前に移されている……船の出し入れは、お前次第だ……」
「ありがとうございます、大切に使わせてもらいますね!」
「別に私のものじゃない、好きに使え……忌々しい代物だ……」
「はい、じゃあ遠慮なく! 大五郎、海を探しましょう。 できるだけフォーマルハウトから離れたところ!」
『わふぉーん!』
一番海に近いフォーマルハウトにはまだ呪いがこびりついている、しばらくはコルヴァスちゃんみたいな耐性を持つ人間以外は立ち入れない。
呪いを受けて弱っている師匠なんて絶対に近づいちゃダメだ、少し時間はかかるだろうけど迂回できる道を探そう。
――――――――…………
――――……
――…
「……うん、ここなら大丈夫かな。 ありがとう、大五郎」
『わっほん!』
ざぁんざぁんと絶え間ない波の音、そして潮の匂い。 大五郎が嗅ぎ当ててくれたおかげで、思ったより早く海にたどり着くことができた。
砂浜はさびてしまったように赤く染まり、海の水も黒く濁っていることに目を瞑れば、まるで南国のビーチのようだ。
「……ところで、後ろの“アレ”は大丈夫かな?」
「幽霊船対策なら……もう必要ないだろ……気にするな……」
振り返った背後にあるのは、呪われた海岸に繋がる道を断つための分厚くて高い土の壁だ
ただし誰も手入れしていないのか、ところどころひび割れている。 おかげで私のパンチで穴をあけることができたけど。
「それより……急がなくていいのか……バベルもどきの顔色も、悪くなってきた……」
「そうですね、急ぎます! お願い、真っ黒のライオンにゃんこ号!」
杖に力を込めて念じる……けど船は出てこない。
「…………幽霊船さん」
呼び方を変えると、今度はあっさり出てきてくれた。
「……オタンコ、名前は後で考え直せ……」
「どうして」
かっこよくてかわいいと思うんだけどな、真っ黒のライオンにゃんこ号。
仕方ないからしばらくは幽霊船と呼ぼう、船の中にいる怨念さんたちの意思も尊重しなくては。
「ノアちゃん、目的地は分かっているんですよね?」
「ああ……位置が良いな、このまま船を出して直進しろ……操舵は、お前が念じれば好きに動く……」
「わかりました、まっすぐですね。 それなら簡単ですよ」
海には迷路みたいな路地も入り組んだ森林も何もない、まっすぐ進むだけなら私にだってできる。
文字通り大船に乗ったつもりで待っていてください、師匠。 何か忘れている気はするけど必ず助けますから。
――――――――…………
――――……
――…
「距離のこと全然考えてなかったぁ~~~!!!」
「ふっ、お前は本当にオタンコだな……このオタンコピンク……」
「なんでちょっと嬉しそうなのノアちゃん!」
『くぅーん……』
出航から2日目、幽霊船はまだ海の上を彷徨っていた。
そうだ、何か忘れていると思ったら大事なことが抜けていた。 この船でラサルハまで何日かかるのか私知らない。
幸い食糧にはまだ余裕はある、けど問題は……
「水……水が足りないぃ……」
海の上は喉が渇く、風が塩っ辛いうえに太陽を遮るものが何もないんだ。
それどころか海面に光が反射して2倍眩しい、だんだん自分がまっすぐ進んでいるのか不安になって来る。
「の、ノアちゃん……どうして教えてくれなかったんですか!」
「聞かれなかったから、な……お前たちの味方をしたつもりは……ないぞ……?」
「ぐぬぬ、でもこのままじゃノアちゃんも共倒れ……じゃない! たしか水出せますよね!?」
「ふん……気づくのに2日もかかったな……オタンコめ……」
そうだ、師匠の呪いを癒すときに言っていた。 ノアちゃんは水を好きに出せる能力をもっていると。
そのことを思い出して指摘すると、彼女は心底面白くなさそうに手のひらからバシャバシャと水を生み出して見せた。
「うわぁー水だ水! ありがとうノアちゃん!」
「はっ、毒を含んでいるかもしれないぞ……それでもお前は……待て、しゃぶるな……私の腕にしゃぶりつくなぁ……!」
「ごくっごくっぷはー! うん、真水! ノアちゃん、師匠の分もお願いします!」
「くそぉー……! 覚えてろぉ……覚えてろこのオタンコォ……!」
文句は言ってもノアちゃんは革袋の中に水を注いでくれる。 これで水問題はどうにかなりそうだ。
残る問題は1つ……ラサルハまで師匠の容体が持つかどうか、だ。
「大五郎、師匠は?」
『くぅーん……』
「そっか、早く陸地が見えればいいんだけど……」
師匠はこの2日間、熱を出してほとんど寝込んでいる。
起きるのは食事をするときぐらいだけど、それも水とふやかしたパン以外は身体が受け付けないらしい。
どんどん衰弱しているのは分かるのに、私には何もできない。
「ノアちゃん、陸地が見えるまであとどれぐらい掛かりますか? 私もう待ってられない!」
「ふん……ここからさらに2日はかかるだろうな、それまでバベルもどきが持つか……半々といったところか……」
「そんなに待てないです!」
「だが、問題ない……そろそろ“やつら”が嗅ぎつけてくる……ほら、来た……」
「やつら? って誰のこと――――えっ?」
ノアちゃんが船の進行方向に視線を向ける、けどそこにあるのはまだまだ陸地なんて見えない水平線だけだ。
……いや、違う。 魚でも取りでもないなにかがいる。 船も何もなく、海の上に人影が立っている。
「来たぞ、おせっかいではた迷惑で……この世界で数少ない、医者がやってきた……」