呪いと竜とバカ弟子と ①
「邪魔するなら帰ってくれ、こちとら一分一秒の油断が死に繋がる状況なんだ。 眠っている暇はない」
「心配しなくていいヨォ、この夢は外からすれば一瞬のことサ。 それに君たちの安全はバベルが保証するさ、ネ?」
「―――――……」
ヌルに話を振られると、バベルは声も出さずに頷き、自分の口元を覆い隠す長襟を下ろす。
遮るものが何もなくなった顔はやはり自分と瓜二つだ、鏡を見ているようで気味が悪い。
「“ライカ・ガラクーチカ” と “百瀬 かぐや” と “コルヴァス・フォーマルハウト” は “夜明け”まで "無事である"」
「……なんだ、今のは?」
「気にするナ、バベルの権能だヨォ。 滅多なことじゃ使えないけどネ」
バベルが初めて言葉を発した瞬間、彼女を中心として感知できる空間のすべてが震えた。
大気に漂う魔力のすべてが彼女へ振り返り、ひとつ残らず跪くような感覚。 たった今、世界中の何かがたしかに書き替えられた。
「いや、待て待て。 そもそも今なかなか聞き捨てならない名前が聞こえた気がするぞ?」
「気にするナっつってんのに気にするネェ、そしてよく理解できるもんダ。 まあボクらも時間があるわけじゃないし、無駄話はできねえゼ」
ヌルはおもむろにバスケットのフタを全開にし、頭上でひっくり返して籠の中のサンドイッチをすべて自分の口に放り込む。
後ろでもの言いたげなバベルが睨んでいるがお構いなしだ。 この謎空間でも腹は減るのか、それともただの嗜好品なのか?
「……さて、よくあれだけのヒントでここまできたネ。 まずはそこを褒めてあげるヨ!」
「バベルを探せ、だろ? 無駄話する暇はなかったんじゃないか」
「つれないネェ、まあいいサ。 要点だけ先に言うと君はこのままじゃ死ぬヨ、ノアの手によってネ」
「確認だがノアというのは僕たちが幽霊船と呼ぶ存在で相違ないな?」
「今更だネェ、だけど確認は大事だヨ。 案の定君たちとボクらの認識には相違がある」
「具体的には?」
「ノアはボクの妹、そして幽霊船は人間が作ったノアを封じ込める牢獄サ」
ヌルはその場でくるりと身体を回転させると、その身の衣装が一瞬にして入れ替わる。
黒としか認識できなかった服のシルエットから、モモ君が来ていた服と似た素材のスーツへの変身だ。 相変わらず中身は真っ黒で肌の起伏すら視認が難しいが。
「ふふーん、ティーチャースーツだゼ! さてどこまで話したっけカナ」
「ノアと幽霊船が別物というところまでだ、牢獄というのはなにかの比喩か?」
「いいや違う、まずノアはボクら姉妹の中で一番うっかりさんでネ。 唯一人間に鹵獲されちまった災厄なのサ」
「……つまり捕まったノアを動力として幽霊船を制作したが、暴走して呪いを振りまくようになったということか」
「察しがいいネェ、そゆことそゆこと」
ヌルが指を鳴らすと、彼女の両手に手のひらサイズの人形と玩具の船が出現する。
そして玩具の空洞に女児の姿をした人形をねじ込むと、たちまち船の塗装が剥げて内部からどす黒い泥が溢れ始めた。
「ノアの権能は“洪水”。 無尽蔵に作り出す水で人類を絶滅させる力があるのサ、ただその水に呪詛を混ぜ込めばどうなる?」
「……無尽蔵に呪いを吐き出す水源になるな、とんでもない無差別兵器だ」
「ヒヒヒッ! 当初の予定では厄災同士で相打ち狙いだったらしいけどネ、ボクらのこと本当嘗め腐ってたヨ! まったくサァ……本当に馬鹿馬鹿しい」
ヌルのその言葉には重々しい憎悪がにじんでいた。
「……話を戻そう。 ノアの意思に関わらずアレは生きとし生ける者すべてを殺そうと呪いを振りまく、水源に近づけば当然呪詛も濃くなるのサ」
「それは理解しているが、つまり目的地は僕らが確実に死ぬ距離にあるんだな?」
「そりゃもう、ほぼノアのおひざ元にあると言っても過言じゃないネェ!」
「……そうか」
予想していなかったわけじゃない、目的地にたどり着くまで僕らの身体が持たないと。
だが実際に直面したところで対処法がないのだ。 僕は魔術師であり神を信じることができない、呪いに打ち勝つ方法など気休め程度の聖水程度だ。
「さて困ったネ、どうしたものカナ? ここまで来て進路が無くなってしまうなんてサ!」
「茶化すなよ、何か方法があるんだろ。 でなければ君は僕の前に姿を現さらない」
「ケッ、察しが良すぎるのも困りものだヨォ」
ヌルが僕を殺したいなら、わざわざこんな回りくどい方法で忠告するわけがない。
彼女が現れたのは意味がある、この2人は僕を導かなければならない理由を持っているのだから。
「まあいいサ、今回ボクらがやってきたのは説得のためだヨ。 君の言う通り手段はある、けどどうせ納得しないからネ」
「…………」
ヌルは語った、このまま進めば僕は死ぬと。 しかしそれはおかしい。
たしかにコルヴァスは問題ない、このままフォーマルハウトへ侵入しようが彼女には呪詛に耐える力を持っている。
だがモモ君はどうだ? 僕が知る限り彼女に呪詛耐性などはない、だがヌルは「君たちは死ぬ」とは言わなかった。
ただ一人、ライカ・ガラクーチカのみが死ぬと断言したのだ。
「納得しろ、そして君は黙って待っていることだネ。 フォーマルハウトへ入れるのは哀れなオオカミ娘と君の弟子だけなんだからサ」




