フォーマルハウトの姫君 ⑤
「……なんか、曇ってきましたね」
「呪詛が濃いんだ、雲に見えるのは全部瘴気だろ。 それに日も傾いてきた」
「うわぁ、あらためてなんですけどすごいところ来ちゃったなぁ」
フォーマルハウトに近づくにつれて、周囲の景色はどんどん不気味に変化していった。
地面は絵の具を混ぜたような黒&紫のマーブル模様が広がり、空にはどんよりとした雲(師匠が言うには瘴気)が張り付いて日光を遮っている。
弾に生えている植物はねじれていたり曲がっていたりでちゃんと伸びているものはひとつもない、薪にしてみたら変な臭いがしたのですぐに消した。 そして動物はというと……
「……ちっこいの、2体いるぞ。 まだ見つかってない」
「ああ、こちらでも確認した。 厄介だな、常に薄暗いせいで闇に紛れる」
『グルルル……!』
あの黒くてのっぺりとした生き物以外、ちゃんとした動物には出会っていない。
あの黒い人型は私たちを見つけると積極的に近づいてくる。 幸いにも動きは遅いから捕まる前に師匠たちが倒してしまうけど、触れてしまえばどうなるかわからない。
人や動物を見かけないのも“そういうこと”なんだと思う。 とにかくあれに触れてはいけない、絶対に。
「この距離なら不意打ちは可能だが……音を立てて仲間が集まってくるのも厄介だ、迂回しよう」
「賛成です。 コルヴァスちゃんもよだれ垂らしてないで、あとで一緒にお肉食べましょお肉!」
「うぅ゛ー、肉……」
コルヴァスちゃんはあの人型を食べ物として見ているけど、私からするとあれはかなりショッキングな光景だ。
健康にも悪い気がするので控えてほしい、せめて案内を頼む間くらいはお礼として美味しいものを食べてもらおう。
「身を隠せそうな場所を探して一度野営しよう、これより先はさらに瘴気が濃くなる。 もし体調に変化があったら迷わず報告するように」
「大変です師匠、私お腹が空きました」
「肉なら黒いのがそこら中に転がってるだろ、コルヴァスに狩り方を教えてもらえ」
「やだー!!」
――――――――…………
――――……
――…
「…………新鮮な野菜が食べたい」
「塩漬けした葉野菜ならいくらでもあるぞ、スープに溶かしたから好きなだけ食え」
「うぐぐぅ……! 旅って辛いなぁ……!」
大五郎が掘った塹壕の中で食べた夕飯のメニューは、生ぬるいスープと塩辛いお肉と堅い黒パンだ。
黒い影たちに見つかるからなかなか焚き火も焚けない、料理には温度が大事なんだとあらためて実感した。
次にちゃんとした街へたどり着いたら温かいグラタンと瑞々しいサラダを食べよう、そうしよう。
「でっかいの、ちゃんと食べろ! 食える時に食わないと死ぬぞ!」
「うん、食べる……食べます……自分でも好き嫌いしない性格だと思ってたんだけどなぁ」
「渡来人はずいぶん舌が肥えているな、それともレグルスの王城で飼い慣らされたか?」
「美味いぞちっこいの、お前の性格とは真逆だ! おかわり!」
箸が進まない私に対して、師匠たちはするする食事を進めている。
たぶん食欲がわかないのは塩辛い味ばかりで疲れたこともあるけど、この環境も原因だ。
常にあの黒い影を意識してしまって気ばかり滅入ってしまう。 もし呪いに触れてしまえば、そんな考えばかりが頭に浮かんで離れない。
「周囲はダイゴロウが見張っている。 ここから先はまともに食事がとれるかもわからないんだ、いやでも胃に詰め込んでおけ」
「師匠……」
「見張りは交代して立てるぞ、君は先に休め。 あとで僕の睡眠時間を稼ぐためにしっかり働いてもらうからな」
あいかわらず皮肉も多いけど、それでも師匠の優しさがじんわり伝わってくる。
そうだ、こんなところでへこたれていられない。 師匠に長生きしてもらうためにも私が倒れたら意味がないんだ。
パンをスープに浸して、塩漬け肉と一緒に一気に飲みこむ。 決して美味しくはないけど、お腹が満たされると少しだけ元気も沸いてきた。
「ごちそうさまでした! では先におやすみなさい、時間になったら起こしてくださいね!」
「3時間後に交代だ、寝ぼけていたら蹴飛ばして起こすからな」
――――――――…………
――――……
――…
「スヤァー……スピー……」
「うぅ゛ー……ちっこいのぉ、お前……zzz……」
「寝つきが良いな、繊細なんだか図太いんだかわからないやつだ」
腹を満たした途端にすぐ寝付ける速さはある種の才能だが、バカみたいな笑顔を見ているとデカい赤ん坊にしか思えない。
モモ君だけならまだいいが、それも今は2人いる。 何の悪夢だこれは。
『わっふん』
「ああ、慰めてくれなくていいぞダイゴロウ。 それよりしっかり見張りを頼む」
『ばっふ』
ゴーレムに睡眠は必要ない、魔力の供給さえ切らさなければこれほど便利な同行者もいないだろう。
無償で貸し出してくれたアルニッタには感謝しかない、ダイゴロウがいなければ聖水の持ち運びも諦めていた。
「……さて」
ゆっくり息を吐いて、目を瞑る。 眠るわけじゃない、むしろ逆に意識を研ぎ澄ますためだ。
周囲に薄く魔力を散布して空気の動きから生き物の気配を探る、幸いにもあの黒い人影はこの付近にはいない。
だがフォーマルハウトに近づくほど明らかに遭遇する数が増えている、明日の進路はまず奴らとの衝突は避けられないだろう。
あれは厄介だ、魔術は効くが触れるだけで呪いに侵されるリスクがある。
遠距離から一撃で荼毘に付すのが最適だが、この身体では大火力の乱射も難しい。 先にモモ君の説教が飛んでくる。
戦闘に関してはコルヴァスの協力が不可欠になる、だが彼女を率いたところで群れと出くわせば圧倒的に不利だ。
「どうしたものか……って、おい。 どういうことだこれは」
探知を切り上げて閉じていた目を開く、すると目の前に広がっていたのは呪いに侵された鬱屈とした光景ではなかった。
周りにモモ君たちの姿はなく、朗らかな風が吹き込む草原のただなかに僕は立っていた。
「……僕は見張りの最中だったんだが、邪魔するのは止めてもらおうか?」
「おっとォ、ごめんごめェん! ゆるしてヨ、こっちにもこっちの事情があるんだからサァ!」
苛立ちを抑えて振り返ると、待ち構えていたのは予想通りの2人組だ。
広げたシートの上に胡坐をかき、フタを開けたバスケットから色とりどりのサンドイッチを取り出しては口に運ぶ少女たち、
ヌルとバベル。 前回の遺跡で垣間見た2人の災厄がまたボクの目の前に現れた。




