師匠、死す ⑤
「ワッハハハハハハ!! ずいぶん面白い事やってんねえ君のお弟子ちゃんサァ!!」
「引きちぎるぞ」
「どこヲ!?」
「――――…………」
いつの間にかまた引き込まれた不思議空間の中央で、ヌルは腹を抱えて笑っている。
気のせいか後ろに控えているバベルもまた無言で肩を震わせている気がする、そんなに人の弟子が面白いかこいつら。
「アッハハハ!!! ヒャハハホヒフフフフフ……ヒィー……ヒィー……!!」
「いつまで笑ってんだ、いい加減正気に戻れ」
「ハハハ、ごめんごめん……ヒヒ、しっかしあれは逸材だネ。 こんな結末は予想外サ」
「何が予想外だ、お前の指名で送り込んだバカ弟子だぞ」
「そうだけどサ、さすがに読めなかったよネェ。 まさかノアが生きて帰って来るなんていうのはサ」
笑いすぎか、はたまた姉妹が生還した喜びからか、バベルは目元にたまった涙を拭う。
こんな連中にも一応仲間へ向ける情というものはあるらしい、いやそれとも本当に笑いすぎただけかこれ?
「面白いものを見せてくれたネ、おまけにノアまで返してくれたんだから特別報酬だ。 何が聞きたいカナ?」
「モモ君が話していたが、過去にノアは“人類が神を殺した”というのはなんだ?」
「おっとノータイムでいい質問ダァ、ここなら“塔”の監視も届かないからネェ」
ヌルは肉食動物のようなギザ歯を見せながはにかむ。
こればかりは正確に情報を持ち帰ったモモ君の功績だ、ただのバカではなく過程は滅茶苦茶でもしっかり成果を稼いでくるから厄介なんだあの子は。
「よし、特別サービスで話してやるゼ。 なぜ人類は絶滅の危機に瀕したのか? その答えは君たち人類の大きな過ちから始まったのサ!」
「大げさな言い回しは結構だ、結論から言え」
「なら言おうカ、言葉の意味はその通りダヨ。 人類が神を殺してしまったから、厄災たちは産まれたのサ」
「それは……ありえないだろ、神がいなければ魔法は存在しない」
魔術は人に宿った魔力を利用するが、魔法は違う。
神へ祈りを捧げ、奇跡を分け与えられる。 ゆえに神が存在しないなら魔法形体は崩壊しているはずだ。
「おいおいしっかりしろヨォ、わざわざ神を殺すならその代替物を用意しないはずがないだロ?」
「……神の代わりなんて存在するのか?」
「それができたから人類は滅びたのサ、自分たちの傲慢によってネ」
「――――……」
ヌルの言葉に、黙りこくったままのバベルが首を縦に振って同意する。
だが彼女たちの言葉ばかりではいまいち信じることもできない、なにか証拠の1つでもあればいいんだが。
「そんなに疑うなら次の街を目指せばいいサ、ちょうど君も限界だからだロ?」
「限界……?」
「なんで自分がここに来たのか、もう忘れたのカイ? ここで死んでもらっちゃ困るんだヨ」
なぜ、どうやって自分がこのヌルたちが待つ空間へやってきたのか?
そういえば思い出せない、たしか僕はノアから情報を聞き出そうとして……
「目を覚ましたらノアを頼りナ、気難しいけど君のお弟子ちゃんを使えば何とか懐柔できるんじゃナイ? 知らんケド」
「―――――……“妹”を“よろしく”」
「ヲッ? 今日は機嫌がいいネェ、バベルったらサ」
――――――――…………
――――……
――…
「―――――かっ、は……!? ハァ……ハァ……ッ!」
「師匠!! よかった、気が付いたんですね! 私が誰かわかりますか!?」
「大バカ……娘……?」
「「合ってる」」 『わふぉん』
「ひどい!!」
ヌルたちの空間から現実へ意識が戻ると、僕を囲んだモモ君たちが各々顔を覗き込んでいた。
背中には堅い地面の冷たさを感じる、どうやらしばらく気を失っていたようだ。
「クソッ、また回りくどい言い回しで答えをはぐらかされた……モモ君、なにがあった?」
「もう、こっちのセリフです。 師匠ったら急に倒れるんで驚きましたよ」
「急に倒れただと? 僕が……っ゛!」
体を起こそうとした瞬間、焼けた鉄に貫かれたような痛みが腕に走る。
袖をめくってみれば、僕の腕はまるで炭化したかのように黒く染まっているではないか。
「師匠、それ……!」
「……呪い、だな……フォーマルハウトに……当てられたか……」
「おいおい、距離は取っていたはずだぞ……」
腕は動く……が、感覚はない。 あるのはやはり灼熱の激痛ばかりだ。
額にはみるみる脂汗が滲み、視界が霞んで意識が飛びそうになる。 声を殺すために噛みしめた奥歯が砕けそうだ。
とてもじゃないが耐えられるような苦痛じゃない、長時間続けば命に関わる。
「お前は……魂が脆くなっている……その分呪いに浸食されやすい……油断したな……」
「ノアちゃん、わかるんですか!?」
「ふん、私が……何年呪いを扱ってきたと思っている……こんなもの、一目瞭然だ……」
「だったらボソボソ喋らずはっきりものを言ってくれ、今の僕には聞き取るだけで一苦労なんだよ」
「なんだとぉ……!?」
「わーわー怒らないでノアちゃん、この人ヘソ曲がりなんです! 師匠、聖水はないんですか!?」
「君にたらふく飲ませたもので全部だ……失敗したな」
視界の端でダイゴロウが悲しそうに空っぽの革袋を振っているのが見える。
あの様子だけ運良く1本残っていた、というのも期待できまい。
「なんで全部飲ませちゃうんですかー!? 一本ぐらい保険に取っておきましょうよ!」
「うぅ゛ー……でっかいの、たぶんお前のことが心配で」
「あー腕が痛いなー!! 死ぬぞこれは死ぬぞ僕は死ぬぞもうじき死ぬぞこれは!!!」
「うわーしっかりしてください師匠!! ノアちゃん、どうしたらいいですか!?」
「なんで私が……助ける必要が……」
「お願いします!!」
「………………」
たっぷり数十秒、しかめっ面のまま悩みこむノア。
彼女の言うとおり助ける筋合いなどどこにもないが、かといって断ったところでモモ君はしつこく食い下がるだろう。
僕の元まで拉致されたことも考えれば、ノアがモモ君の腕力に勝てる見込みもない。
「…………方法は、もちろんある。 呪いに蝕まれたなら、浄化してしまえばいい」
「わかりました、祈ります!」
「でっかいの、たぶん私たちじゃダメだ。 呪いに慣れすぎてる」
「そこの角ガキのいう通り……ここにいる連中は……聖気と相性が悪すぎる……」
「それに仮にも幽霊船の呪いだ、付け焼刃の魔法でどうにかなると思うなよ……」
「だ、だったらどうするんですか!?」
「……治療する。 私は知っている……幽霊船の呪いを……治そうとしてきた“医者”がいると……」
ノアはまことに不本意という気分を隠すことなく、それでいて迷わずある方角を指さした。
その先にあるのは果てなき地平、そしてかすかに聞こえてくるさざ波の音。 今日この瞬間まで人類にとってタブーであった活路だ。
「――――海を越える。 急がなければ……命はないぞ……」