ほしのおうじさま ②
「……ああなるほど、君は渡来人か」
「とらいじん?」
1000年ぶりの地上に降り立ち、初めて出会ったピンク髪の少女が首を傾げる。
材質の分からない水兵に似た服と、その上に防寒具だろう毛糸仕立ての羽織。
しかしこの降雪地帯を超えるにはあまりにも心もとない装備だ、まるで何も分からずこの場所に飛ばされたかのように。
「たまに居るんだよ、別の世界から迷い込む人間が。 気づいたら見知らぬ場所にいたのだろう?」
「はぇー……なるほど、そういうことだったんですね! つまりここは異世界と!」
「いや、僕が言うのもなんだが多少は疑えよ」
「えっ、だって嘘つく必要ないじゃないですか?」
異世界なんて突拍子もない話を疑いもせずに飲み込む、いっそ不安になる頭の緩さだ。
自分が気に掛ける義理もない、どうせこの場限りの付き合いなのだから。
「ともかく互いに複雑な事情があるようだ、どうだろうここはひとつ」
「はい、ここであったのも何かの縁ですね! 一緒に行きましょう!」
……適当に茶を濁してこの場を後にしようとしたところ、明後日の方向に解釈されてしまったようだ。
「私は百瀬 かぐやって言います! これからよろしくお願いしますね!」
「待て待て待て、いろいろ言いたい事があるがまずは待て。 どうして君の同行がさも決まっているかのように語っているんだ」
「だって私一人じゃすぐに死んじゃいます!」
それもそうだ、渡来人である彼女はこの吹雪の中で暖を取る手段もない。
自分が熱を展開しているこの空間から一歩でも外に出れば、彼女の命は短いだろう。
「だが僕に君を連れて行く理由がない、魔力の消費もただじゃないんだぞ。 君は正当な見返りが支払えるのか?」
「み、見返りですか? えっと……」
あるはずがない、どうせ着の身着のままで異世界に放り込まれたのだから。
荷物はせいぜい大事に抱えたあの手提げカバンだけ、中に入っているものも大したものじゃないはずだ。
もっとも簡単な対価は金銭だが、まさか異世界の通貨は持ち合わせていないだろう。
我ながら意地の悪い話だ、一見交渉のように見えて最初からあしらうつもりなのだから。
「えっと……こんなものでよければ」
「ん、なんだこれ? 金属にしては軽いな」
しかし少しカバンをまさぐった彼女が取り出したのは、不思議な金属質の光沢を放つ棒状の何かだった。
メタリックな見た目の割に手触りは柔らかい、どうやら外側のこれは包装で中にまだ何かあるようだ。
「えへへ、おやつ代わりのカロリーバーです。 メープルシロップ味」
「食べ物なのか……毒じゃないだろうな?」
「毒持ち歩く女子高生なんていませんよ!?」
ジョシコーセーというのはよく分からないが、毒物を常日頃持ち歩くもの好きはそうそういない。
試しに外側の包装を手で裂くと、レーションに似た小麦色の棒が現れた。
見た目はあまり美味そうに思えないが、微かに香る甘い匂いはたしかに蜜のそれだ。
……少なくとも毒ではなさそうだ、そういえばまともな食事も久しぶりになる。
熱源を握っている自分の命を脅かして得はない、だから好奇心も含めて一口……“カロリーバー”と呼ばれたものを齧ってみた。
――――――――…………
――――……
――…
「いいか、君の同行を完全に認めた訳ではない。 これはギブ&テイクだ、食料の提供と引き換えに君を安全な場所まで送り届けるという契約関係に他ならない」
「難しい言葉一杯でよく分からないですけど、カロリーバー美味しかったって事ですね!」
「利害が一致しただけだ利害が、はき違えるなよ!」
ライカさんは良い人だった、カロリーバーを分ける代わりに人が住んでいる所まで送ってくれると言ってくれた。
一時はどうなる事かと思ったけどこんな親切な人に出会えるなんて運が良い、ありがとうカロリーバー。
「ライカさん、ずっと歩いてますけど道が分かるんですか?」
「落ちる時に地表の様子はざっと見た、この方角に村らしいものがあったのは確認済みだ」
「ほあー、すごい。 ……でもなんで空から落ちて来たんです?」
「正確には“空の上の監獄から”だ。 突き落とされたんだよ、1000年の刑期を終えたばかりだというのにね」
「せ、1000年って……この世界だと普通なんですか?」
「そんなわけあるか、異常も異常だよ。 死刑の方が手っ取り早いだろうに」
「ほえー、それはとんでもないですね」
「……信じていないだろ、君」
「いえいえ! ただ……その割にはずいぶん若いなあと」
1000年、それが途方もない数字だということは流石にわかる。
私が10回おばあちゃんになってもまだ足りない、一人で抱え込むにはあまりにも残酷な時間だ。
だけど目の前のライカさんは小学生ぐらいの女の子、どう頑張ってもおばあちゃんには見えない。
「ああ、最初の肉体はとっくに朽ちて捨てられたよ、何度か中身を移し替えた最後の器がこの身体だっただけの話さ」
「???」
「あー……寿命を迎えた身体から魂だけ取り出して別の若い肉体に転写、それを1000年間繰り返して最後に魂を移されたのがこの少女の肉体なんだよ」
「はえー……それは……それは……ええー!?」
「飲み込むまで大分時間がかかったな」
足りない頭を回転させてようやく理解できた、それでもとんでもない方法じゃないだろうか。
魔法がある世界なら人の身体から身体へ魂を移すことは確かに出来るのかもしれないが、なんというか人としてダメなラインを超えているような気がする。
「それはその、大丈夫なんですか?」
「間違いなくいくつも倫理や禁忌を踏み越えている、まあ大抵は精神が摩耗して廃人となるのが先だろうが」
「ですよねー、でも1000年っていったいどんな罪を……あれ?」
すこし考え事をして目の前から眼を逸らした、その時だった。
消えた、ライカさんが目の前から。 一瞬で。
いや違う、よくよく見るとただ目の前でうつ伏せになって倒れただけだ。 真っ白な髪の毛が雪と同化して一瞬見失ってしまった。
「どうしたんですかライカさん、風邪引いちゃいますよ?」
「…………動けない」
「えっ? だ、大丈夫ですか!?」
「足が重い、呼吸が苦しい、身体が重りのようだ……遅効性の呪詛でも仕込まれていたか……!?」
「それってただ疲れているだけでは?」
「ただの……疲労だと……?」
ライカさんの身長は私よりずっと小さい、考えてみればこの積もりに積もった雪をかき分けて歩くにも体力を使う。
その上1000年ぶりの出所となれば……彼女は今かなりの運動不足になっているはずだ!
「バカな……なんだこの身体は……? 貧弱にもほどがあるぞ……」
「休むにしてもこんな場所じゃ無理ですね、私が負ぶっていきましょう! そもそもこの鎖が重くて邪魔なんですよ、取っちゃいますね!」
「止めろ触れるな抱き上げるな担ぐな! それにこの鎖は下手に触れると刻まれた呪詛が……」
「あっ、ごめんなさいなんかパキって言っちゃいました。 サビで脆くなってたんですかね?」
「なんて???」
ちょっと強く引っ張っただけで、ライカさんの体を縛る鎖は千切れてしまった。
おかげでかなり背負いやすくなった、というか軽すぎる。 本当に負ぶったのか心配になるほどに。
「ライカさん、そこにいます!? 体重何キロですかあなた!?」
「知るかこの身体のことなんて。 クソッ、なんで僕がこんな屈辱的な……」
「うわーいやーうわー……駄目です、これは駄目です不健康です! ご飯食べましょう、お腹いっぱい!」
「良いから早く歩け、僕と違って体力が有り余っているならな!!」
「あっ、あれ! もしかして村じゃないですか?」
ライカさんを背負って歩き始めると、すぐに目的の村らしいものを発見した。
雪に隠れてはっきり見えないけど、それでも村の周囲をぐるりと囲む柵と人らしいシルエットが見える。
「露骨に話を逸らしたな」
「まあまあ、ちょうど村人さんもいますし話してみましょう! お風呂入れないかなー」
「……希望的観測を持つのは良いけどな、百瀬君」
「モモでいいですよ、なんですかライカさん?」
「じゃあモモ君、二歩下がれ」
「はい?」
言われた通り二歩下がる、すると先ほどまで自分が立っていた場所に何かが飛んで来た。
雪の上にサックリと突き刺さった細長い「それ」は、現代の日本じゃあまり見かけるものじゃない。
私も昔、弓道部が練習に使っていたものを一度だけ目にしたことがある程度だ。
「矢だな、あのまま歩いていたら命中していた」
「や、や、や、矢ー!? なんで!?」
「そこの二人、動くな!! 次は当てるぞ!!」
吹雪の向こうから鋭い声が飛ぶ。
もう一度村の方へ視線を向けると、数人分の人影がこちらへ弓を向けていた。
「その火球、魔術だな! 貴様、あいつらの仲間か!!」
「ど、どうしましょうライカさん! 何か怒ってません!?」
「見たらわかる。 おーい、僕らはただの旅人だ、そちらの事情は分からないが宿を貸してはくれないか?」
「黙れ、今度は何を奪うつもりだ!!」
ダメだ、これ以上刺激すると本当に撃って来る迫力を感じる。
あんないっぱいの弓で打たれたらライカさんも私も死んでしまう、穏便に済ませるためにもここは一度逃げるべきかもしれない。
「面倒くさいな、振りかかる火の粉は殲滅するか」
「そ、そんな物騒な! 話し合いで解決しましょうよ!?」
「先に武器を持ちだしてきたのは相手だ、こちらが譲歩してやる理由もない」
「わーダメダメ!! ごめんなさーい、私達が何かしたなら謝りますから弓を降ろしてください!!」
火の玉の比じゃない熱気を背中から感じる。
短い付き合いだけどそれでも分かる、ライカさんはやる人だ。
そしてこの人数でも戦えるだけの力がある、ここで私が頑張らないとあっという間に大惨事だ。
「とぼけるな! お前たちがこの村に今まで……うっ……!」
「あっ……! ライカさん、ごめんなさい揺れます!」
「はっ? おいちょっと待うわったった!」
弓矢の事なんて一瞬で忘れ、気づけば体は反射的に走り出していた。
駆け寄って支えた男性の身体はぐったりとし、お腹からはじわりと血が滲んでいる。
どう見たって大怪我だ、あんなに大声を出して傷が開いてしまったのか。
「なっ……! そこの女、離れろ!!」
「この人怪我してます、村にお医者さんはいますか!? 早く治療を!」
「な、何を言って……」
「良いから治療が先です! そこ退いてください!!」
すでに気を失っている男性の肩を担ぎ、呆然とする村人さん達の間をかき分けて進む。
……あれ、そう言えば私ライカさん背負ってたけど、どうやってこの人に肩を貸しているんだろ。
「君……この件についてはあとで覚えてろよ……」
「わぁー!? ごめんなさいライカさんホントごめんなさい!!!」
後ろをゆっくりと振り返ると、大の字になったライカさんが仰向けのまま雪に埋もれていた。
――――――――…………
――――……
――…
「いやー君に落とされたのが雪の上でよかったよ!!! 頭を打ち付けずに済んだのだからな!!!」
「か、返す言葉もございません……」
モモ君の背中から滑落し、担ぎ込まれたのはこの村で一番大きな民家だった。
幸いにも大したケガはなかったのだが、出血した男のついでに一緒に運び込まれた次第だ。
藁の上にシーツを敷いただけの簡易な2つのベットには、それぞれ自分と蒼い顔をした男が寝かせられている。
「それで、どうなんだ容体は?」
「傷口が開いただけみたいです、今は包帯で止血しますけど……応急処置でしかないです」
「命が繋がってるなら問題ないさ、しかしよくそんなものを持ち歩いていたな」
「えへへ……陸上部だったもので、皆ケガも珍しくないから準備だけはしっかりと」
彼女のカバンからさらに取り出された赤い十字の小さなカバン、その中には包帯や消毒液などが収納されていた。
おまけに手際も良い、どこで習ったのかずいぶん上手く包帯を巻くものだ。
「……すまない、君達のような子供に怖がらせるような真似をして」
「まったくだ、突然濡れ衣を着せられたこちらの身にもなってほしいものだね」
腹から血が抜けたおかげか、先ほどまであれほど血の気が多かった男がかなりしょぼくれている。
反省するとは良い心掛けだが、誠意は十分な金額で示してほしい。
「ライカさん! 気にしなくていいですよ、それより今はしっかり休んでご飯食べて、血を作らないと駄目です」
「はは……飯か、ちゃんと食えればいいんだけどな」
「何もかもが奪われた後、か」
藁のベッドを降り、窓から覗いた外の風景は惨憺な有様だ。
ほとんどは屋根や窓などが破壊され、酷いものでは廃墟同然の家すらある。
無事なのはせいぜいこの家だけ、嵐や吹雪だけでこうはならない。
「魔術師崩れの盗賊にでも襲われたか、だから僕らを敵と誤認した。 そうだろう?」
「……君、本当に子どもか?」
「見た目だけはな、すでに何度も襲われているのか?」
「ああ、1ヶ月ほど前から奴らはこの村を狙うようになった。 寒期を超えるための食料や物資を根こそぎ奪い、逆らうこともできなかった」
「警察、じゃなくて……えーと、外に助けを求める事は出来ないんですか?」
「無理だ、この雪じゃエルナトまで行くにも3日は掛かる。 ろくな装備も無く向かうのは自殺行為だ」
エルナトというのは地名か、しかし聞き覚えがない。
1000年過ぎれば当たり前だが土地勘がまるで効かない、そもそもどこに落とされたのやら。
「そっか、携帯も車もないんじゃ……うーん、どうしましょうライカさん!」
「僕は知らん、この村に恩も情もない。 明日にでもこの村は発つつもりだ」
「待て、私の話を聞いていたか? この雪の中じゃ……」
「問題ない、雪さえ無視すれば1日も掛からない。 第一、もたもたしてる間に盗賊共が現れたら……」
――――ドゴオオォォ!!!
腹の底から揺れるほどの衝撃と轟音が響き、村を覆う柵だったものが窓の外を通過していく、まるで紙きれのように。
「…………ライカさん、もう遅かったみたいですよ」
「ああ、クソッ……厄日だ今日は!」