呪いと竜とバカ弟子と ②
「というわけでモモ君、ここから先は任せたぞ」
「えぇー!? どうしたんですかそんな急に!」
「うるさーい、僕もかなり不本意なんだぞ」
次の日の朝、私を起こした師匠から聞かせられたのは衝撃的な指示だった。
あの師匠が、フォーマルハウトの遺跡を調べるという大事な仕事を任せるというのだ。 人任せという言葉を知らない疑惑がある師匠が。
「どどどどうしたんですか師匠、風邪ですか? それともとうとう私を弟子と認めて信用してくれたんですか!!」
「ええい声が大きい鬱陶しい暑苦しい。 そんなわけないだろ、これは仕方ない判断なんだ」
師匠はため息をこぼすと、だぼだぼの袖をめくって自分の二の腕をさらけ出す。
細くて真っ白なはずだったその肌には、ところどころに黒い染みが広がっていた。
「し、師匠!? それって……」
「うぅ゛ー……?」
「呪いだ、まだ軽度だからどうとでもなる。 どうやら僕が近づけるのはここまでらしい」
「すぐに病院! いやロッシュさん……とは連絡取れないし、とにかくレグルスに戻って治療を!」
「落ち着け、軽度だと言ったろ。 これ以上進まなければ悪化はしない」
「よかったぁ……って、師匠がダメなら私も進めなくないですか?」
慌てて自分の二の腕や足やお腹を確認してみるけど、どこも黒ずんではいない。
もしかして自分じゃ見えない位置から呪いが始まっているかもしれないけど、身体の調子は悪いどころかすこぶる健康だ。
「君は呪いに侵される心配はない、だからそこの野生児と一緒に内部調査を頼みたい」
「なんだちっこいの、褒めても何も出ないぞ!」
「コルヴァスちゃん、多分師匠は褒めてないです……でもなんで私が大丈夫だってわかるんですか?」
「説明するより見てもらった方が早いな、ちょっと竜の息吹を吐いてみてくれ」
「えっ? いいですけどあれお腹減るんですよねえ……」
でも師匠にお願いされては仕方ない。 大きく息を吸って、お腹に力を込めて、喉の奥からメラメラするものを吐き出す。
2人に当たらないよう明後日の方向に吐き出した炎は、どす黒い地面に直撃して――――シュワシュワと音を立てて呪いを浄化した。
「うぅ゛ー!?」
「…………な、なんで!?」
「やはりヌルの言うとおりか、君の息吹には浄化作用が付与された」
「な、なんで!!?!?」
私の炎が当たった部分は元の茶色い地面を取り戻し、よく見ればちょっとだけ雑草も生えている。
なんだか高圧洗浄機のCMを思い出す洗浄っぷりだ、ちょっとだけ気持ちがいい。
「というかヌルって誰ですかその女の子!!」
「さあな、というかなんで女とわかるんだ」
「勘です! それでなんですかこれ、私魔法遣いになった覚えはないですよ?」
「モモ君、昨日飲んだ聖水を覚えているか? あれのおかげだよ」
「師匠からもらったやつですよね、美味しかったです」
「味はどうでもいいんだよ味は」
聖水、たしかに飲んだ覚えがある。 とてもおいしかった。
だけどあれは黒い人型に掛けてもそこまで効果はなかった、たとえ地面に振りかけてもここまでの効果はないはずだ。
「ある生き物は摂食する餌から毒を濃縮して自分のものにするという、つまり君はそれなんだろ」
「私フグかなにかですか!?」
「実際に聖水から聖気を獲得して体内に蓄積しているんだ、食い意地が張った君らしい特性じゃないか」
「すごいな、でっかいの!」
「全然嬉しくないです……」
「だがそのおかげでフォーマルハウトの深部に進めるんだ、もちろん君が嫌だというのなら無理強いはしないが」
「そんなわけないじゃないですか、行きます!」
危険だからって足踏みしていられない、フォーマルハウトに師匠の寿命を延ばすヒントがあるかもしれないんだ。
それに呪いを弾けるなら好都合だ、あの黒い人型が出てきたってもう怖くない。
「ちなみに君の呪詛耐性は未知数だ、けっして自分の力を過信するなよ」
「うぐぅ、そうですよね……取り込んだ聖水もじきに消えちゃうかもしれないですし」
「ああ、それに1本2本では心もとない。 そこでだ、ダイゴロウ」
『わっふ』
師匠は指笛でダイゴロウを呼ぶと、彼の背中に預けていた荷物を下ろす。
私の目の前にドンと重い音を立てておかれたそのバッグには、昨日飲んだものと同じ聖水がみっちりと詰め込まれていた。
「飲め、今回は大盤振る舞いだ」
「……あの、師匠。 これ全部ですか?」
「飲め、どれほど摂取すれば十分な耐性を得られるかわからないんだ」
「でも、あの、量……師匠、量!」
「飲め」
「あの、あの……ああああ゛ぁ゛ー!!?」
確かに聖水は美味しい、王様に飲ませてもらったときも昨日もまた飲みたいなとは思った。
だけどフォーマルハウトの探索が終わったら、私はしばらく聖水のビンすら見るのも嫌になるだろうな。
――――――――…………
――――……
――…
「お……お腹がチャプチャプする……」
「うぅ゛ー、遅いぞでっかいの!」
「待ってコルヴァスちゃん……もっとゆっくりぃ……」
我ながらよくあれだけのビンを飲み干したと思う、たぶん100本以上あったはずだ。
そのおかげなのか神々しいパワーが漲っているのが自分でもわかる、歩くだけで地面が浄化されてくっきりと足跡が残るほどだ。
ただ呪いを抱えているコルヴァスちゃんとは相性が悪いのか、昨日より距離が開いたことだけが悲しい。
『キリキリ歩けよモモ君、時間がたつほど君が摂取した聖水は効力を落とすと思え』
「もー、師匠は師匠で声だけ飛ばしてくるし!」
『何か言っている気がするけどこの音声は一方的に送信している、そちらから声を拾うことはないと思ってくれ』
「はいはいわかりましたよ、師匠もダイゴロウと一緒にお留守番お願いしますね!」
『君もちゃんとお使いを果たすように。 手ぶらで帰ってきたら夕飯のベーコンを1枚減らそう』
「本当に私の声聞こえてないんですよこれ?」
「ヴルル……でっかいの、そろそろ見えるぞ!」
「あっ、はいはい今行きまーす」
呪いにまみれた小高い丘を越えると、ようやく目的地が見下ろせる距離まで近づいてきた。
……とはいっても、幽霊船に飲み込まれた街の景色は決していいものではないけど。
「…………あ、あれがフォーマルハウトですか?」
「そうだ、私の故郷だ。 もうずっと帰っていないけどな!」
聖水の飲みすぎで頭がおかしくなったのか、それとも「これ」がまともな視界なのか。
私の目に映るフォーマルハウトの街が、そのすべてが半透明の黒いゼリーみたいなものに覆われていた。